2.おっさんがアタシの体にやってきた
「おきたのか…」
男の声がして、水谷はゆっくりと目を覚ました。カーテンが閉じられた部屋は薄暗い。
水谷がそろそろと起き上がる。ベッドに寝かされていた。
「うー」
水谷は頭を抱えた。しかし、おかしい。あれだけの暴行を受けたのに、痛くない。どうしたんだろうか。
「まったく、あのおっさん、しつこかったな、人は見た目によらないってことか」
「え…」
ベッドの下で、足を伸ばしてすわっている少年は、まさに、先ほど水谷を殺そうとした男だった。
「おれが、あのしつこいおっさんだよ!」
水谷はベッドから飛び上がると、男の喉にとびかかった。首をしめて殺そうと思った。
男に馬乗りになり、両手を男の手にかける。男はびっくりして、
「おい、まち子、なにやってんだ! 俺を殺す気か」
「当たり前だ! お前の仲間も探し出して殺す」
水谷は力いっぱい喉を締め付けているが、男は余裕があるようだった。男は、水谷の両腕を掴んで、喉から引き離した。おかしい、いくらなんでも、力で少年に負けるなんて。こいつ、格闘技てもやってるのか。
なおも水谷は男を殴りつけるが、男はまるで子供をあやすように、水谷の攻撃をいなしていた。それでも、水谷がやめないので、男はいい加減うんざりしたのか、パシッと、水谷の頬を叩いた。思いの外優しさのこもった平手打ちに水谷の手は止まった。よし、あとから包丁をもってきて殺そう。
「やめようぜ。つまんないよ」
男は起き上がると、壁にかけてあった学校の制服を手にとった。
「学校いってるんだな」
「いちおうな。未来に希望はないとな」
人の希望を奪っておいて、このくそ野郎。しかし、どうしてこいつは俺をベッドに寝かせたりしてたんだ。そして、どうしてあれだけの暴行を受けて、体が痛くないんだ。なにより、こいつの変わり様はなんだ。反省でもしたのか。
水谷は後ろを振り返った。そこには、ギャル風の、水谷を陥れるきっかけになった女がいた。
「ここは、お前らの溜まり場か! ちょうどいい、まず女を殺す!」
水谷は、壁際においてあった金属バッドを手にとって、女を思い切り殴りつけた。ガラスの割れる音が響いた。
「え…、これ、かがみ?」
「おい、まち子なにやってんだ。またへんな薬でも飲まされたのか。俺たち、やってもお酒までって約束したろ」
男は制服を着ながら、うんざりして言う。
「今日は学校は休め。まあ、お前は、行ってる日の方が少ないか。ガラス、俺が帰るまでに片付けとけよ」
男の声を背中に浴びながら、水谷はもしかしてと思った。
「鏡はないか?」
「お前がいま壊しただろ」
男はうんざりしながらも、髪をセットするのに使っていた自分の手鏡を渡してきた。水谷は鷹揚にそれを受け取って、自分の顔を見てみた。金髪が肩まで伸び、眉毛は細いのに、熱帯雨林のようなつけまつげに雨のしずくが輝き、真っ赤な口紅、両耳にはラメのピアス、美白メイク。見るからに、素行不良の女の子。女の子じゃない、ここまでくるともう女か。でも、黒ギャルは俺の趣味じゃないので、色白なのはよかった。
まばたきしてみた。にらんでみた。つねってみた。鏡の中の女はすべて同じように動いた。声を出してみることにした。
「あー」
女性のかわいらしい、媚びるようなソプラノボイスが出た。この女は、こうやって不良男子に取り入って、生き残ってきたのだろう。
「なんだ、喉がおかしいのか?」
いまだ、確証は持てない。小説ではありがちだが、自分の意識が、あのギャル女の中に入ってしまったようだ。だとすると、ギャル女の意識はどこへ行ったのだ。いや、そんな心配よりもまず自分の体がどうなっているかだ。
水谷が考えごとにふけっていると、乱暴に部屋のドアが開いた。ランニングシャツ着た、小太りの大人の男が立っていた。スタイルでは負けてないなと水谷は値踏みする。でも、ランニングシャツから覗いている、腕や胸元、背中には、びっしりと刺青がしてあった。あ、こいつヤクザだ。一目見てわかった。
「うるさいなぁ…、静かにしろやぁ!」
小太りのヤクザは、有無をいわさず、男の顔面を殴りつけた。男の体は宙に浮いた。
そして、またドアも閉じず、けたたましく、階段を降りていった。
「あれ、だれ?」
「はぁ、お前、しってんだろ、俺の…、いちおう親だろ」
「あれが親?」
「だから、いちおう」
あんな親に育てられて、子供の頃からずっと今の調子だったのなら、さっき水谷をためらいなく殺そうとしたのも理解できる…、と思ったが、水谷はそんな自分の考えを打ち消すように首を振った。
「学校行ってくるから。あいつにはかまうなよ。お金置いとくから、昼は適当に食べろ、よくなったら、家にかえれよ」
それはもともと俺の金である。しかし、今それを訴えるよりも、自分の体がどうなっているのか心配になってきた。もしかしたら、もう死んでいて、火葬になっているとしたら、戻る希望がまったく絶たれる。
どうやらこの女は、まち子という容姿に似つかわしくない普通の名前で、不良高校生のようである。さっき、床に落とした手鏡を手にとって、あらためて、まち子を眺めてみた。顔は、化粧で水増ししているとはいえ、それなりにかわいい。胸を見みると、足元が見えないほど、膨らんでいる。それを見て、水谷はドキドキしてきた。思わず、股間に手を添えたが、そこには何もなかった。
女性の体だとしたら、女性の物がついているだろうが、今は女になった現実を突きつけられる気がして、怖くて触ることができなかった。
(つづく)