拝啓、母上殿 ①
別視点からのお話その1
『拝啓、母上殿
当初、数日で終わる予定でした「ニュラグ邸焼失事件」の捜査は難航を極めており、そちらへ戻るのはもうしばらくかかりそうです。』
男は、優雅に筆を滑らせていた手を、ため息と共に止めた。 ペンよりは剣が似合うであろうその無骨な手をしばらく見つめたあと、「捜査は難航をきわめており」と書いた所を見つめ、また、ため息をもらす。
娯楽の町ドバンの一角に作られた「ニュラグ邸焼失事件」の捜査隊駐屯地。その中心に据えられた司令室にその男はいた。ひとたび戦が始まれば、怒れる獅子となり戦地を駆け抜けるであろうこの男は、その雄々しく鍛えられた体には不似合いな簡素な机の上に積み上げられた書類の山に埋もれていた。
当初は簡単な事後処理だけの予定だった。ドバンの富豪ニュラグ、その失脚のきっかけとなった火災の犯人を速やかに見つけ法の下に連れ出すだけだった。火災が魔力によるものであればその魔力をたどれば犯人が分かる、魔力が介入しない放火であれば、目撃者がいる。大抵の放火事件は、数日調査をすればだいたいの検討が付くはずであった。しかし、今回の事件は大邸宅が一瞬にして炎に包まれたことといい、あれだけ大きな火災にも関わらず死者がいなかった事といい、火災は魔力によるものだと思われるのにも関わらず、一切魔力の痕跡がない。かといって、周囲に不振な者がいたという報告もない。
白紙に近い報告書を横目に見ながら、また男はため息をつく。『報告もない』は正しくないかもしれない。ニュラグは金にものを言わせずいぶんと好き勝手をしていたようだ。だれも『報告しない』だけなのかもしれない。そのうえ「闇オークション」を開き、何処からか攫ってきた獣人の子ども達を売ろうとしていたのだ。街の者達が協力的ではないのも仕方がない。実際、それが本当であっても、男には街の者達を責める気にはなれなかった。むしろ、街の者達と同じく、「犯人」に好意的な印象すら持っていた。しかし、「ニュラグ邸焼失事件」の捜査隊隊長の立場としては、そうも言ってられず、難航する捜査にため息を重ねるばかりであった。
あの火災現場には、オークションの商品として何人もの獣人の子どもがいた。そして何故か彼もいた。嗅覚に優れている彼らは、あの炎から何かを嗅ぎ取っている可能性が高い。しかし皆、口を閉ざしている。誰も自分たちを助けた者を窮地に追いやりたくないであろう。たしかに、あの火災がなければ、闇オークションは明るみに出ず、ニュラグは罪を重ねていた。人々が「ディクスの天罰」とこの事件の首謀者を恐れ敬うのもわかる気がする。しかし、罪は罪だ。犯人を見つけ出し法の下にさばく必要がある。せめて、一人だけでもいい、オークションに出されていた子どもの協力が得れないだろうか?犯人への罰の軽減を提案してみようか。彼ならば、この話に乗ってくれるかもしれない。
そんな事を考えながら、男は報告書を眺めまたため息をつく。
「おいっす!イリヤっち。入るぞ〜」
軽快な声と共に扉の空く音がする。自分を『イリヤッち』とふざけた呼び名で呼ぶのはジュリアン・アバクモワだけだった。優男風の見た目や問題のある言動で、周囲には女にだらしなく軽薄な男と思われているが、頭の回転の速さ、行動力の早さはこの男に及ぶ者はない。何でも任せられる右腕と言っていい存在である。
「眉間にシワを寄せると、老けて見えるぞイリヤっち!」
いつもなら、聞き流せるジュリアンの軽口も気に触る。どうやら自分は相当追いつめられているようだ。ため息を漏らしながらジュリアンに目を向けると、いつもと同じく、だらしのなく緩んだ顔(女性に言わせると「優しい微笑み」だそうだ)を浮かべたジュリアンの横に、獣人の子どもがいた。
「じゃ〜ン!協力者を連れてきました!」
ジュリアンは、自分の後ろに隠れようとした子どもの肩をぐいっと引っ張り目の前へ押し出す。押し出された子どもは驚き、数歩前へよろけ出る。運動神経に優れた種族である獣人、その中でも最も優れている部類に入る人狼にしては鈍い反応だった。しかし仕方ない事なのかもしれない。なぜなら、獣人は基本的に獣の顔を持つが、その少年は人の顔持ついわゆる『半獣人』。親のどちらかが人であったのだろう。耳と尾さえなければ人と変わらない容姿をしている。頼りなく垂れた耳と尾が、幼い印象を与えていた。
