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04 ヤッター

「おーーーーい、サチーーー」


 そんな声が聞こえたのは、夜の八時過ぎの事だった。

 私は何をする事もなくぼんやりと天井のシミを見ていただけだったので、陽太の声によってようやくこんなにも時間が経っていた事に気がついた。



 ばっと起き上がり部屋の扉を開ければ、一階から母が「さっちゃーーーーん、陽太くん来てるーーーーー」と大きな声を出した。


 それにあいあいと返事をして、階段を駆け下りていく。

 玄関を見れば、「おーっす」と手を挙げる陽太の姿が。



「……来るって言ってたの、本当だったんだ」

「おー」


 そう言うと、陽太は母に向かって軽く頭を下げた後に外に出ていく。

 健康サンダルに足を突っ込み、その背中を追えば外はもう随分と暗くなっていた。



 私は扉をがらがらと閉める。

 陽太は高校三年の頃から、よくバイクや軽トラを自分の足にしていたが今日は普通にここまで歩いてきたらしい。家の前には何も止まっていなかった。



「お前のかーちゃん、大丈夫かマジで……」


 私の母の顔を見て、一瞬で同情したらしい彼は私に向かってそう言う。

 さぁ。なんて適当な事を返せば、陽太は右の方を指さした。こっちに行こう。という事だろう。



「うちのかーちゃん、心配してたぞーお前の事」

「うわー、噂の回る早さよ」

「最近、引っ越してきた奴が会長に挨拶してなくて。最近はその話題で持ち切りだったけど、今日からはサチの事で持ち切りかなー」


 そう言って、冗談っぽく陽太は笑ってみせた。


 流石田舎。

 本当に、田舎で暮らそう!みたいなアホ番組に吊られて田舎にやってくる人の心理が分からない。

 人間関係が煩わしいから、のんびり田舎暮らしがしたい?一回考え直した方が良いといつも思う。どう考えても、田舎の方が人間関係めんどくさいから。



 陽太が手に持っていた懐中電灯で夜道を照らす。時々申し訳程度にある街灯だけではどうにも危ないので。



「婚約破棄、されたらしいなー」

「……おー」


 陽太が、道端にあった石を蹴った。

 田んぼからはクソうるさい田舎虫と、カエルのオーケストラが私達の夜の散歩に花を添えてくれている。



「それって、こう、アレ? 結婚無しみたいな?」

「だいせーかーい」

「へー、お前、色気ないから浮気でもされた?」


 陽太は冗談のつもりだったらしいが、すっかり黙ってしまった私を見て「……マジでゴメン」と結構本気で謝ってきた。

 舗装されきっていない道を歩くから、健康サンダルの間に時々小さな石が入る。

 じゃりっとしていて鬱陶しいなぁ。なんて思いながら、私はまた口を開く。



「相手に子どもが出来たから」

「……お前、結構重めの話持ってくるなぁ……」


 陽太は、足元を照らしていた懐中電灯を自分の胸の辺りまで持ってきて、遠くまでを照らした。

 時々こうすれば、この先の道にイノシシなどがいないかをちゃんと確認できるから。

 まぁ、私が生まれて恐らく1万回は通ったこの道で、イノシシに出会った事は数回なので今日出会う事は無いだろうけど。



「……相手は?」

「知らなーい」

「……何でそうなったかとか」

「知らなーい」


 だって、本当に何も知らないんだもん。

 車の通る大通り(田舎基準)に出た私と陽太。

 陽太はぱちりと懐中電灯の明かりを消し、何か言いたげな表情で私を見た。



「お前なー……」

「『子どもできた! 婚約はなかったことに!』しか聞いてない、本当に」

「それで納得してこっち帰ってくるか?」


 ありえねー。と陽太の横顔が語っていた。

 本当に、ありえないよねぇ。なんて自分で自分に語り掛けてみる。


 陽太は少し先にある自動販売機を指さした。

 大人二人が散歩して向かった先が自動販売機。東京ではありえない事だ。


 自動販売機を見る。

 夜の自動販売機には虫がわんさか寄っている。

 私は蛾が嫌いなので、べったりと張り付く蛾から少し距離を取った。


 陽太はポケットから小銭を取り出した後に、軍手も取り出す。

 どうして軍手をはめるか。答えはただ一つ。コインの投入口や、ジュースの取り出し口に虫が居たり、クモの巣が合って手が汚れやすいため。田舎に住んでいるうちに身につくどうでも良い知識その1だ。


