18.魔物の急襲
夏休みの塾講師は、ふつう暇である。
夏期講習があるわけでもなく、今年は魔法学校で夏休み中の補講を食らってしまった生徒もそう多くない。
しかし、マギスの学び舎の特任講師たちは、休んでいるわけにいかない。
演習場に集まったクロウ、ミリカ、ナタネ。
三人は顔を突き合わせ、今後のマギスの方針を話し合っていた。その演習場に、突如サイレンが鳴り響く。
「皆の者、聞こえるか! 王都の城門が一部破られ、魔物の侵入を許したそうじゃ!」
サイレンの後に、遠隔で校舎内に塾長の声が響いた。
特任講師の三人しかいないからこそ許される、横着な連絡手段だ。
生徒が……あるいは魔物恐怖症のルーナがこの場にいたら、パニックを起こしてもおかしくない。
しかし、三人はいたって冷静に、しかし迅速に演習場を出た。
複雑な校舎内を規則も憚らず走り抜け、三人は外へ向かう。
空はどんよりとしていて、ポツポツと雨が降っている。
強まる前に現場につかないと、という思いが三人を焦らせた。
「塾長、詳しい場所は!?」
「今、お前さんらにだけ見える光の柱を立てとるところじゃ。西の住宅街の方に向かってくれ!」
「了解!!」
三人はそれぞれ飛行魔法や強化魔法を発動する。
自身が取れる最速の移動方法で、魔物が現れたという現場に急行するのだった。
* * *
魔物が出た。雨の中、そんな言葉に硬直する私を動かしてくれたのは、イレーネちゃんだった。
「先生、私治癒魔法なら使えます! 許可を出して!」
本来、魔導師免許を持っていない学生は、学校の外で魔法が使えない。
しかし魔導師免許を持っているものが許可を出せば、緊急時の治癒魔法と飛行魔法だけは、使用してもお咎めなしとなる。
イレーネちゃんの言葉に私はなんとか我に返って、言葉を発する。
でも情けないことにその声は裏返って、途切れ途切れだった。
「う、うん、許可、する。治癒魔法、お願いっ。私、できないから……!」
「大丈夫です。先生も、店主さんも……」
私よりイレーネちゃんの方がずっと頼もしかった。逃げろと主張する店主の言葉を無視して、イレーネちゃんは店主に治癒魔法をかけて、頭の傷を治してあげようと試みる。
そうしている間に私も何かしたいのに、頭が混乱して何もできない。
カフェに魔物が出た、この階段の下に。
王都の城壁の中なのに、魔物がいるってことは、城壁が破られてしまったのかもしれない。
そうしたら、みんな襲われてしまう。
どうしたら――でも、私が魔物に勝てるとは思えない。ゆっくり動く的に魔法を当てるだけでも一苦労なのに。
私が頭だけをぐるぐる動かしている間に、イレーネちゃんが治癒魔法をかけ終わって、店主の頭の傷はゆっくりと消えていった。
「ああ……ありがとう。少し落ち着いたよ。しかしどうしようか……階段の鍵はかけてきたから、しばらくは大丈夫だと思うんだが。君たち、魔法学校の学生さんかね。飛んで逃げられるかい」
「私は学生で、こちらは塾の先生です。二人とも飛べますが、店主さんは」
「俺は魔法がてんでダメでね……免許もないし隣の家の屋根に飛び移るのがやっとだ。自分の足で逃げるよ」
「それは――」
二人の会話が、耳にだけ入ってくる。
何度も何度も深呼吸をして、イレーネちゃんに情けないところをこれ以上見せまいという根性だけで、私はなんとか声を絞り出した。
「あの!! えっと。どんな、魔物が、いました!?」
「どんな魔物って言われても、詳しくなくてなあ……」
「特徴だけでも大丈夫です! 色とか、何に似てるとか、どんなふうに襲ってきたかとか……!」
「それなら……」
店主は目を閉じて、思い浮かべるように話し出す。
階下から上がってくるための階段で足音がしたから、お客さんかと思ってカウンターに出たこと。
そうしたらやってきたのはお客さんではなく、羽の生えた黒い魔物だったこと。
動きが早すぎて姿はよく見えなかったが、店主を狙って攻撃したのではなくショーウィンドウに並べられたケーキを狙ったように見えたこと。
店主が悩みながら話すその情報をまとめて、私は結論を出した。
「それは多分イビルイーターという、小型で雑食の魔物だと思います。ハイエナ系のモンスターで、名前の通りなんでも食べるやつらです」
「へえ! 今のでわかるのか」
「すぐに鍵のかかった扉を突き破れるほど力持ちではないので、一旦は安全です。でも、ここの三階まで来てるなら、周りはもう全滅かも……」
イビルイーターは群れで行動する魔物で、頭がよくよほどの自信がないと獲物に向かっていかない……と図鑑で読んだことがある。
カフェを襲った一匹だけで行動しているとは思えないので、周りの家や建物も軒並み荒らされていると考えた方が自然だろう。
「歩いて逃げられないなら、倒すしか」
イレーネちゃんはそう言って、階段の方を睨む。
確かに、イレーネちゃんがいれば、イビルイーターなんて敵ではないだろう。相手は下級の魔物だ。
でも絶対にそんなことさせてはいけない。
市街地で魔導師免許のない人が魔法を使ったら、最悪の場合罪人として逮捕されてしまう。
状況が状況だから逮捕は免れたとしても、二度と魔導師免許を持つことはできなくなる。
「それは、ダメ。魔物なんかに人生を壊されるのは、絶対にダメ」
震える声で、それでも私はイレーネちゃんを本気のトーンで止める。
「でも――」
その時。
反論しようとするイレーネちゃんの声を遮ったのは、魔物が屋上の扉に体当たりする、鈍い音だった。




