ワンダーランド
たまには『楽しい小説』を、と言う事で……
次が何時になるかは解りませんが、読んでもらえれば幸いです。
かつて、日本には『鬼』と呼ばれた怪物がいた。
姿形こそ人間に似ているものの、その身体能力は人間を遥かに上回り、人間の暮らす街で暴虐の限りを尽くした。
金銀財宝を山程奪い取り、『鬼ヶ島』と呼ばれた鬼の住む島に持ち帰った鬼達だったが、突如現れた『桃太郎』と言う名の人物に沢山の鬼が殺された。
財宝を奪い返された鬼達は人間の力を侮っていた事を後悔した『和平派』と、己の力を過信する『過激派』の2つの勢力に分かれ、それぞれが人間と違う付き合い方をする様になる。
人間達の暮らしが進歩するにつれ、『和平派』は数を増していき、鬼と人間が手を握る社会が遂に実現。さらに時は流れた……
「ようこそ、ワンダーランドへ!ワンダーキャットの風船はいかがですか?他にも沢山の種類の風船を御用意しております」
青木紀子は東京都にある『ワンダーランド』の玄関口『メインアーケード』で風船の販売を行っていた。
ここは子供も大人も童心に帰れる夢に溢れた場所。平日であるにも関わらず大勢の家族やカップルが通りを歩いている。
「ママー。あの人お肌が青いよ?」
従業員の制服を着た紀子の姿を見た男の子が彼女を指差しながらそう言った。
「だ、駄目よそういう事を気軽に言っちゃ!……すみません。ウチの子、鬼を見た事が無いものですから」
「いえいえ、気にしないでください。慣れてますから。それよりボク、この風船欲しくない?」
青色の肌、金色の髪、銀色の瞳と頭に二本の角を持つ少女は、子供に対して満面の笑みを浮かべる。
「うん、欲しい!」
「おいくらですか?」
母親がはしゃぐ子供を気にしながら紀子に声をかけた。恐らく、先程の息子の発言で引け目を感じているのだろう。
「1個、500円になります。ヘリウムガスが充填されていますので、くれぐれも紐を離さない様にしてください」
ワンダーキャットの恋人、キュートちゃんの風船を受け取った男の子は紐を振り回して喜んだ。
「わーい!キュートちゃんだ、キュートちゃんだ!」
その瞬間、男の子はうっかり紐を離してしまう。紀子はその瞬間を見逃さなかった。
あっと言う間に上昇していく風船を凄まじい跳躍でキャッチする。10メートルは飛んだだろうか。
何事も無かった様に地面に降り立った紀子は、子供に風船を渡すと微笑んだ。
「今度は離しちゃ駄目だよ?」
「うん、凄いんだねお姉ちゃん!まるでヒーローみたい!」
鬼の身体能力を目の前で見せ付けられた子供の母親や周囲の人々は、呆然としたまま暫く動く事が出来なかった。
平安時代、『桃太郎』に退治された鬼達は、人間との共存を模索し始める。
江戸時代に入ると開国よりも先に鬼と人間との協定を結び、鬼を差別しない。人間を襲わないと言った約束事が取り決められた。
そして現代。鬼ヶ島は『鬼界島』と言う名に代わり香川県に属する島と認定。
約1万人の鬼が暮らす島から上京し、都会で暮らす鬼も現れた。
紀子もその1人で、地元の高校を卒業後上京。千葉県のアパートで暮らしながら『ワンダーランド』で働いている。
「キコ姉ちゃん!やっぱりココにいたんだ!」
聞き慣れた声に対して振り向いた紀子は、小林家の面々を見て驚いた。
「あれ、小林さん。今日はお仕事じゃ無いんですか?」
「家族サービスだよ。上に頼み込んで有給を貰ったんだ。いやぁ、それにしても凄い人だかりだねぇ」
眼鏡をかけた温和そうな中年男性は、同年代の女性と娘、息子を連れていた。
「日曜日だともっと混みますよ。ココはほぼ年中無休で稼働してますからね。風船、如何ですか?」
「紀子ちゃんには何時もお世話になってるからね。ウチの健太郎や彩香と遊んでくれてるんだって?」
小林家の大黒柱である父親は印刷会社の課長を務めており、平日の昼は仕事に出かけており不在の時が多い。
1000円を渡して2個の風船を受け取った父親は、高校生の娘と小学生の息子に風船を手渡した。
