1.発端
夜勤の仕事を終えた水谷は、疲れもあってか、少しふらつきながら、目的の駅で、電車を降りた。
駅から15分ほど歩けば、母親と二人暮しの我が家である。
家についたら、母親が作ってくれたご飯を食べながら、晩酌ならぬ朝酌をしてニュースを見るが日課であり、楽しみなのであった。
地上へでるための長い階段、いつみてもうんざりするが、これを登れば仕事から開放される。
水谷は、背負っていた仕事用のリュックの紐を握りしめ、登り始めた。
前から、甲高い笑い声が響いてきた。そして、よれよれのTシャツに、安物のアクセサリーを大量につけた男性二人と、金髪で、一目見てギャル風の女性が、降りてきた。
関わりたくないと思った水谷は、それとなく端によって、ゆっくりと階段を登る。
すれ違った瞬間、後ろから声がした。
「おい、おっさん、さわってんじゃねーよ」
中途半端に声変わりした、男の声に、水谷は振り返る。なにを言っているのかわからない。
「俺の彼女のおしりをさわっただろう、なあ」
男がギャル風の女性に同意を求めると、女性はこっくりとうなずいた。男は、かるく頷くと、水谷に歩み寄ってきた。
「警察いくか? あ?」
「お前が?」
「なにいってんの、ちかんしたあんたでしょ」
水谷の思わぬ反論に、男は声を荒らげた。多分、こいつらは、こうやって、冤罪をふっかけて、体よくお金を巻き上げているんだ。
「5万で勘弁してやる」
「お前が払うのか」
「ばかか、おっさん、お前だよ」
「証拠がないだろ」
「俺の彼女がうそついてるっていうのか?」
男はなおも食い下がってくる。夜勤明けでもうすぐ家だいうのに、めんどくさいのに絡まれてしまった。全力で逃げてもよいが、それだとあとでなにかあったときに不利にならないか、心配だった。
「さわっていない、お金はない、以上だ」
「こいつ、おもしれぇ、やるしかねえな」
男は、なんのためらいもなく、水谷の顔面を殴りつけた。ケンカの経験などほとんどない水谷は、不意をつかれて倒れ込んだ。
「殺そうぜ、社会のゴミだ」
「ゴミはお前らだろ」
「うるっせえ!」
もう一人の男が、壁際に追い詰められた水谷の頭を思い切り蹴飛ばした。殺してしまわないか、というためらいがない。そういう人種、そういう育ち方をしてきた人たちなのだと悟った。でも、すこし遅かった。
始発の時間。人通りはない。水谷は体を丸めて耐えていたが、次第に意識が遠のいてきた。リュックを開けられて、財布を抜き取られた。
「やめろ、現金なんて、はいって…」
「バカ、死ね」
今度は、顎を思い切り蹴られた。男は財布の中身を確認すると、
「しょっぼ、行こうぜ」
三人が歩き出したが、水谷は許せなかった。殺す、絶対に殺してやる、俺と母親のささやかな幸せを破壊した。
「まて」
水谷は、無我夢中で足を掴んだ。
「いや!」
どうやら、女の足を掴んだらしい。水谷は顔を上げた。女は男に助けを求めるような表情だった。
「ゆるさん…、お前だけは」
「しつこいな! 死ね」
少し先を歩いていた男が戻ってきて、水谷の頭や体を何度も蹴り上げた。でも、水谷は絶対に手を離さない。女も、足をじたばたさせて、悲鳴をあげている。
「お前ら全員、絶対に殺す!」
水谷はそう叫んで、意識を失った。
(つづく)