25.魔物恐怖症の理由
幼い頃、夢を見た。
何年も前の話だから、断片的にしか覚えていないけれど。
脳裏に焼きついた光景がある。
薙ぎ倒される馬車。毛むくじゃらの獣。熊のような、ライオンのような、知らない生き物のかたち。
口を開いたその獣は血走った目で辺りを見渡し、獲物を見つける。
飛びかかってくるその獣の口の中が嫌にリアルだ。ヌメヌメと赤く光って、血肉の匂いがする。
夢の中だから痛みはないが、ボキボキと骨の折れる音が聞こえて。
目が覚めた。
その日までの私は魔物なんて見たこともなかったし、ニュースも歴史もそんなに聞いたことがなくて、魔物を恐れる気持ちをそこまで抱いていなかった。
でもその夢を見て、私は泣きながら目覚めて、朝ごはんを食べても着替えてもずっと泣いていた。
自分の見たものがただの夢だとは思えなくて、魔物に食い殺された感触がいつまで経っても消えなかったのだ。
本当はエレメンタリースクールに行く日だったのに、見兼ねた母が、自宅近くにあった子ども用のケア施設に連れて行ってくれた。
怪我をしても風邪を引いても母に治癒魔法をかけてもらえばよかった私にとって、そこは初めての病院だった。
拙い言葉で、怖い夢を見た、魔物に食べられてしまった、あれはただの夢じゃなくて現実だと、私は心理士に主張した。
心理士の先生は深く頷いて、私と母に重い声で言った。
「ときどき、大切な人の危機に念話魔法が暴走して、その人の見ている視界を共有するような夢を見る事例があります。私たちの専門用語で複写夢と呼びますが」
「複写夢……念話魔法、ですか」
「相手に伝えたいことをお互いに念じあったときに通じるのが念話魔法です。魔法を使っている気がなくても、置かれた状況に反応して魔法が自動的に使われる。家族や恋人など、大切な人の危険が伴うことが多いので、どうかご自愛ください」
誰かの視界を共有する、念話魔法の暴走。
そのときの私に思い当たるのは、家を離れて単身赴任の仕事をしている父のことだった。
きっと母も同じだったと思う。
何も言えずに家に帰った私と母を待っていたのは、馬車で移動中に魔物の襲撃にあったという父の訃報だった。
そこまで話すと、ミリカさんが息を呑んだ。
塾長とナタネさん、クロウ先生も神妙な顔で黙っている。
普通に話すつもりだったのに。父がすでに亡くなっていることは別に隠していない。でもその詳細を話すと、どうしても傷ましく思わせてしまう。
だから魔物恐怖症になった理由も、誰かに話したことがなかった。
案の定重い空気にさせてしまったことを反省して、私は声を一段階明るくした。
「まあ、それがなくても魔物が怖くなっていた自信はありますけどね! 私一人じゃ、あんなのどう頑張っても勝てないし!」
と空元気を纏ってみてももう部屋の中は完全にお通夜ムードだ。
クロウ先生が、わかりやすく言いづらそうに言う。
「……聞いた俺が悪かった。マギスの特任の話も忘れていい」
「ああ。無理強いはできんくなったのう」
塾長も頷く。私を強く勧誘していた二人が二人とも勢いを削がれてしまったので、私もどうしたらいいかわからない。
「わかりまし、た……?」
首を傾げながらもそう言うと、塾長は頷いた。
「お前さんはマギスの講師として、生徒を教え育てることに専念してくれたらいい。特任でなくとも、マギスの仲間であることは変わらんよ」
そして私は、急にその場から解放された。
塾長と三人の特任講師が演習場に残る中、私一人だけ塾を出て家に帰る。
当然といえば当然だ。
魔物が出て、特任講師のみんなは任務を全うして戦った。そのあとなんだから、彼らだけで話さなくてはならないことがたくさんあるんだろう。
何か特別なことが起こったら報告、連絡、相談が大切――なんて私にもわかりきっていることではある。
そして、魔物が苦手で、実践魔法が苦手で、特任講師でもなんでもない私はそこには含まれない。
当然だし、それでいい。正直、特任講師になんてなりたくはない。
戦いの最中は気が動転していたし、クロウ先生から離れることは考えられなかったけど、本来なら一緒にいても足手まといになる自信しかない。
私の目標は、強い魔法使いをたくさん世に送り出すこと。
特任講師になることではなくて、特任講師になれるくらいのすごい魔法使いを育てることだ。
だから、これでいいはず。
王都に迫った魔物の危機は去った。イレーネちゃんも私も、居合わせたカフェの店主も、戦っていたクロウ先生たちも無事。
これでいいんだ、と自分に言い聞かせながら、マギスの学び舎の玄関扉を開ける。
外はひどい土砂降りだった。
戦いに紛れて折り畳み傘をどこかでなくしてしまっていた私は、マギスのエントランスにある貸出用の傘を一本、勝手に取って帰路につくのだった。