「お父さん、もう私子供じゃないんだから風船なんて……」
「何言ってるの。ワンダーランドに行くって決まった時、一番喜んでたのは彩香じゃない。
ちゃんと青木さんにお礼を言いなさい。何時もお世話になってるんだから」
母親に窘められた小林彩香は、嫌な顔をしながらも渋々頭を下げた。
彼女は紀子の事が嫌いでは無いのだが、頭ごなしに上から物を言われると反発したくなる反抗期の真っ只中にある。
小林健太郎の方はワンダーキャットの風船を受け取り有頂天になっていた。
「ねえキコ姉ちゃん!何処が一番面白いと思う?」
「そうね、『オリエントゾーン』は面白いんじゃないかしら。黄金の天守閣を持つ大きなお城があるわよ」
お城と言う言葉を聞いて目を輝かせた子供の手を引き、母親が紀子に声をかける。
「お仕事の邪魔をしちゃ駄目よ。行きましょう……休みの時はまた宜しくお願いします」
「私が好きで遊んでるだけですから。気にしないでください」
手を振る健太郎に対して、笑顔で手を振り返して応える紀子。彼女はこの1日が小林家にとって素敵なものになる事を祈っていた。
鬼の身体能力は、人間のそれを大きく上回っている。
最大で20メートル真上に跳躍し、約時速100kmで走る事が出来る強靭な脚力。
視力は平均5.0。1トンの鉄の塊を持ち上げ、トラックに跳ねられても無傷と言う驚異の耐久力。
人間とは似て非なる恐ろしい怪物が1万人もいると言う事実に対して国際社会も警戒を強めてきた。
特にアメリカ合衆国は小型の核ミサイルを鬼界島に落とそうと言う計画を直前まで進めていた程で、それが抑止力となり『過激派』の勢力を弱める事に成功している。
紀子自身としては人間と鬼は解り合えると言うスタンスを貫いており、多くの人間と友好関係を築いてきた。
「お疲れ様。今日も付き合ってくれないかい?」
午後10時。テーマパークでの業務が終了した後、大柄な男性が紀子の近くにやってきた。
その後ろには胸こそ大きくは無いがスタイルの良い小柄な女性がいる。この2人も『ワンダーランド』の関係者だ。
「ええ。近くの居酒屋で良いですよね?」
紀子達は仕事を終えた後、居酒屋で他愛の無いお喋りをしてからそれぞれの自宅に帰るのが日課になっていた。
「今日、新しいバックダンサーの子が入ってきたんだけどさ。かなり上手かったよ。相当レッスンを積んでたみたいでね」
居酒屋の4人用防音個室に入った紀子達は、酒と少量の料理を前にしながら会話を楽しんでいた。
「眞鍋さんから見ても凄いんですか?」
「私の後輩の子だよ。ダンス教室に子供の頃から通ってたから体幹がしっかりしてるんでしょ」
無精髭を生やした中年男性と若い女性。親子程も歳が離れている2人だったが、共通の仕事に就いていた。
眞鍋俊哉と奥田日和。ワンダーランドのスーツアクターだ。
スーツアクターとは、キャラクターの人形に入って演技を行う、『究極の裏方』とも言える職業である。
特撮作品やテーマパークにはこのスーツアクターの存在は絶対に欠かせない。
特にワンダーランドのキャラクターのスーツアクターは激しく踊る、キャラクターの演技をする等の高い技術力を求められる。
眞鍋も奥田も『ビバ!マジック』と言うワンダーランド内で1日2回行われるショーのスーツアクターを担当していた。
「俺も歳だな。あんなに軽々とこなしてる子を見てると、羨ましくなっちまってさ」
眞鍋は今年38歳。ワンダーランドの開園当初から18年間殆ど休まずに『アイアンベアー』のスーツアクターを任されている。
週4日、計8回のステージをこなしているが、歳を重ねてもそのダンスに肉体の衰えは見られない。
眞鍋が古株だとすれば、奥田は新しくやってきた『新参者』だった。
今年で紀子と同じ20歳。2年前に『キュートちゃん』のスーツアクターを務め始めたが、その実力は眞鍋も舌を巻く程だった。
「眞鍋さんにも頑張ってもらわないと。私なんかまだまだです」
「いやぁ。日和ちゃんはキッチリやってると思うよ?
