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■02■
携帯と財布以外の荷物をロッカーに放り込み、カードを使って改札を通った。
平日の夕方。通勤快速もそこそこ運行している時間帯で、電車の中は人が多い。
出入り口付近に立ち、貴堂は携帯で件の企業を検索してみた。
日本語サイトだけでも、何十万件もヒットした。
関連キーワードも、夢の中で聞いた土地神の言葉とダブっている。
――う……わ。俺が知らないだけで、世の中こんな事になっていたのか!
危機感を持つ人達が、たくさんの記事をネットにアップしていた。
ニュースソースをちゃんとリンクさせ、きちんと考察している人も多数居る。
よく似た企業が他にもあるようだ。
そっちの企業は、水に関する特許の事で発展途上国を牛耳ろうとしている記事であった。狙われた国の政府はすでに乗っ取られているらしい。
降った雨水を溜めて使う事にさえ、使用料を要求していると言う。
――嘘だろ……よくもこんな事、考えつくな。搾取してるの、大人だよな? 頭オカしいガキじゃないんだよ、な?
恐ろしい。これが今の世界なのか。
――知ってる人だけが知っていて、一般人が全く知らないまま生きてるのって怖過ぎるぞ。
こうやって検索さえすれば情報を入手出来はするけど、その事自体を知らなければ、問題の存在自体を知らなければ、検索しようがない。
揺れる電車の中で、貴堂は情報を読み漁る。
幾つかの駅を過ぎる頃には人も減り、空席が出来ていた。座席はふたり掛けのロマンスシートである。
誰も座っていないシートを見つけ、そこに移動した。
特に意識せず、窓側の席にすとん、と腰を下ろした。
そして、それとほぼ同時に、横並びの座席に人の気配を感じたのである。
ぎょっ、としてそちらを見ると、中学生……いや、小学生に見えなくも無い女の子が、こちらを向いて座っていたのだ。
髪は腰まで長く、コテで巻いたように毛先がクルンとウェーブしている。
丸顔で、つぶらな瞳で、色白で、くちびるは花のような艶と色彩をした女の子だった。
なんと言う美少女だろう。麗しくて華やかな気配がキラキラしている。
「どうですか、りおなの制服ですよ。似合いますか?」
「その……声っ。姫君?」
小さ過ぎてあまり分からなかったけど、こんなにも可愛い顔立ちの女の子だったのか。
姫君、と言う形容がよく似合うではないか。さすがである。
彼女は微笑み、頷いた。
確かに、自分の高校の女子の制服だ。そりゃ、あのヒラヒラした衣装で電車に乗られても困るけど。
「そうですよ、わたくしです。あなたと話をしたかったの。でも小さなままでは、あなたもわたくしと会話をするのは困るでしょう?」
確かに。あんな小さなサイズの姫君と会話は気が引ける。
だって他人から見れば、独り言を言っている人間にしか見えないだろうし。不気味だ。
「話、って何ですか」
「あの、さっきはごめんなさいね……強引だわ、わたくし達」
――うん、確かに。
「こうして付き合って頂いて、感謝しています。貴堂」
「いや、そんな」
こっちも散々抵抗したんだし、感謝されては困るような気がした。
それに。今検索しただけでも、ちょっとシャレにならない気がする。
その――M310社とか言う企業。
日本の大企業とも繋がりがあるようだし、業界シェア率の高い有名な薬品とかもM310社の商品だった。
身近な物の影に潜んでいる、恐ろしい現実。
「北、に向かってるんですよね。俺達」
「そうですね……基本的に、日本には偏西風が流れているけれど、冬は北風が強いでしょ。風上からまき散らすのですよ。春ならば、きっと西へ行ったのだと思います」
夏ならば、南から?
「真ん中に立てば東西南北。どの方向から風が来ても汚染物質バラ撒けますね」
「そうですね」と姫君は微笑んだ。
笑っている場合ではないと思うのだけれど、女の子の微笑みと言うのは、心を癒してくれるのだな。
――まぁ電車に乗ってるんだし、イライラしたって到着が早まるわけでもないしな。
「聞いてもいいかしら。貴堂はどうして、わたくし達との関わりを拒否するのですか」
拒否。
まぁ確かに〈拒否〉で間違いはない。
――でも、さ。
「あなた達にどう見えているかは分からないですけど、俺、普段は幽霊が見える程度ですよ。あいつらは俺の生活に何の影響も与えない。レースのカーテン越しに見えるような〈向こう〉の世界の者でしかないし、こちらからして見れば幻覚と同じ存在だから」
「こんなに鮮明に、わたくし達と意志の疎通が出来るのに」
「それは、そちらから強い働きかけがあったからでしょ」
「働きかけたからと言って、誰もが見えるわけでも聞こえるわけでも応えられるわけでもありません」
「俺のチューナーはちょっと狂ってる、その程度に思ってて下さいよ。他の世界の誰かの為に生きるつもりは無いです。だけどその会社は、恐ろしい……」
今。わざわざ。
日本に来ている? その人を導いた人達を連れて?
「流通を乗っ取っり終わったのに、今更何をしに来たのでしょうか。この国の植物を全て自分達の植物に置き換えたとして、どうなるんですかね? 無意味過ぎて俺には理解出来ません」
「精霊の存在は、人の精神に強く影響を及ぼします」
「それに変化を与える、と言う事でしょ。その事に何の意味があるんですか。あなたには分かりますか、姫君」
数秒の沈黙の後「いえ」と彼女は顔を横に振った。
「雑草を自分達の物に入れ替えて、金になるのかな……。醜悪な金儲けをして来た人だから、更なるシステムを考えてても不思議はないけど。除草剤の新製品をこの国で試す、とか言うわけでもないだろうし。いや、あるのか?」
混乱して来た。
人の欲望と言うのは、理解を超えている。
金を握って自分が幸せになる事より、他人の財を吸い上げ不幸にする事の方が目的みたいに思えた。
「ねぇ、貴堂。貴堂はわたくし達が……お嫌い?」
「え?」
「あの、迷惑をかけてしまっている事だけは分かっています。だけど、それにしたって……あまりにも」
姫君は貴堂から顔を反らして、俯いた。
「好きとか嫌いとか、そんな事……」
よく分からない、と言いたかった。でも、言えなくて言葉が途切れる。
正直、異世界の存在は好きではないから。
理由も分かっている。
自分が異世界にコミット出来る事自体、自分のルーツに関わる事だからだ。
父の母。
貴堂にとっては、祖母とその家系が象徴である。
忘れてしまいたいあの時の記憶が蘇る。
苦々しい思いから、未だに逃げられない。
それを乗り越えられないだなんて、自分が未熟で自分が悪いのだ。それはもう認めた。
見えると言う事。分かると言う事。それが嫌な記憶に繋がっている。だから。
だから、異世界の存在は嫌いなのだ。
見えなくてもよかったのに。
見えたからと言って、いい事などひとつも無い。
自分が〈こんな〉でなければ、あんな場所に呼び出される事も無かったはずだから。