「イリヤっちの家の子と同じで、「ラビ君」っていうんだよ。ニュラグ邸焼失事件の現場に居て、火が上がる所もみてたらしいよ。その時、独特の匂いがしたって言ってるんだ。唯一の目撃者ってか、鼻撃者なんちゃって〜」
上手く隠しているが、ジュリアンの目が少し気まずそうに揺れるのに気がついた。現場に居た獣人という事は、このラビという少年は奴隷として競売にかけられていたのだろう。人の顔を持つ『半獣人』は愛玩用に高値で取引されると聞いた事がある。年頃は 14、5であろう 。本来なら、自分の末の妹のように両親の庇護のもとにいるはずの年頃だ。その小さな体でどんな辛酸をなめてきたのであろうか。
「そうか」
どうやら、ニュラグへの怒りからか、少々威圧感のある声がでていたらしい。少年は身をすくませ、怯えた目をこちらに向けていた。長身と無骨な体、その上にのる表情の乏しい顔が子どもに与える印象など、十分にわかっている。現に、妹以外の子どもは自分をみると大抵泣いて逃げだす。今までの惨劇を思い出し、ため息が出た。
ふと、机の上に置かれた飴に目がとまった。手紙と一緒に妹へ送ろうと思っていたが、少年の緊張をほぐすのにはちょうどいいかもしれない。飴を握り、驚かさないようにできるだけ、ゆっくりと少年の前に移動する。少年は緊張のあまりか、体をガタガタ震えさていた。少年の緊張が自分にも移ったようだ。唇が渇く。ほぼ無意識に舌で唇を濡らした。苦手だができる限りの笑顔を浮かべ、目線を合わせる為にしゃがみ込こむ。すでに震えるを通り越してグラグラと振れている少年の頭を撫でながら、 飴をさしだしたた瞬間。
「兄貴・・・ごめん・・・」
小さくつぶやき少年は気を失った。
「……」
「……」
「あははっはは。気絶させたっ!あはははっ」
しばらくの沈黙のあと、ジュリアンの笑い声が部屋に響き渡った。たしかに今まで、泣かれたり逃げられたり、攻撃されたりした事はあったが、気絶された事はなかった。体を硬直させながら倒れているラビを抱きあげる。ずいぶんと軽い。起こすように数回頬を軽く叩いてみるが起きる様子すらない。ずいぶんと疲れているようだ。
「ジュリアン。仮設の寄宿舎にこの子を入れるのか?」
種族差別は公的には禁止になったが、まだ根強く残っている。特に貴族階級には独特の特権階級意識が強く、それ故に種族差別が依然として続いている。実力主義の自分の部下達は異種族など気にしないだろうが、今回の事件は危険がないと判断された為、多くの貴族武官が調査に参加していた。奴隷競売というつらい経験をしたこの少年をまた貴族武官達の白眼視にさらしたくはない。
「ん〜。まぁ規則だから入ってもらわないといけないけど。でも同室者に強い味方を付けますよ」
「……ミリーか」
「ご名答。彼がきっちりラビ君を守ってくれるでしょう!」
「また、騒がしくなりそうだな」
「あはは、だね〜ではでは早速ミリー君の所にこの子、置いてくるね」
ジュリアンは少年をひょいと肩に担ぎドアに手をかける、ふと振り向いたジュリアンの顔から笑顔は消えていた。
「ねぇ。この子、彼からの預かりものなんだ」
「・・・どうゆう事だ?」
「詳しくは後でね〜」
また笑顔になると開いている手をひらひらと振りながら部屋をでていった。「あれ?お姉さん新人さん?かわいいねぇ〜」廊下からジュリアンの声が聞こえる。敷地内の婦女子に言い寄るなと注意したいが、あれがジュリアン流の人員把握術だとわかっているので強くは言えない。また、ため息がでそうだ。
そしてもう一つ、ため息が出そうな事がある。あの少年をミリーが担当する……か。半月もしないうちに貴族武官は半分以下になるだろう。報告書を書く日々がまた始まると思うと気分が滅入る。だが、彼からの大切なあずかりもならば仕方がない。
イリアは、これから起こるであろう惨事を思いまた、ため息をついた。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
評価してくださった方、お気に入りにしてくださっている方いつもありがとうございます。
3人称で書こうとして失敗しました。
別視点はぜんぶ3人称で行こうと思ったの書けません。
・・・もうすこし本を読むようにしないとなぁ。