こうやってどんどん若い子が出てきて、子供達が知らない間に中身が代わっていく。そういう世界だって解ってるけど、そう考えると辛い仕事だね」
スーツアクターの哀しみは、筆舌に尽くし難いものがある。
日々地獄の様な暑さと化した着ぐるみの中に入り、激しいダンスをこなす。
けれど誰にも『自分』を評価してはもらえない。自分がキャラクターの中身である事を一般人に明かす事は完全なタブーだからだ。
そうこうしている内に引退する時が来る。引退しても死ぬまで過去の栄光を打ち明ける事は出来ない。
そんな苦しみに耐えて眞鍋が何故この仕事を選んだのか、紀子は前に聞いた事があった。
『そうだなぁ……ダンスは出来るけど容貌が微妙な俺だからって所もあるけど、一番の理由は子供達の笑顔が見れる事かな。
目を輝かせて俺達を見ている子供達の姿を見ていると、幾らでも踊ってやろうって気持ちになるんだ』
奥田日和も当初は普通のダンサーを志していたが、顔が地味と言う理由からスーツアクターを選んだと言う苦い過去を持っている。
「紀子ちゃんも毎日不平不満を全く言わずにずっと立ってるじゃない。
私達は皆の笑顔の為に頑張ってるのよ。その為だったら、どんな苦労も乗り越えてみせるわ」
ワンダーランドの従業員とスーツアクターは知り合って仲良くなる場合が多いが、中身の秘密を一般人に暴露してはならないと言う鉄の掟が存在する。
過去にその掟を破った仲間がいたが、社会的に抹殺され、音信不通になってしまった。
紀子はそういう『人間社会の大きな裏の力』を知っているからこそ、鬼が人間に反旗を翻してはならないと思っていたのだった。
数日後、休みの日に自室で掃除をしていた紀子のもとに小林家の子供2人がやってきた。
「キコ姉ちゃん!外で遊ぼうよ!」
「すいません、何時も何時も無理言っちゃって……コラ、健太郎!紀子さんは掃除してるのよ」
季節は冬。2人共厚手のコートを着て毛糸の帽子、手袋をはめている。
一方紀子の方は寒さも慣れたもので、冷たい風が部屋に流れ込んでいても長袖のシャツだけで平然としていた。
「寒くないんですか?」
「鬼は暑さも寒さも平気だからね。私の地元はマイナス20度を記録した事もあったけど、それでもこの恰好で通せるから」
掃除機をかけながら玄関先で話していた紀子は、寒いだろうと思い2人を中に招き入れる。
「あと30分位で掃除も終わると思うから、ゲームでもして待ってて」
そういうと、紀子は鼻歌を口ずさみながら本格的に掃除を再開した。
「雪が降ってないからつまんないなぁ。積もってたらキコ姉ちゃんと雪合戦しようと思ってたのに」
「軽々しくそういう事を言わないの。除雪作業をする人達の苦労をちょっとは考えなさい」
子供は我儘に振舞い、大人と子供の間にいる者は大人の立場に立って子供を窘める様になる。
(そういう所は鬼も人間も全然変わらないわね)
紀子はそう思いながら2人のやり取りに耳を傾けていた。聴力も優れている鬼は10m先の小声でも内容まで聞き取る事が出来る。
小林家がワンダーランドにやってきた時は少し気温が高く暖かかったが、今日は曇り空で北風がかなり強く吹いていた。
近所にある河川敷へとやってきた紀子達は、河原で遊ぶ事にした。
「キコ姉ちゃん、投げるから受け取ってね!」
健太郎の手には家から持ってきたフライングディスクが握られている。
片手でディスクを握ったまま、手首を一旦身体の内側に曲げ、スナップを効かせて投げるとかなりの勢いで飛んでいった。
飛ぶ方向が定まらないディスクを何度も的確にキャッチして、健太郎に返す。
「紀子さん、残念だなぁ。球技関係に進んでたらきっと大活躍するハズなのに」
彩香がそう言うと、紀子は少し寂しそうに笑った。
「鬼はアスリートになれないからね。少なくとも国際試合では鬼が参加する事は禁じられているし」
人間と鬼は姿形こそ似ているが別種の生き物である事が科学者達の調べによって明らかになった。
