07 ダメ人間
午前五時。
私は結局その時間まで陽太の部屋でぐだぐだ泣きながら、24歳までの自分についての話をしていた。ちょっぴりお酒なんか交えながら
陽太はそれに相槌を打ってくれたり、時々ボケてくれたり。
ようやく家に帰る。なんて言えばもう午前五時。
今日は曇っているためか、まだそこまで外は明るくない。
鳥の声が聞こえる。
少し遠くにある寺の鐘の音が聞こえる。
田んぼから虫の音が聞こえる。
東京では、聞く事のできなかった音だ。
私は、陽太の家から歩いてそこそこの時間がかかる私の家に向かって足を進めていた。
陽太は優しいので、勿論私を送ってくれている。
まだ私、酔いが残ってるんだろうね。
ちょっと足取りがふらふらしてる。
どこまでも真っ直ぐ伸びる、道路の白線の上を歩いた。
まるで綱渡りみたいに。
ときどき、おおっとバランスをくずせば、陽太がわざとらしく手を取ってくれた。
この白線は、人生みたいだ。なんて謎のポエムワードが、私の頭の中に出現。
そう、この長い白線は、人生みたいだ。
どこまでも続いてるみたいだけど、どこかに終わりがあって。
そして、私は今みたいに綱渡りしていて。おおっとバランスを崩せば、陽太が私を支えてくれる。
「陽太」
「おー」
陽太の家を出た時に比べて、随分周りが明るくなってきた事に気がついた。
朝の、少し冷たい風が私の髪を揺らす。
私の横を歩く陽太は、ちらりと私を見た。
「オールナイトで、愚痴聞かせちゃってごめんね」
「おー。慣れてる」
「陽太って、……優しいよね」
そう呟けば、陽太は「そーかなー」なんて適当な返事をした。
「私、よくよく考えれば、東京にいた時も辛い時とか、一杯陽太に電話してたよね」
「……まぁな」
婚約破棄された夜は、流石に電話できなかったけど。
結局、この田舎に帰ってきて私は陽太にぐたぐたと甘えている。
「ねぇ陽太」
「おー」
「わたしね、東京で、うまくやってたつもりだった」
「……おう」
「大学時代から、ずっと同じ人と付き合って。皆に羨やんでもらって。婚約までして。私の人生、うまくいってるつもりだった。でも、でも全部もうだめになった」
でも、ほんの少しの過ちで、私の人生は変わってしまって。
私の東京で過ごしたあの時間は一体なにだったんだろう?
「あの人は、いいよね。相手もいるし、子どももいるし……でも、でも私はまた振りだしから。また、いちから」
「ねぇ、どうしてなの」
「……返してよ。私の時間、返してよ……」
頬を涙が伝っていく感覚がする。
私は、結局また陽太の前で泣いてしまっている。
陽太は、白線の上に落ちる涙に目線を落とした後、またじっと私を見た。
昨日の夜から何度も何度も繰り返した恨みごと。
陽太は、昨日の夜からずっと何か言いたげな表情で私を見るだけ。
私の横にはただただ果てしない田園風景が広がっている。
同じ道を通る近所の高校生が「よーちゃんおはよー?」なんて言って、ちょっと申し訳なさそうに陽太に挨拶をして、横を通り過ぎていく。
陽太、私もう歩けない。もうどうすればいいか分からない。
なんてポエミーな事を言って白線の上にしゃがみこんでみる。お尻を地面に付ける勇気はなかったけど。
大丈夫、ここは田舎だから。
こんな時間に車通りは殆どないし、あったとしてもぱああっと挨拶代りのクラクションが鳴るだけ。
「サチ」
そう言って、草太は私と向かいあうようにしてしゃがみこむ。
そして、私の泣き顔を見て「ブス」と笑って言ったあと、また口を開いた。
「東京に帰るか、ここに残るか。お前はどうするつもり」
陽太は、そう言った。
私は「分かんない」なんて適当な言葉をまた口にする。
お前の人生だし、俺は特に何か口出すつもりもないけど。陽太は、涙を親指の腹でぐっと拭いながらそんな前置きをする。
「何回振りだしに戻っても、何回ダメになっても。俺はここにいるから。いつでも俺を頼ればいい。俺に逃げてくればいい」
陽太って、昔からホントにダメ人間製造機だよね。
陽太が作り上げたパーフェクトダメ人間幸恵。
陽太はとても優しいから、辛いこと、悲しいことがあったらすぐに声をかけてくれる。そんな陽太に甘えて。毎度毎度、ダメ人間っぷりに磨きがかかっていく。
だいたい、今だって、こんな風に白線の上にしゃがみこんで。陽太に慰めて貰って。本当に陽太にいつまでもいつまでも私は甘えている。
25歳だよ、わたし。もう高校生じゃないんだよ。
「陽太、わたしってなんでこんなにダメ人間なの」
「……おー。急にどうした……」
「……陽太」
陽太と、ばっちり目があった。
昨日、彼の瞳の中で揺れていた蝋燭の炎を思い出す。
陽太の熱っぽい瞳から、目が離せない。
陽太は「サチ」と小さく私の名前を呼んだ。
「陽太はほんとうに、ずるいんだよ。失恋した女の子に優しくしちゃだめ、って習ったでしょ!!」
「習ってない。文部科学省、カリキュラム見直し決定」
「こんな時に優しくされると、どんどん私、ダメ人間になる。陽太に甘えてばっかりのダメ人間になる」
陽太の目が少し細くなる。
そして、その口は「ダメ人間ばんざい」なんてほざくのだ。
かかとをちょっとあげて爪先に力を込める。
ほんとにねぇ。もうねぇ。
25歳の夏の終わり、はじめて陽太とキスをした。
世界で一番だめな事をした気分。