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13.もう一人の部員

 午後6時に学校で解散となり、恭子と別れたあと、水谷は学校に教科書を忘れたことを思い出し、あわてて校舎に戻っていった。

「あれがないと、明日の宿題ができないんだよね…」

水谷は身だしなみを正しくしてから、頭の中も正しくしようと、勉強もそれなりに頑張ることにしていた。それに、学業をおろそかにすると、顧問の山川先生に怒られるのであった。35才の水谷にとって、28才の女性教師なんて怒られても全然平気と思ったのだが、先生は、まち子さんが、がんばってくれなくて、悲しい…、としくしく泣き出すので、がんばらざるを得ない。電話のまち子は、そんなの演技に決まってんだろと一蹴するのだけれど。

 2年3組の教室の前で、水谷の足がピタッと止まった。

 泣き声が聞こえる…。もう夜の7時。こんな時間に誰も教室に残っているはずはなかった。明かりもついていない。

 怖いのでこのまま帰ろうかと思ったけど、水谷は気になって、素知らぬふりをしてドアをあけた。

 11月ともなると、この時間はもう日がすっかり沈んで真っ暗だった。一番奥の机に誰か座っている。あの席は、青山綾子の席だ。背がわりと高いので後ろなのだが、こんな時間になにをしているんだ。

 水谷は恭子から聞かされていたので、綾子のことはおおよそ知っていた。泣いている綾子は、水谷の存在に気づいて、ぐすっと鼻をすすり、制服の袖で涙をぬぐうと、

「誰? こんな時間に」

不意に話しかけられ、水谷は動揺した。

「あの、宮村まち子です。忘れものをしちゃって、取に戻ったんだ」

もう自分の名前を言い間違えることはない。またそれが、35才の水谷が浸食されているようで、空恐ろしくもある。

「恥ずかしいところみられちゃった…」

お互い暗くて表情はよくわからない。でも、そのおかげで、恭子からお互いのことは聞いているとはいえ、初対面の二人が心を打ち明けることができたのだと思う。

「どうして泣いているの?」

おせっかいと思いつつ、水谷は思いきって訊ねてみた。すると、綾子は、

「もう、全部だめになっちゃったんだ…」

綾子は泣きそうな声でかぼそくつぶやいた。

「私、陸上部なのに、足を骨折しちゃったの。もうだめ。大事な大会が控えていたのに」

「綾子さん…」

それは、タイピング部の水谷にあてはめると、指を骨折してしまうことに等しい、大変なことだった。

「一人足りないんだ」

水谷は、綾子の斜め前にすわって、消え入りそうな夕焼けの光の中で向き合った。

「タイピング部員がさ」

すると綾子は水谷の言っている意味がわかったようで、

「でも、いまさらタイピングなんて、二人の足をひっぱるだけだよ」

「でも、足が治るまでの間、タイピング部に来てくれないかな。団体戦には、どうしても3人必要なんだ」

「むりだよ…」

綾子はそう言って、もう真っ暗になった窓に目を落とした。

「陸上部の先生、私が足を折ったら、手のひらを返したように、急に冷たくなったの。先生のため、陸上部のため、がんばってきたのに、バカみたいだよ」

綾子はそういうと、先生に冷たくされたのを思い出したのか、また泣き出した。

「タイピング部は、伝統もないから、先生から過剰な期待をかけられることもないし、まあそれはそれで物足りないんだけど、それに団体戦で、3人で協力して競技するんだって。だから、もう綾子さんにつらい思いはさせないから、いつでも来てね、恭子さんと一緒に待ってるからね」

水谷はそう言い残し、教室を出て行った。背中に綾子の泣き声を浴びながら。

 水谷は帰宅のために電車に乗ったあとに気がついた。

「あ! 教科書!」

水谷を乗せた電車は、駅を出て行った。


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