身体に流れる血や身体を構成する細胞が異なる為、スポーツの世界で鬼が活躍する事は出来ない。
鬼は極度の興奮状態に入り冷静さを保てなくなるとリミッターが外れてしまう為、競技場が破壊されてしまう危険性もあった。
様々な理由から鬼は差別されるが、表立って迫害された事は1度も無い。人間が鬼の力を恐れているからだ。
(私達がどうして人間と違う生き物なのか、私達にも解らない。
太古の昔に地球に降り立った宇宙人ではないかと言う説があるけど、その真偽は闇の中だわ)
紀子は種族としての身体的な違いを乗り越えて、人間と鬼が仲良くなる事を心から望んでいた。
地域の人々、特に近所の者達と仲良くなる事で、まず自分が手本を示さなければならないと思っていたのである。
「縄跳びやろう!」
健太郎から縄跳びを受け取った紀子は、苦も無く四重跳びを100回連続で決めてみせた。
「凄い!僕にも出来るかな」
「まずは二重跳びから始めましょう。私が手本を見せるから、ケンちゃんはそれを見て覚えてね」
目を輝かせて紀子の言葉に耳を傾ける健太郎。その光景を彩香は楽しそうに見つめていた。
河原からの帰り道で、紀子は老婆が重い荷物を背負っている為になかなか横断歩道を渡れないでいる場面に遭遇した。
「私が持ちますよ。アヤちゃん、御婆ちゃんの手を取ってあげて」
かなり重い荷物を難なく片手で持ち上げた紀子の姿を横目にしながら、彩香は老婆を先導し、横断歩道を渡らせる。
「有難うね」
屈託の無い笑顔を見せて礼を述べ去っていく老婆を見送りながら、紀子は彩香に話しかけた。
「例え誰かに見られていなくても、人を笑顔にしたいし、助けてあげたい。
私はそういう仕事をしているの。陽の光が当たらずとも、輝いている人は大勢いる。
何時かはその人達が輝ける様に、お手伝いをしてあげたい。それが私の願いだし、目標だから」
伸びをしながら笑いかける紀子を見ながら、彩香は鬼である彼女の事を信用出来なかった昔の自分を恥じた。
(鬼だから危険だとか、仲良く出来ないだろうとか考えていたあの頃の私をぶん殴ってやりたい。
紀子さんは私には真似出来ない事をしている。私はあの人以上に輝く事が出来るのかな……)
そんな彩香の思いをよそに、健太郎は紀子に抱き付いて笑った。
「きっと出来るよ!キコ姉ちゃんは何でも出来るスーパーヒーローだもん!」
紀子は鬼界島で生まれ育った時から、鬼や人を問わず笑顔を見るのが好きだった。
人が喜んでいる事を喜び、人が幸せになると自分も幸せになる。
そんな自分を活かす為には本土に渡るべきだと考えた紀子に対して、親は一時は反対した。
『鬼であるお前が人間を助けようとしても、恐れられ、避けられるだけだ。止めておきなさい』
両親を何とか説得し、本土に渡った後、この平穏な日々を得る為に数々の苦難を乗り越えてきた。
ワンダーランドの従業員になりたいと思った時も、近所の人々との交流を図りたいと思った時も、1つずつ確実に大きなハードルを越えてきたのだ。
だからこそ彼女は、この平穏を守る為にも大切な人達を数多く助けたいと思っていた。
その日から丁度一週間後の日曜日。大勢の人で賑わうワンダーランドに私服姿の紀子の姿があった。
「あれ?今日はどうしたの」
メインアーケードで紀子に代わり風船販売を担当していた従業員の女性が、紀子の姿を見て尋ねた。
「たまには客として遊びたいんですよ。それに今日は『ビバ、マジックⅡ!』の初お披露目じゃないですか。
今日じゃないと見れませんからね。アイアンベアーのダンス、楽しみにしてるんです」
眞鍋がこの日に備えて特訓をしてきた事を紀子は知っていた。
スーツアクターが輝ける場所、それはステージの上。輝く為に、若い者達に負けない為に若手以上の努力を重ねてきた。
彼がその集大成を見せようと気合十分でこの日に挑む事を知っていた紀子は、それを一目見たいと思っていたのだ。
