09 優しいクズ
次の日の朝、陽太に話があると電話をした。
陽太は、ちょうど朝が暇だったらしい。集合場所はあの近所の湖で。なんて言って私は電話を切った。
私と陽太が、毎年毎年飽きもせず夏休みの宿題でスケッチしてきた風景。
私が湖につくと、陽太はすでに私とよく一緒に座っていたベンチに座っていた。
「ひとを朝っぱらから呼び出すなー」
そう言いつつも、陽太は笑っている。
湖を見れば、陽の光がきらきらと反射していた。
湖らしい、草と土が混じった匂いが懐かしい。
私は、近所の小学生が走って学校に向かっていく姿を見ながらゆっくりと口を開く。
「陽太、私ね……もう、ずっとここに居ようと思って」
「おーそうかそうか」
どこかの農家が、何かを燃やしている煙がもくもくと空に上っていく。
陽太はそれにつられたのか。ポケットからタバコを取り出して、初めて私の横で火をつけた。
「実家の手伝いしながら、まぁちょっと近くのコンビニででも働いて」
「おー」
「陽太と一緒に居れたらなぁって」
私がそう言うと、陽太は急にげほげほとむせた。
「なに、お前急に……」
「……わたし、今までずっとずっと、ギブ・アンド・テイクアウトだったでしょ?」
「え? ごめん意味不明」
「今までずっと、陽太の優しさに甘えっぱなしだったってこと! 昔からずっとずっと! それに、婚約破棄されて帰ってきた今も! 陽太は誰にでも優しくていい人だから!」
「お、おう……」
陽太は、ご丁寧にも持っていたポケット灰皿に、タバコをブチ込む。
そして、ただぼんやりと湖を見つめた。
「わたし、陽太にやさしさ返ししたい」
「意味不明。さっちゃーん。ちゃんと国語勉強してから喋ってくださーい。……っていうかお前なに急にそのハイテンションな感じ。昨日までセンチメンタル極めてたくせに」
陽太は大きくため息をついた。
私は、さっきからずっと脳みその中で踊っている「好き」という言葉をどうやって伝えようか考えている。
でも、やっぱりダメ人間。
頑張ってハイテンションを気取ってみても言えないなぁ。なんて。
だいたい、私都合よすぎるでしょ。
婚約破棄されて、田舎帰ってきて、幼馴染に告白なんて。
「サチーこれからちょっと黙って俺の話聞けー」
陽太が、そう言う。
「お前なー勘違いしてるぞー」
陽太が、タバコの箱をいじりながらそう言う。
私は、何故かあの時のようにまた胸がどんと痛くなった。
「俺を例えるならなー『いい人』っていう表現より、弱ったお前に漬け込むクズっていう表現の方がしっくりくる」
「そ、そんな事な……」
そう言えば、陽太の唇が重なった。
急な事に驚き、ばっと胸板を押せば陽太は「黙って聞けって言ったのに」なんて笑ってる。
二回目のキスは、ちょっぴりタバコの味がした。
「だいたい、俺がいい人なら、お前が婚約破棄されて帰ってきた時心の底から同情する」
「でもね、残念ですねぇさっちゃん。俺はねー、心の底から『万歳!!』なんて思ったクズなんですよ」
陽太はそう言って笑った。
いつもと変わらない笑顔で。
「……サチ。俺は、お前があの東京行きの電車に乗る前に、こう言いたかった」
「『愛してる』って」
好きって言えば「おー!私も陽太の事好き!ズッ友!」なんて勘違いしそうなさっちゃんですからね。なんてわざとらしいウザ敬語で陽太はまた笑う。
私は、あの日、ホームで何も言わずにただ俯いていた陽太の事を思い出した。
「よう、た……」
「……おう」
「ゴメン……あの時はふっつーに陽太の事、幼馴染としか思ってなかった……」
「時差をつけてフるな」
あー、あの時言わなくて正解。なんて陽太は大きく息をつく。
「でも、今は陽太の事好き……恋愛感情で……アレ!? 私、なんか婚約破棄とか色々あって、東京に帰るのが嫌だからって……逃げてるだけじゃない!?」
陽太は、そう言う私に声をあげて笑った。
近くを通る軽トラが、またぷあああっと私たちに向けて挨拶代りのクラクションを鳴らしていく。
「サチ、俺の言葉忘れたか」
そして、陽太はまたあの時と同じ言葉を口にする。
何回振りだしに戻っても、何回ダメになっても。俺はここにいるから。いつでも俺を頼ればいい。俺に逃げてくればいい。と。
「東京に戻ってもいい。ここにずっと居てもいい。俺は、どこにいても、サチの事が好き」
そう言って笑う陽太。
私は母が言っていた「沼男」という言葉の意味をようやく理解した。
自分の事、クズなんて言ってたくせに。やっぱり陽太は優しいじゃん。そうか、優しいクズだね。
「俺がなー。家族になんて呼ばれてたか知ってるかー」
「……知らない」
「ネチネチネチネチ、ずーーっとサチを想ってたからついたあだ名は『ねちねっち』。お前の『結婚未遂さっちゃん』と同じ位酷い」
「……私、7年位東京いたけど……」
「逆に考えろ。お前と俺は、ここで生まれてから高校卒業まで一緒に過ごしてる。何年一緒に過ごした? 蝋燭のデカさを思い出せ!!」
三回目のキスをした。
涙をこらえるのに必死だった。
