ミルクポット
テーマ:ミルクポット
最近、最寄り駅の近くにでっかいショッピングモールができた。麻乃が、今日は塾だから無理だけど明日行こう、って言っていた。なんでも、都会の方にしかないブランド店が、そのモール内にあるらしい。
「だってシャヌルだよシャヌル! 一回は手にしてみたいよねぇ」
はぁ、とうっとり顔で、いつのまにか持ってた財布を、やさーしくさする。自分のじゃないのに扱いの慣れた様子で、はあ、とまたため息。
「ばか、返せっ」
なんだよぉ、と麻乃は口を尖らせた。だが直ぐに変わって、はー、いいなぁ、ほしいなぁ、とスマートフォンを取り出す。
画面をスクロールさせながら、嬉々とした表情になった。獲物を見つけた鷹のような、爛々とした目つき。女子高生特有の、獰猛さを孕んだ目つき。その目が、ふいに上を向く。同時にドアが押し開けられる音がして、担任が入ってきた。
「ホームルームすっぞ、席つけ」
担任の野太い声が終業チャイムを掻き消した。
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「じゃあねぃ」
「おー」
単語帳を片手に下駄箱を早足で去る麻乃。手をひらひらと振って、革靴に踵を押し込む。それから麻乃の方向とは別方向に、家の方へ走った。
帰宅部特有なけなしの体力が尽きたところで、少しとぼとぼと脚を動かす。夕闇が少し射し始めた頃、自販機が見えた。走って喉が渇いていたせいか、ペットボトルの水が目に入る。
衝動的に片手で財布をまさぐる。指先に当たった細くて硬い布地を引き抜く。そのまま財布片手に、自販機の前に立った。コーヒー、ココア、ペットボトル水、サイダー、オレンジジュース。よくあるラインナップ。何もなくて、つまらない平凡。
小銭のチャックを開けて、百円玉と、十円玉を三昧探す。少し人差し指でまさぐったけど、どうやら切らしていたらしく、二つしか見つからなかった。でも百二十円の近キンに冷えたオレンジジュースを飲む気にはなれない。諦めて最後の砦だった五十円玉をつまむ。二枚の硬貨は難なく投入口に滑り込み、まもなくして緑のランプが点灯した。少し逡巡して、ココアの部分を押そうと手を伸ばす。そのとき、
「あれ、聡」
「うわ」
後ろから母が声をかけてきた。びっくりして、押すはずの地点から指先がずれ、その勢いでボタンに指を押し付ける。
ガゴン、と受取場所に黒い缶が落ちてくる。缶コーヒーをつかみ、わかりきったことだが、改めてそのラベルを確認する。
「あーぁあ……」
「コーヒーなんて、珍しいじゃない」
「るっせ、母さんのせいだよ、いきなり声かけるから」
「あら心外」
「あらじゃねぇ」
はいはい、と母がビニール袋を下げ歩き出す。お釣りがないことを確認して、あとに続く。
「母さん」
「なに」
「明日、麻乃と買い物行くから」
「あのショッピングモール?」
「ああ」
シャヌルかしらねぇ、と母がぼやく。
「なんかそんな感じのこと言ってたな」
「あんたたちももう高校生だもんねぇ、そういうの、興味あるでしょ。買ってあげれば?」
「無理だよあんな高いの」
わかってるって、と笑う母。その横で、ぷしゅ、と缶を開ける。そっと口をつけると、なんだか物悲しさを感じた。大人になるような、時間を手放していくような、そんな感覚。
未だ俺は甘いのが好きだ。家に帰ったら、まずはミルクポットを探さなくては。