『ワンダーキャットには、負けられないよ』
眞鍋がそう言っていた事を紀子は思い出した。
このテーマパークの主人公であるワンダーキャットは『完全なる秘密』のもとに守られており、他のスーツアクターとも楽屋や出口が別にある。
つまり、従業員である紀子はおろか同じスーツアクターの眞鍋や奥田でさえもその『中身』を知る事は出来ない。
誰かも解らない『最強のダンサー』に躍りで勝ちたい。そうする事で観客に少しでも評価されたい。
紀子にはその眞鍋の気持ちが痛い程理解出来る。だからこそ、実際にその場に訪れて応援したいと思っていた。
正午近く、ワンダーランド内にある『ファンシーゾーン』の特設ステージで、ショーが開催されようとしていた。
数え切れない程の観客の中に混じり、前列近くにいた紀子は、期待に胸を膨らませる。
(ココのショーを見るのは数ヶ月ぶりだから、ちょっとドキドキしちゃうなぁ)
最初に登場したのは主人公のワンダーキャットだった。大量の白煙に包まれ、ステージ下のせりあがる足場に乗って颯爽と登場する。
『みんな、ようこそ!ハッピータウンへ!この街は誰もが幸せになれる場所!歌って踊って、楽しもうよ!』
数人のバックダンサーと共に踊り出すワンダーキャット。着ぐるみを身につけた状態での激しいダンスは体力を消耗する。
疲労を絶対表には出さない。それはキュートちゃん、ステージ左から出てきた奥田日和も同様だった。
(日和さん、緊張してるのかな)
『朝まで、踊り明かしましょう!』
キュートちゃんの毛並みと同じピンク色の服を着たバックダンサーの女性が、見事なステップで客を盛り上げる。
興奮する客の気持ちが最高に高まった時、ステージ奥に設置されていた扉からアイアンベアーが姿を現した。
『おうおう、楽しそうじゃねぇか。俺も混ぜてくれよ』
サングラスをかけたバックダンサーが華麗なブレイクダンスを披露する中、それに負けじと踊りまくるアイアンベアー。
(眞鍋さん、頑張って)
だが役の都合上、アイアンベアーがステージ上で輝く事は無い。主役はあくまでもワンダーキャット。
客はアイアンベアーの事など気にもせずにワンダーキャットの方を見つめていた。
『ベアー。楽しい気分に水を差すなよ。折角面白い所だったのに』
『何時も俺を除け者にしやがって。邪険にするのなら、俺にも考えがあるぜ』
その録音された台詞に合わせて眞鍋は奥田の身体を両手で抱え、足だけで客を魅了するステップを繰り出す。
眞鍋の『勝負時』を目の当たりにした紀子は、執念のこもったダンスに圧倒されていた。
(す、凄い。女性とは言え着ぐるみとの合計重量はかなりのもの。それを抱えながら踊るなんて)
『助けて、ワンダー!』
客は悪漢であるアイアンベアーに対して本気で憤る。特に純粋無垢な子供達は容赦なくアイアンベアーを罵倒した。
「酷い!さっさとやられちゃえ!」
「キュートちゃんをいじめるな!」
評価されない役柄。だがそれを完璧に演じ切ってこそ本物のプロフェッショナル。
アイアンベアーは手下役のバックダンサーにキュートちゃんを渡すと、ワンダーキャットと対峙した。
『俺より上手く踊れたら、お前の彼女を解放してやる』
『なんだ、そんな簡単な条件で良いんだ。どっちから踊る?』
アイアンベアーが先に踊ろうとした次の瞬間、拡声器を使った怒号がステージ周辺に響き渡る。
『遊びは終わりだ!てめえらその場から一歩でも動いてみろ、蜂の巣にしてやる!』
その声はステージの上にいたキャラクターの声では無かった。野太い野蛮そうな大声が聞こえた瞬間、近くにいた客は悲鳴を上げる。
『動くな!動いてみろ、即ぶっ殺すぞ!ココにいる全員が人質だ!わーきゃー騒ぐんじゃねぇ!撃つからな!』
ステージの前列付近にいた紀子が振り返ると、集まっていた客の真ん中辺りに1人の男が立っているのが解った。
(あいつ、ソードオフショットガンを持ってる!どうやって持ち込んだの?)