「……なぁサチ」
「はいよ」
「お前さー、あいつの事、許せるか?」
陽太は、湖をみながらぼんやりとそう言った。ま。俺はクズだからサンキュー元婚約者さん。って感じだけど。なんて笑いながら。
私は、昨日彼からものすごく長いメッセージが来ていた事を思い出して、一瞬で心が暗くなるのに気が付いた。
さっきまで、とてもいい気分だったのに。婚約破棄された話なんて、持ちだしてほしくない。
「……たぶん、許せない。一生……」
私の父が言った「きみは、まるで殺人でも犯したかのように謝るのですね」という言葉を思い出していた。
あんなに謝られても、長文のメッセージを送られても、私はやっぱり彼の罪を許す事ができない。
誕生日の事を思い出す。
また、走馬灯のようにあの人との思い出が脳内を駆け巡る。
でしょうねぇ。なんて言って陽太がまた笑う。
そして、少し何かを考えた後に、私の方を見た。
「俺は、別にそれでもいいと思う」
「……そうかなぁ」
「ひとはさ、いろんな事許して。そんで、いろんな事許されて生きるけど。流石に度が過ぎてるっていうか」
「……おう」
「ほら、サチが給食の時俺のお気に入りのチーズパクったのが『許せないレベル100』だとしたら」
「結構高い」
「あいつのした事は『許せないレベル五万億』くらいか」
若干のインフレ感のある「許せないレベル」
それでも、確かに、それ位の「許せないレベル」だよなぁ。なんて私はあの人の顔を思い返しながら考える。
「俺は、お前にあいつのした事を許せって言うつもりはない。でもなぁ、サチ」
私は、陽太がなんと続けるのだろう。と思って陽太の顔を見る。
彼は、ずっとずっと一緒にいたなかで、一番格好の良い笑顔を見せた。
「俺は、自分の好きな女が、誰かへの『憎しみ』を抱き続けてるような悲しい人生を送ってほしくない」
私は、言葉を失った。
「あいつを見返すために、もっと綺麗になってやろう。とか。あいつを見返すために、もっといい男と付き合おうとか。それで、いつか『私を選ばなかったあなた、可哀想に』なんて後悔させてやろうとか」
「そういう人生を送ってほしくない」
きっと陽太がいなければ、私はそんな人生を歩んでいただろう。
虚しくて、いつも彼への憎しみを心に抱いたそんな人生を。
「人間の脳みそのポンコツっぷりなめんな。いつか絶対、悲しい事も苦しい事も風化していく!! 特にサチ、お前の脳みそ記憶量の少なさ、ヤバいからな!」
「ちょこちょこディスるな」
「でもな、憎み続ければ嫌でもそいつのこと、思い返す。ハイ、忘れられません!」
なにこのハイテンション説教?
そう思いつつも、陽太の言葉に耳を傾ける。
「あいつは『許せないレベル五万億』の大罪人!! だから、簡単に許す必要はない!!」
「お、おう」
「でも、憎むな」
陽太は、そう言って笑う。
私は、陽太に出会えて良かったと、いま、心の底から感じている。
「そいつのために脳みそ使うくらいなら、俺との思い出を残せ!!」
突然飛び出すとんでもない名言に、私は思わず笑ってしまった。
婚約破棄をされた時は、まさかこんな数週間後に、笑えるようになっているなんて思っていなかった。
そういえば、陽太は恥ずかしい事を言う時キレ気味になるんだった。なんて、そんな癖を今さら思い出して何だか嬉しくなる。
「でもなぁ、やっぱりこう、ちょっとした復讐がないとスッとしないだろうから……年賀状を送れ」
「……何その発想?」
「年に一回だけ、すっげぇ幸せそうな写真と共に、そいつへの恨みつらみを書いた年賀状を送れ! ざまぁみろこんなに幸せになったぞってな。一年に一回、年賀状を書くときだけ憎むことを許そう」
陽太は、ばっと立ち上がる。
そして、湖に背を向けて。つまりは私と向き合うようにして立った。
「年賀状の写真は二種類のうちから選べ! 一番!お前が東京でゴージャスなブランド品に囲まれてる写真。 二番!こんなモッサい田舎の写真!でも二番を選べば……俺が絶対にサチの事を幸せにしてみせるから、スゲーいい笑顔の写真が送れるなんていうオプション付き!!」
どっちにする?もう、俺やけくそ感半端ないけど。
そう言って、陽太は笑った。
勿論、私がどちらを選んだかは言うまでもない。
*
その冬、私は陽太と一緒に撮った写真で年賀状を作った。
年に一回の憎しみ発散チャンス。私は少し風化してしまった彼との思い出を懐かしく思いながらペンを取る。
「書けた! あいつは受け取るがいいよ! 私の一年に一回の恨み言をな!」
私がそう言えば、陽太は、後ろから覗きこんできた。そして私の書いた文字を見て「うわっ」と顔をしかめる。
いや、トラクターに轢かれて死ね!!なんて言ってた時に比べればマシでしょ。なんて言えば、陽太は笑う。
私は、こたつの温かさにぬくぬくとしながら、陽太と撮った写真を見た。
彼の約束通り、私はとてもいい笑顔をしている。
ちなみ、私が彼に送った恨み言は「お前をブチ込む刑務所を作りたい」というものである。