第七話
直之が蓮の側近になってはやひと月経った。
「時の流れとは早いのう。」
のんきなことを言いながら蓮は茶を点てている。
ひと月も経つと備前の人々も直之の顔を覚えたみたいで、興味の目で見られることは少なくなった。
城の生活にもだいぶ慣れたが、まだ蓮の言動を把握できずにいる。今日もまた、直之を茶室に座らせ、あろうことか茶を飲むよう言ってきた。
「私は作法がわかりませんので、誰か他の者にしていただければよいのですが。」
蓮は手を止め、気分を害されたような顔を向ける。
「お前、私の点てた茶が飲めんというのか。」
「い、いえ。そのようなことでは・・・。」
「作法などどうでも良い。ただ味を見てもらいたいだけじゃ。」
蓮はとても気まぐれだ。この前は自分の活けた花の感想を求めてきた。
男である上に花のたしなみもない直之が、何を言えばよいのか頭を抱え悩んでいるのを見て、蓮は痺れを切らし早々と花を下げてしまう。その繰り返しだった。
慣れない抹茶の苦さに苦戦している直之を見て、
「やはり少し濃いのかもしれんな。」
蓮は納得したのか、
「そろそろ行くぞ。馬を出せ。」
そう言って立ち上がる。
慌てて直之もちあがるが、その瞬間足にしびれが走る。慣れない座り方を長時間していたせいだ。
「何をしている。早くせんか。」
半ば足を引きずるようにして、直之は蓮の背中を追った。
蓮について分かったことがある。
強引で我儘なだけの姫だと思っていたが、どうやら違っていたようだ。気が強いのが目立つので初めは分からなかったが、蓮は人の心を掴むことに長けている。
常に誰かの為に目を配り、些細な事も見逃さない。発せられる言葉にも力があり、それが人々を捉え収めていく。それは緩やかな鎖となって人々を縛る。
蓮はその事を自覚しているのだろう。誰かに声をかけられてもにこやかな笑顔と返事を返すだけで、決して個々の会話をしない。だがそれでも人々の心を捉えるようで、蓮は絶大な信頼を持たれている。
まさに人の上に立ち、統括する。蓮にはその才能があった。
いつもの湖への道を、二人は進んでいた。
初めは抵抗があった服装にも、直之は馴染んできたようだ。姫につかえる身なので、本来はもう少し位の高い服でよかったのだが、それだとどうしても動きにくいのと、直之が遠慮したこともあって、肩衣に半袴という衣出立ちに落ち着いた。
背が高く体格の良い直之は、見事にそれらを着こなしていた。長めの髪を除いたら、どこにいてもおかしくない立派な城の役人だ。
初めてこの姿を姿見で見た時、直之は自分の身が震えるのを感じた。
自分がこのような姿になる日が来ようとは。前の城でも、直之は雇われた身だったので相変わらずの汚い着流しのままだった。
『よう似合っておるではないか。』
蓮の部屋に戻った時、直之の姿を見て蓮が言った。
『ま、私に仕える者などだから当然だが。動きにくいことはないか?』
『はい。このような高貴な品、まことにありがとうごうございます。』
頭を下げる直之を見て、蓮は不思議そうに言った。
『当たり前だろう。何を言っておるのだ。』
そう言って、蓮は持っていた書物に再び目を通す。
当たり前。その言葉が直之の頭の中を巡る。
その時、素直に嬉しいと思った。当然のように家来として見てくれていることが。
正装をさせるということは、一時的に雇うのではなく、半永久的に仕えるのを許されることを表す。
だが蓮は知らない。直之がどのような人間でどのような事をしてきたのか。だからそのような事が言えるのだ。
蓮を騙している気がして、ひと月経った今でも、蓮の目を見る事ができない。
蓮の目は全てを見通してしまう。人の戸惑い。喜び。そして闇。
直之は蓮に全てを知られるのが怖い。たったひと月だけで、それほどまでに今の生活を壊したくないという自分の思いにも驚かされる。
これも蓮の力なのだろうか。義邦にも、初めの頃より丸くなったと言われた。
本当に小さな変化。
だがそれは確実に直之を変え、形になっている。
それが良い事なのかどうか分からないが、自分の心が最近穏やかなことに、直之は小さな喜びと同時に恐れを感じていた。