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05 どうぞお幸せに

 次の日、彼が「幸恵さんを僕に下さい」なんて古臭い事を言ったあの日と同じ場所に、私のクソボケ元婚約者は座っていた。


 目の下のクマがひどい。それは彼の両親もだが。

 きちんとした正装。あの頃は隣に私が座っていた。なんて考えながら。



 畳の間は井草の匂いに溢れている。

 そう言えば、昔はここでよく転がって寝ていたな。なんて私は目の前で畳に額をこすりつける彼の姿を見ながら考えていた。




 彼が言った内容はこう。


 結婚を約束していたのに、それを裏切ってしまったという事。

 お酒の勢いで一夜を共にした女性との間に、子どもが出来たという事。

 きみが望むのなら、お金はいくらでも払うと。本当に、本当に申し訳ない。と彼は涙を流しながら何度も何度も言った。



 相手の名前は、ちらっと聞いた事がある程度の人だった。

 確か、クソボケ元婚約者の会社の人だった気がする。




 彼は、いつもいつもちゃんとお酒の量を自分でコントロールをしていたのに。

 ぐてぐてになるまで飲んでしまう私に「もうやめなよ」って、笑って叱ってくれていたのに。


 バカじゃないの。本当に。




 昨日、陽太と話して、少し元気が出たと思っていたのに。

 このクソボケ!トラクターに轢かれて死ね!!なんて言えると思ったのに。


 私は、なにも言えずにいた。



 彼のお母さんは、とても綺麗な人だった。

 前に会った時、美魔女なんて私がこっそり彼に耳打ちすれば、彼は笑っていたっけ。

 美魔女さんも、化粧しなきゃ意味ないよ。せっかくの美人さんがそんなに涙して。


 彼のお父さんは、無口な人だった。

 私が話しかけても、ぼそと返事をされるだけ。

 なのに、悲痛な声で何度も何度も私たちに頭を下げ、謝罪をしている。

 