当然ステージは突如中断し、ワンダーキャットやバックダンサーは一旦ステージから姿を消す。
『サツが来たら容赦なく皆殺しだ!通報してみろ、ぶっ殺すぞ!いいか、俺は本気だからな!
今からすぐにこの間抜けな施設の1日分の売り上げをアタッシュケースに詰めて持って来い!
逃走用の車も用意しろ!客を送迎するバスで充分だ。30分以内に用意出来なかった場合、客がどんどん死ぬ事になるぞ!』
怯え、思わずしゃがみ込む観客や、突然の出来事に状況を把握する事が出来ず呆然としている観客がいた。
その混乱の中、隙を見て紀子は前列近くから凄まじいスピードでステージ控室がある裏口へと走っていった。
「眞鍋さん、日和さん!」
裏口から控室に飛び込むと、頭の部分を脱ぎ狼狽している2人の姿が目に飛び込んできた。
「紀子ちゃん、どうしてここに?」
「話は後で。あいつ、ショットガンを持ってます。銃身を短くしているので、撃てば広範囲の人々が犠牲になるでしょう。
警察には連絡してませんよね?」
「ああ。警察も察知はするだろうが、犯人が条件を出している以上、大規模な突入を試みる様な真似はしないだろう。
あいつの顔はテレビで見た事がある。石村貴仁だ。
ソードオフショットガンで人を襲い、金品を奪って逃走。指名手配されていた最低の犯罪者だよ」
眞鍋と奥田の顔は蒼白になっていた。客に被害が出る事を恐れているのだろう。
「下手な真似をして相手を刺激したくない。時間を稼いで何か方法を考えないと……」
「私に考えがあります」
紀子の決意に満ちた表情に、眞鍋と奥田は顔を見合わせ、そしてしっかりと頷いた。
『さっさと用意しろ!この広場が血に染まる事になるぞ!』
拡声器でがなり立てている犯人から逃げ出したくても、周囲にいた人々は殺される事を恐れその場から動く事が出来ない。
あまりの恐怖に泣き出し、失禁する観客もいた。最早どういう状況になろうが逃げだせないと言う絶望感が場を支配する。
『クソ野郎が!俺の言ってる事が解らねぇのか!さっさと金を持ってこいと言ってるんだ!』
ソードオフショットガンを観客に向けて威嚇する犯人。その時、ステージの奥にある扉が開いた。
開いた扉からアイアンベアーが登場し、歩を進める。片手にはアタッシュケースが握られていた。
『フン、やっと持ってきたか。金を持ってくるのも着ぐるみとはとことんふざけた場所だぜ』
犯人は威圧しながら人の波をかきわけ、ステージ上に向かおうとする。その犯人の気の緩みをアイアンベアーは見逃さなかった。
もう片方の手に持っていたジャグリング用のゴムボールをそっと落とし、正確無比な蹴りを入れる。
犯人には恐らくその一連の動きが全く見えなかったに違いない。強烈な一撃を叩き込まれたゴムボールは犯人の額に命中した。
『ガッ……』
脳を激しく揺らされた犯人は引き金に指をかけていなかった為そのままショットガンを落として昏倒。
近くにいた客が条件反射でショットガンを回収し、男はやってきた警備員に拘束された。
『見せてやるぜ、本当のダンスって奴を!』
アイアンベアーはその台詞が聞こえた後、拙いながらも魅せる踊りを披露して、奥の扉へと消えていく。
「有難う、アイアンベアー!」
「助かったよ、本当に有難う!」
観客は涙を流してアイアンベアーに心からの感謝を述べた。
この一連の事件が本当の事だったのかも解らず呆然としていた客も、その感謝の言葉からショーでは無かった事を理解した。
拍手と感謝の言葉が響く中、パトカーのサイレンの音が遠くから聞こえていた。
アイアンベアーは控室に戻ると、着ぐるみの頭を脱ぎ、大きな溜息をついた。
「はぁー、良かった。絶対外せない局面だったから緊張しましたよ」
「紀子ちゃん、凄かったわよ!あのバック宙返りも!何処で練習したの?」
アイアンベアー=紀子の手を取った奥田日和は、泣き笑いのまま手を強く握り、上下に激しく揺さぶった。
「私、地元の曲芸団と子供の頃仲が良かったんですよ。だからああいう踊りは得意なんです」
