16.まち子の恋人
「えっ…、こんな間際になって、ですか」
新幹線の駅校内で、山川先生のあきれたような、心配した声が響いていた。
「はい、急用ができたのです」
水谷は、ぺこりと頭をさげる。
「急用って?」
山川先生の後ろにいた恭子が間に入ってきた。
「それは…、いえません」
「大会には参加できそうなの? あなたがいないと、参加人数がたりなのよ」
山川先生は心配そうだ。
「それは、だいじょうぶです。あとから急いで追いつきます」
水谷はきっぱりと言う。そして、山川先生は腕時計をちらっとみた。
「なら、先生たちは先に言っていますから、用事を済ませたら、気を付けてきてください」
「まち子と一緒に、東京観光したかたのに」
ピンクのリュックサックを揺らしながら、恭子がすねていた。
「だいじょうぶだよ。さっさといくから」
「きっとだよ」
恭子はそう言い残し、山川先生と綾子のあとを追いかけて行った。
まだ、午後3時。タイピング大会は明日の10時からである。大会のため、東京の旅館に泊まる予定であった。
(さて、じゃまものはいなくなったな)
「じゃまではない、仲間だ」
(とにかく、裕也から3か月ぶりに連絡があったんだから、さっさと行くの!)
電話のまち子に促されて、水谷は恭子たちと反対方向へ歩き出して、駅を出た。天気は曇り。雨が降りそうである。
用事というのは、裕也に会いに行くことだ。これまでこちらからいくら電話やメールをしても反応がなかったのだが、昨日たった一言、会いたい、とのメールが入ってきたらしい。
「会いたい、だけでは、どこにいるのかわからないぞ」
水谷はまち子の案内どおりに歩きながら、聞いてみた。
(あれ、忘れたの、アタシ、電話をかけた先にテレポートできるんだよ)
「ああ、そんな設定があったな。すっかり忘れていた」
すでに電話のまち子は裕也の居場所を把握していた。
裕也は自分の部屋にいる。
「おひさしぶり」
水谷は、2階の裕也の部屋へ行き、ドアを開ける。幸い、裕也の父は留守だったので、気兼ねなく話せる。
部屋はカーテンが閉じられて薄暗い。裕也は壁によりかかって、うつろな表情であった。3か月前の事件以来、裕也はあまり部屋から出ていないようであった。
やってきた水谷を見て、裕也は泣きそうな表情を浮かべた。
「まち子…、おれ、もう疲れたよ」
水谷も、電話のまち子もわかっていた。3か月前の事件。二人の少年を刺したこと。幸い、傷は浅く軽傷であったが、裕也はいつ逮捕されるのかもわからず、おびえてきた。
「警察へ行って、正直に話そうよ。アタシも一緒に行くからさ」
「簡単にいうなよ、怖いんだ…」
「だって、裕也は悪くないよ。正当防衛だよ」
「怖いのは、まち子に会えなくなることなんだ」
「アタシはずっと、裕也のそばにいるよ」
電話のまち子が指図をしなくとも、水谷は、そっと裕也の隣へ腰を下ろして、膝をかかえてすわった。
「最近、まち子が勉強も、部活もがんばっていて、俺なんかよりずっと先へ行ってしまった。さみしかった。この上、逮捕なんてされたら、もう一生まち子と会えないんじゃないかって、心配になって…」
裕也はそういうと、水谷の方へ頭をもたせかけた。水谷は、そっと両手で裕也の頭をつつんで、自分の胸元へ導いた。清潔な石鹸の香りが裕也を包み込んだ。そして、水谷は、自分の胸元が温かくなるのを感じた。
「だいじょうぶよ、安心して。アタシもいっしょに警察にいって、事情を話すから」
「まち子を巻き込みたくないんだ」
裕也が子供みたいにうめいた。
「もう一人で無理しなくていいよ、3ヵ月間も、おつかれさま…」
それから、しばらく裕也の気持ちがおさまるまで、水谷はそっと裕也の背中をさすってやった。裕也は気持ちよさそうに眠っていた。
裕也と一緒に警察へ行った水谷は、あの事件の日のことを、刻銘に訴えた。自分たちは被害者で、最初に襲ってきたのは、相手の男二人であること。そして、自分は思い切り殴られ、裕也が助けてくれなかったら、間違いなく、襲われていたであろうこと。
水谷の努力もむなしく、裕也は、ひとまず警察署に勾留されることになった。処分は検討するとのことであった。
別れるとき、水谷は笑顔で手を振った。
「どうせすぐ会えるから、ね」
裕也がかすかに笑ってくれたように思えた。
(なんか、もうおっさんの恋人みたいになってんじゃん)
警察署から出ると、裕也と水谷の様子に嫉妬した電話のまち子が話しかけてきた。
「なら、もっと冷たくあしらえばよかったのか」
(そうじゃないけどさ)
「安心しろ、彼だって今のおれが女子高生の姿をしてるから、好きなんだ。これが35才のおっさん姿だったら、見向きもしない。したら変態の世界へようこそだ。おれは拒まないが」
(やっぱおっさんキモイ。なら、さっきのも全部演技だったの?)