 私に何を飲む。なんて聞かずに陽太は勝手に私に「ホワイトウォーター」というものを買っていた。

 ペットボトルなのに100円。とんでもない破格設定である。ちなみにいつもちゃんと賞味期限を確認してから飲む。

 陽太は、缶コーヒーを買った後に、押し付けるように私に「ホワイトウォーター」のペットボトルを手渡した。



 二人座ればぎしっと嫌な音を立てる安っぽいベンチに腰掛ける。

 自動販売機の横のベンチ。これが私と陽太のたまり場だった。たまり場がコンビニですらない寂しさよ。



 ほぼ車通りの無い道を見ながら、二人でこつんとペットボトルと缶コーヒーで乾杯。



「……明日、あのクソボケとか、ここ来るみたい」

「おーおー、修羅場か。……っていうかお前の父ちゃん怒ったりする……か?」

「さー? 怒ってるとこ、見たことないけど……」


 父は、あのクソボケ元婚約者に怒るのだろうか?

 そんな事をぼんやりと考えていた。

 ……父はとても優しい人だから。怒る姿なんて想像できないなぁ。



「っていうか、他に子どもできたってマジで何様? ……どうしようすごい、腹立ってきた」

「おー、まぁ俺で良ければ聞きます」


 突然の謎敬語は軽くスルー。

 そう言えば、高校時代は、陽太も一緒にこのホワイトウォーターを飲んでいたのに。缶コーヒーなんか飲んじゃって。なんて思いながら私は口を開く。



「婚約破棄されるまではちゃんと結婚の事とか色々考えてたし」

「おー」

「結婚式の話とかもしてたのに」

「おー」

「なのにご覧の有様!!! なにこれマジで!?!?」


 前の道路を軽トラがのろのろ走っていく。

 私と陽太に気が付いたらしい。挨拶代りにクラクションをキメる。

 それに大きく手を振る、私と陽太。



「あんなクソボケ、トラクターに轢かれて死んだらいい!!!!」


 陽太は、私のその言葉にゲラゲラと笑った。

 


「東京行って、大学でも頑張って、会社でも頑張って。ようやく結婚って思ってたのに。いきなり、何か、こう、振りだしに戻った感じ。とーちゃんもかーちゃんも凄い落ち込んでて……」


 母と父の事を思い出せば、何となくそれ以上言葉を紡げなかった。

 陽太は、コーヒー缶のラベルをぼんやりと見ている。

 そして、立ち上がり、コーヒーの缶をゴミ箱にぶち込んだ。そして「サチー」なんて言いながらまた私の横に腰かける。



「お前なー」

「……おう」

「もっとポジティブになれ!!!!」


 婚約破棄をされた女に向かって、こんな言葉をかける男がいるか?



「婚約破棄されたからって、死ぬわけじゃあるまいし」

「お、おう……?」

「こう、何事もヤッター!! って捉えたらもっと楽になるはず!!」

「お、おう……?」


 困惑する私を横に、陽太はバカっぽい笑顔でもを見せているのかと思いきや、案外真顔だった。



「結婚してから隠し子見つかれば、もっと泥沼化してたはず。だから今見つかって良かったね!! ヤッター!! はい、復唱」

「ヤ、ヤッター!」


 もの凄く棒読みな私を横に、陽太はまた真顔で口を開く。

 どうにも、私はヤッター担当らしい。



「だいたい、他の女と子ども作るような男との結婚生活が上手く行く訳がない。だから婚約破棄してくれて良かった!」

「ヤ、ヤッター!」



「まだ24歳!! 相手なんかどこにでもいる!!」

「いや、」


 どこにでもいる事はないかな。なんて突っ込みかければ、陽太はばっと私を見た。

 すっとした目が私を見る。その目は「ヤッター」と言え。と語っていた。

 私は、若干不服に思いつつも「ヤッター」と口にする。



「田舎の空気、美味しい!!」

「ヤッター!」

「都会の空気、不味い!!」

「ヤ、ヤッター?」


 どことなく漂う、ネタ切れ臭。

 それでも、陽太はまだヤッター祭りを続ける。



「婚約破棄されたって事は、次また新しく恋愛できるってこと!!!」

「ヤッター!」

「婚約破棄されても、生きてる!! 生きてるだけで大勝利!!」

「ヤッター!!!」


 最後の方は二人とも若干のやけくそ臭が漂っていた。

 二人して、顔を見合わせた後に「何なのこの儀式」なんて笑う。


 陽太とこんな風にバカみたいに笑うのは久々だった。

 東京に出るまで、私はずっと陽太とこんな風にしてバカなことばっかりして笑ってきたなぁ。なんて事を思い出す。



「サチ」

「……あい」

「これから仕事終わったら、毎日夜会いにくる」

「……なぜ?」

「お前、ずっと家に居たら思い詰めて死にそうな予感がするから」


 陽太はそう言って笑った。

 確かになぁ。死んじゃうかもなぁ。なんて納得してしまう私よ。

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