もう1人のアイアンベアー=眞鍋は、椅子に座って汗を拭いていた。
「緊張したよ。駄目だよ紀子ちゃんあんなギャンブルプレーに走ったら。失敗したら大変な事になってたんだぞ」
紀子は替えのアイアンベアーの着ぐるみを身に着けた後、犯人と対峙し、ゴムボールをぶつけたのだ。
超人的な身体能力を持つ鬼が現れた場合、当然犯人は警戒する。
鬼である事を隠す着ぐるみ作戦は大成功だった。
アタッシュケースを持っていた事で、相手の警戒を解く事にも成功したと言えるだろう。
「でも、良かった。紀子ちゃんの身長が高かったからアイアンベアーの着ぐるみを簡単に着こなせたね」
「キュートちゃんだとちょっと身長が低いから無理だったもの。それにしても、あの状況でよくあんな最善手を思いついたわね」
眞鍋と日和が疑問を口にする中、紀子は無邪気な笑顔を見せた。
「そりゃ勿論、アイアンベアーにスポットライトが当たってほしかったからですよ」
その言葉の意味を悟った眞鍋は、晴れやかな笑顔を浮かべていた。
『特別感謝状。アイアンベアー殿。貴方は警察業務の重要性を深く理解し、犯人逮捕に関して積極的に協力されました。
その功績を称え、ここに深く感謝の意を表します。東京都警察署長、松崎巌』
翌日、ステージ上で警察関係者から感謝状を贈呈され、深く頭を下げるアイアンベアーの姿があった。
「いいぞ、アイアンベアー!」
「有難う、貴方のおかげで助かった!」
観客席から感謝の言葉が次々に聞こえてくる。感謝状を受け取ったアイアンベアー=眞鍋俊哉は、目に涙を浮かべていた。
(この仕事を続けてきて本当に良かった。有難う、紀子ちゃん)
スーツアクターは顔が出せない職業であるが、それが利点になる場合もある。
中身が別人だったとしても、人はあくまで『アイアンベアー』に感謝するのだ。
例え眞鍋が犯人逮捕に関わっていなくても、この場所で称賛されるべきなのはやはり眞鍋だと紀子は思っていた。
『アイアンベアーさんに、もう一度大きな拍手をお願いします!』
拍手が鳴り止まぬ中、警視総監から感謝状を受け取ったアイアンベアーは両手を上げて喜びを表現していた。
「ようこそ、ワンダーランドへ!ワンダーキャットの風船はいかがですか?他にも沢山の種類の風船を御用意しております」
眞鍋が感謝状を受け取っていた頃、紀子は何時もの様にメインアーケードで通常業務を続けていた。
「すいません、アイアンベアーの風船ありますか?ウチの子が欲しい欲しいってねだるもので」
子供を連れた親が500円玉を渡し、紀子はアイアンベアーの風船を少年に渡して尋ねた。
「ボク、アイアンベアーは好きかな?」
「うん!今までは悪い奴だとばかり思ってたけど、あんな良い事もするんだね!
大人になったら、アイアンベアーみたいに『本当に悪い奴』をやっつけられる様になりたいんだ!」
子供の言葉に紀子は頷き、笑顔を見せる。
「そうだよ。ここは誰もが幸せになれる場所だからね。私達は皆を笑顔にする為に頑張ってるんだ」
風船を受け取って有頂天になり、親の手に引かれて去っていく子供の姿を見送りながら、紀子はまた声を張り上げた。
「こちらで風船を販売しております!アイアンベアーの風船、今人気です!宜しければどうぞ!」
かつて、日本には『鬼』と呼ばれた怪物がいた。
だが、その怪物はもう殆どこの世には残っていない。
日本の人々を守り、笑顔にする『スーパーヒーロー』は、今日も影の中で戦い続ける者を応援しながら、仕事を続けている。
己の生き方に誇りを持ち、1つの言葉に自信を持ちながら。
『きっと出来るよ!キコ姉ちゃんは何でも出来るスーパーヒーローだもん!』
スーツアクターはゴジラ等の怪獣映画ではかかせない人々です。
そういう裏で努力をしている人達がいるからこそ、私達は表の世界で
感動したり、熱狂したりする事が出来るのです。
そういう考え方で物語を作れないかと思い書きました。