「あまり記憶がないんだ、正直なところ」
(そっか、でもまあ、うまくやってくれて感謝はしてるよ)
水谷は左手のピンクのベルトの腕時計を見た。裕也が眠っているあいだ、水谷も眠ったので、もう夕方の5時になっている。
水谷はもう一つ、寄っておきたいところがあった。自分の体が入院している市民病院である。あれから3ヵ月経過するが、外傷はすっかりなおったものの、依然意識は不明。意識はまち子の体にあるのだから、当然といえばそうなのだ。だが、もうそろそろ脳死状態と判定されて、生命維持装置をはずされてしまうかもしれない。
だから、なんとか母親に自分の意識が存在していることを伝えて、戻る方法が見つかるまで、思いとどまってもらわねばならないのだった。
「こんばんわ」
すでに通いなれた病室に入り、水谷は母親に向かって頭を下げる。
「あら、よく来るわね、今日は何の用かしら」
「水谷さんの容態が気になって」
「明日、生命維持装置を外すことにしたの」
「え…」
「だって息子がかわいそうだもの。こんな姿で、無理やり生かされて、ならいっそのこと、もう、楽にしてあげたい」
母親はハンカチを取り出して、しくしく泣き始めた。
「そんな、もうちょっと待ってもらえませんか、彼は生きてます」
「3ヵ月も待ったのよ、看病する方だって、もう限界です」
「とにかく、もうちょっと待って…」
「あんたみたいな他人に、なにがわかるんですか!」
母親の剣幕に驚いた水谷は、これ以上なにを言っても無駄と悟り、うつむいてだまった。自分が生きているといっても、それはまち子の体の中で、生きているだけなのだ。母親にとっては、それは生きているとは言えない。元の体に戻らなければならない。でも、その方法がわからない。そして、元の体が死んでしまったとき、自分の意識は残るのか、それとも消え去ってしまうのかさえ、水谷にはわからない。
「また来ます。だから、そのままにしていてください」
意味がないと思うのだか、水谷はそう言わずにはおられなかった。
明日か、あさってか、自分の体が消えてしまう。タイピングの大会なんぞに出ている場合ではなく、ずっと自分の体のそばで、見守っていたかった。でも。一緒に頑張ってきた、タイピング部の人たちを裏切ることはできない。
だから、最終の新幹線に間に合うように、全力で走っていた。
(のんびり自分の体と面会なんかしてるから)
「あのなあ、お前、自分のからだが消滅する人の身にもなってみろ、不安で仕方ないものだよ、様子だってみたくなるさ」
(おっさんに体を取られている身にもなってよ、体全部見られるの恥ずかしいんだから)
「はあ、はあ、むかつくこというな、反論すると息が、きれる」
やっとの思いで駅に到着。山川先生からもらっていた切符を改札に通し、急いでホームに上がると、ちょうど東京行の最終の新幹線がすべりこんできた所だった。




