17.休日のイレーネちゃん
「よしっ。では、イレーネちゃんの成績アップを祝して!」
「……乾杯ですか? カフェのアイスカフェラテで?」
「ちっ、ちがうかぁ」
王都の城壁近く、住宅街の端にある隠れ家的カフェのテラス席。
目の前の席に座るイレーネちゃんは、私の言葉にくすくす笑う。
魔法学校の制服ではなく私服のイレーネちゃんはすごくおしゃれで、髪も三つ編みじゃなければ、前髪も可愛らしくくるんと巻いてあってまるで別人のよう。
真面目でおとなしい女の子というイメージがあったので、私はびっくりしてしまった。
かく言う私はといえば、いつもはぴっちり後ろでまとめている髪を今日は気持ち高めのポニーテールにしたのと、マギスのローブを着ていないだけで、ほとんどいつもと変わりない。
もっと可愛くしてくればよかったと小さな後悔を抱えつつ、イレーネちゃんと過ごす休日を楽しんでいた。
テストの点が無事に上がっていたら二人でお祝いをしよう、と約束した、今日がまさにその日である。
イレーネちゃんのテストの点数は、特に魔法理論が見違えるようによくなり、落第は余裕で回避。他の科目も、悪くない結果だった。
とにかく、夏休みに補講に追われるようなことはない。
もちろん落第の危機も今のところはない。
この調子で後期も頑張っていこう……だけどとりあえず今は夏休みの初め。もっと楽しいことを考えてもいいだろう。
王立魔法学校の夏休みは8月中旬から9月末までと、一か月半もある。
旅行をしたり、何か趣味に没頭したり、親元を離れて魔法学校に通っている子たちは帰省したり。
なんでもできる、夢のような一か月半である。
……学生時代の私はマギスに缶詰になっていた夏の方が多いのだけど、イレーネちゃんはそうする必要もない。
「夏休みの予定は? どこか遊びに行ったりするの?」
「田舎に帰ろうと思ってます。母が心配症なので、顔見せろってうるさくて」
「愛だねぇ。実家はどの辺り?」
「ラケルア地方ってところで……かなり山の方です。伝わりますかね?」
ラケルア地方は王都の北に広がる山岳地帯だ。
魔物が多く、魔物学を勉強していると人と魔物が共生している例もよく聞くので場所や特徴はなんとなく知っていた。
それに、あのあたりには有名な避暑地もあるはずだ。
「いいな! 涼しそう。最近こっちも蒸し暑くなってきたからねえ」
王都は真夏でも灼熱の炎天下になることは少ない。
しかし、何ヶ月もずっと降り続く雨の影響で、むしむしジメジメした嫌な暑さがどんよりと王都を包んでいた。今日も二人とも袖が短めだ。
「そうですね。今日が大雨じゃなくてよかったですけど」
「だね。今は止んでるからテラス席を楽しめてるわけだし」
でも晴れてたらもっと綺麗なんだけどね、と言いながら、私は街並みを見渡す。
このカフェは三階建ての建物の屋上にテラス席の並ぶ、ちょっと珍しいカフェだ。
周りの住宅街には平屋や二階建てが多いので、上から家並みを眺めることができる。
昔からある石やレンガの建物が、日の光を浴びて輝いている。この景色がなかなかよくて、私のお気に入りとなっている場所だ。
でも今日の天気は、曇りときどき雨。
待ち合わせからここに来るまでの間は二人とも傘を差していたし、屋上にいるので次に雨が降り出したら移動せざるを得ないと思う。
ちょっと残念だが、美味しいコーヒーとケーキでイレーネちゃんの頑張りを労おうという私の当初の考えは達成できているので、まあよしとしよう。
私も少し離れた地元から王都に出てきた人なので、故郷のことや王都での生活との違いの話は盛り上がった。
イレーネちゃんは最初に比べて、かなり自分のことを話してくれるようになったと思う。信頼関係を築けているなら嬉しいな、と思いながら、私はしばらくイレーネちゃんと話に花を咲かせた。
盛り上がる会話を途切れさせたのは、案の定、空からポツリと落ちた水滴の一つだった。
「あ、雨……」
イレーネちゃんが残念そうに呟いた。私も同じく残念な気持ちだったが、のんびりしていて思い切り降られたら災難なのですぐに立ち上がる。幸い、二人ともケーキは食べ終え、カフェラテも残り少ない。
ささっと食器を重ねて、階下のカフェに返しにいこうとしたとき。
一つしかない階段を、すごい勢いで人が駆け上がってきた。
「わっ」
まさにその階段を降りようと向かっていた私とイレーネちゃんは、その人と鉢合わせて体を固まらせる。
それはカフェの店主のおじさんだった。
優しそうな雰囲気のハゲ頭のおじさんなのだが、頭から血を流している。
本人は勢いよく走ってきたし重症ではないと思うのだが、かなりショッキングな光景だった。
固まる私たちに、おじさんは叫ぶ。
「下に、魔物が出た……! 君たち、逃げなさい!!」
――魔物が出た。
その言葉に、私はますます体を固まらせるのだった。