 時間が巻き戻せる魔法が使えるなら、いま使いたい。

 彼が罪を犯す前の日に戻りたいのではない。

 彼と出会う前に戻りたい。


 数日前まで大切だった人の、

 こんな姿を私は見たくなかった。




「きみは、まるで殺人でも犯したかのように謝るのですね」


 僕は田舎でのんびり育ってきたから、ひとに怒るのが苦手です。

 と前置きをした後に父が言った言葉がそれだった。


 彼は、涙を零す。



「僕は、もしきみが形だけ謝りにきたのなら殴るつもりでした」


 殴るの、苦手ですけどね。父はそう付足す。

 隣の母の嗚咽がうるさい。



「きみと幸恵は、まだ結婚をしていません。結婚を約束した仲だっただけです」

「でもきみは、まるで殺人でも犯したかのように、謝るのですね」


 父は、確かめるようにそう言った。

 最近ちょっとふっくらの度合いが過ぎてきた父。どう考えてもあの高カロリーメニューのせいだろう。

 彼は、何も言えずに少し俯いて、また私の家の畳を涙で汚した。



「僕はこれ以上、きみに何かを言うつもりもありません」

「ただね。きみに子どもが生まれた時、きみの子どもが嫁ぐ時、思い出して下さい。今日の事を」


 父の言葉は、凄い威力を持っていたらしい。

 彼も、彼の母も、彼の父もぼろぼろと涙を零した。





 母が、幸恵。と私の名前を呼ぶ。

 私に、何か言えとのことだろう。



「どうぞ、お幸せに……」


 乾いた口からこぼれ出たのは、そんな言葉だった。

 彼の幸せなんか、これっぽちも祈っていないのによく言えたもんだ。







「うえええええええええ、もう無理いいいいいいいいいいいい」


 そう言えば、私の前を歩く陽太はかなり嫌そうな顔をした後にくるりと振り返った。

 昨日「これから、毎日夜に会いにくる」なんていう約束通り、陽太はちゃんと私の家にやってきた。

 そして、昨日と同じように夜の道を歩く。



「おいサチ、お前何急に……」

「無理いいいいいいいいいい」


 田舎だけど、一応声は抑える。

 陽太はもっていた懐中電灯でぱっと私の顔を照らす。



「おま、バカか!! 泣くなよ!!!」

「だって!!!!」


 私の涙に気づいた陽太は、くるりと振り返り、私と向かい合うようにして立った。



「……今日、そんな酷い事言われたか?」

「……違う……」

「だったら、なんで泣く……」


 陽太は、少し困った顔をしてそう言った。当たり前か。こんなメンヘラみたいに泣かれて困らない訳ない。

 どうして泣いているんだろう。

 自分で自分に問いかけてみる。返ってきた答え:なんか分からないけど涙がでるんです。



「……お酒に酔った勢いで、会社の人と子ども、できちゃったんだって」

「おーおー、そんな男別れて正解。ホラ、ヤッター!」

「……違うよ。あの人、いっつもお酒の量、コントロールしてたし」

「……じゃあなんでそんな、過ちを犯した……!?」

「知らないよー!!!! 助けて高校生探偵ー!!!!!」


 そう言えば、陽太はぷっと少し笑った。

 そして、じゃあ25歳探偵が推理してやろう。なんてわざとらしいもの言いをする。



「うーん。その相手の女が、お前の元婚約者の事好きで、ベロベロに酔わせて誘ったとか?」

「昼ドラじゃん!!」

「……じゃあ、なんかこう、バーで飲んでるうちに、マスターが、こうすっげぇ強い酒勝手に入れちゃってて二人でワンナイトラブみたいな?」

「バーのマスターってそんな事するの? 極悪人……」

「知らん。俺、バーなんか行ったことないもん。妄想で言ってみた」


 確かに田舎にバーはない。

 25歳探偵は続ける。



「ほんっとーにただ、ちょっと飲み過ぎてやらかしただけなんじゃ?」

「……なんか……もうなんでもいいや……」


 私がいつもぐてぐてにまで酔ってしまうバカだから、あの人がちゃんとコントロールできるように見えていただけなのかもしれない。

 それか、彼は私の前ではあまり飲まないようにしていただけで、会社の付き合いなんかでは結構飲むタイプだったのかもしれない。


 情けないよなぁ。結婚まで約束していたのに、そんな細かい所まで分からないや。



「とりあえずサチ。泣き止め……ブ、ブスー」


 陽太はそう言うものの、私の涙は全く止まる気配がない。

 流石の陽太もこれにはお手上げの様子。



「あーもう。タオル貸してやるから」

「……持ってるの?」


 陽太は、腰の辺りにつけていたウエストポーチをがさがさと漁っていた。

 ウエストポーチなんて、ダサいね。なんてわざとらしく咎めてみる。このウエストポーチ、陽太が作業する時につけるものだってちゃんと知ってるんだけど。



「あった。はい、俺に感謝ー」


 そう言って差し出されるタオル。

 陽太が使ったのはやだなぁ。なんて言えば、陽太は呆れたように未使用ですけど。なんて言った。


 タオルを受け取って、涙を拭きとる。



「……陽太の家の匂いがする……」

「正しくは、俺の家の洗剤の匂い」


 ……懐かしいな。この匂い。

 私はリンリンシャンシャンうるさい田舎虫の声を聞きながら、懐かしい匂いに目を細める。

 そう言えば、陽太に貸したものは全部この匂いで返ってきていたし、高校時代、陽太の自転車の後ろに乗れば、いつもこの匂いがしていた。


 私が泣いた時、いつも陽太はダサいタオルを貸してくれた。

 いまいち慰めきれてない言葉と共に。



「……そういえば、私、泣いたときいつも陽太が慰めてくれたよね」

「さっちゃんのおもりは慣れてまちゅからね~」


 うっざい表情を浮かべながら、陽太がそう言う。

 うざい!なんて言い返そうとした時、急に陽太はきっとした表情で私を見た。



「サチ」

「……あい」

「……慣れてるから、泣くなら俺の前で泣けよ!?」


 いつもキレ気味に恥ずかしい言葉を言ってくる陽太の癖も懐かしくて、何だかまた涙が出てしまう。

 私、いつも陽太にこうやって甘えてきていたな。どんなに辛い時でも陽太の明るさに励まされていたな。


 涙腺が弱いのは、かーちゃん譲りかな。

 こっちに帰ってきてから、泣かないように自分に魔法をかけていたつもりだったんだけど。

 陽太の前ではそんな魔法も簡単にとけてしまう。12時でもないのに。


 陽太は未だ泣きやまぬ私から少し視線を外す。

 そして、また私をばっちりと見つめて口を開いた。



「サチ。俺の胸、5万で貸してやる」

「高い」

「……じゃあタダで」

「出血大サービス」


 私がそう言って、陽太を見上げて笑えば、陽太も眉を下げて笑った。

 私はぎゅうっと陽太に抱きついてみる。


 暖かい、陽太の匂いがする。


 回すか、回すまいかとふらふらと空を切っていたらしい手が、ゆっくりと覚悟を決めたように、私の腰をゆるりと包む。



「なんか」

「うん」

「高校の時と」

「うん」

「……ちがうね」


 私がそう言えば、陽太は「でしょうねぇ」なんて言って笑った。


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