7.クロウ先生の行方
翌日。
いつものごとく、私はお昼からマギスの学び舎へ向かう。
今日はイレーネちゃんもアメルくんも授業のない日で、私が教えるべき生徒はいない。
授業をするためではなく、特訓を受けるためにマギスの学び舎へ向かう……という、学生のときに戻ったような一日になりそうだ。
そう、思っていたのに。
マギスの学び舎に、クロウ先生はいなかった。
「……遅刻かなぁ、珍しい」
誰もいないエントランスに、私の声だけがこだまする。
演習場も、ほかの教室もすべて見て回ったし、朝からここにいた塾長にも確認した。
クロウ先生が時間通りに来ていないなんて、これまで数年間接してきて初めてだ。
私は数分の遅刻をよくやってしまうし、昨日みたいに大幅に遅れてしまうこともときどきあるから、ただの遅刻なら何とも言えないけど。
寝坊か何かだと決めつけて安心することはできず、言いようのない不安感だけがどんどん募る。
(塾長に念話、お願いしてみようかな……)
私の魔法の腕では、どこにいるかわからないクロウ先生と念話を繋ぐなんてことできない。
遠くにいる人と話せる念話魔法は生活の中で重宝するけれど、人探しには不便だ。
でも塾長ならなんとかできるかもしれない。
学生時代、マギスの授業の予定をすっかり忘れていて、塾長から突然念話が飛んできたこともあったし。
私が塾長室に足を向けた、その時。
私以外誰もいないエントランスに、サイレンが鳴り響いた。
「な、なに……!?」
同時に塾長室に続く廊下を、塾長が重そうな体を揺らしてドタドタと走ってくる。
今まで見たことのない慌て方をしている塾長に、私まで気が動転してしまう。
「塾長!? 一体何が――」
私の問いかけに、塾長は言葉を選ばずまくし立てた。
「緊急じゃ! このままでは、王都が滅ぶぞ……!!」
* * *
クロウの額を汗が伝う。
数分前の判断を後悔しながら、彼は目の前の魔物を睨みつけた。
「お前、何が目的だ……!」
魔物は、女の姿をしていた。
黒い長髪が、風も吹かない凪いだ晴空の下でふよふよと不気味に蠢いている。
そこから触手のように伸びた髪の数束が、クロウの体を雁字搦めに拘束していた。
「目的、ね」
女はさみしがるように口を尖らせ、眉を下げる。
足元に転がっていた小石を爪先で蹴りながら、女は言った。
「アナタにそんなこと言われるなんて、アタシ、悲しいわ。立ち止まってくれたから、嬉しかったのに」
「…………」
クロウは黙って女を睨む。
彼女の言う通り。
立ち止まった――否、勝負を仕掛けたのはクロウの方からだった。
クロウはつい數十分前まで、特任講師となったルーナの特訓のため、いつものようにマギスの学び舎に向かっていた。
その道すがら、怪しい女を見かけたのだ。
「禁帯出」の判が押された分厚い本を抱え、路地裏で地面に魔法陣を刻む、黒い服の女。
黒髪と、その向こうに覗く病的に白い肌は、王都の人間とは違う、異質な雰囲気をまとっていた……とは、クロウに言えたことではないが。
少なくとも、魔物の子孫である自分と同じような異物であることを、クロウは直感した。
怪しい奴が何やらこそこそと魔法陣を描いている。
王都を守る者として、看過することはできない。
クロウは、彼女を魔法で拘束しようと物陰から狙いを定める。
しかし、クロウが攻撃するよりも早く、女の首がぐるりと回ってこちらを振り向いた。
「まぁ。アナタから来てくれたのね……オブシディア」
名前を呼ばれ、驚いてしまった。
一瞬、クロウに隙が生まれる。
その隙をついて、女は髪を操り、クロウを捕らえたのだった。
そして、今に至る。
女の髪には特殊な力がこめられているのか、助けを求めようにも通信系の魔法がことごとく使えない。
攻撃の魔法で切ることもできないし、女本体を攻撃しようにも、自由自在に回避や防御をされて何もできなかった。
魔法を無駄に打ち続けても、消耗するだけだ。
クロウは攻撃の手を止めて、女の目的を探ろうとしていた。
内心ではものすごく焦っている。
こんなにも相手に歯が立たない戦闘には、ここ最近陥ったことがなかった。
ここにルーナがいてくれれば、弱点や打開策を教えてくれるかもしれない、と甘えたことを思う。
しかし、ルーナは今頃、マギスでクロウが来るのを待っているはずだ。
(早く、戻らないと。そのためにも、こいつから逃れる方法を……)
冷静を装って、女を見定めるような視線を向ける。
しかし、女はクロウの内心を見通したように、目を細めた。
「嫌だわ。アタシ以外の女の子のこと、考えるなんて……」
「は? 何を……ぐッ!?」
この女とは初対面のはずだ。言っている意味がわからない。
予想外の言葉に疑問を覚えるクロウだが、次の瞬間、首に巻きついた髪の拘束が一気に強まった。
息ができなくなり、疑問どころではなくなる。
首元に手を伸ばしもがくクロウに、女は睫毛が触れ合うほど顔を近づけた。
長い睫毛の下にある、その瞳は赤い色をしていた。
人とは明らかに違う白すぎる肌に、乱れた黒い髪が伝う。
赤い唇と、赤い瞳を妖艶に歪めて、女は笑った。
「ダメよ? アナタが人間の女の子を想うなんて。――わかるでしょう?」
目を見開く。
クロウの体から、力が抜けた。




