*揺れるこころ5*
***戻れない時間ほど胸を貫く。
戻せない時間ほど、こんなにも愛しい。
ルリ、ルカ。
いつまでも一緒にいられると、信じていたんだ…***
ルリが自分の夢を持っていることは、当然のことであるのだ。
何になりたいとか、どうしたいとか、漠然とでしかなかったとしても誰しもが持つ夢なのだから。
でもその当然の事もルリが持っていると知って、それがルリの口からではなく、他人から聞かされたことがショックだったこと、ルリが「将来はアスランのお嫁さんになる」と口癖のように言っていたのに、それとは全く別の『夢』を持っていた事実か何故だかアスランをひどく打ちのめしていた。
ルリは側にいるのに遠く感じるようになって、今まで交わしていた挨拶のキスにもアスランは動揺と緊張をしていた。
「俺は何も聞いてなかったよ、ルカ」
朝から、幼なじみの不機嫌さを露わにした口調に、ルカが柳眉を潜める。
隣のアスランからは言葉以外にも、体全体から不機嫌なオーラが立ちこめていて、ここに学園の、それもアスランに憧れている女生徒がいたなら、百年の恋すら醒めそうな勢いだ。
つき合いが長いからルカが怯むことはなかったが、不機嫌の原因を知るだけに、いかんせん立場がほんの少しだけ弱い。
こういう日に限ってルリが学校を休んでいることを、ちょっとだけ恨めしく思う。
ルリは風邪をこじらし寝込んでいる。
健康優良児のルリが寝込むことは本当に稀で、夜中に喉と頭が痛いとルカの部屋に乱入した来た時には、そのあまりの高熱に吃驚してランをたたき起こし、夜中だというのに大騒ぎになった。
幼い頃はルカの方が遙かに病弱でルリが寝込むのは一年に一度あるかないか、それもわずか一日か二日で回復するのだから、幼心にルリは化け物じゃないかと思っていた頃もある。
それを愚痴ったルカにランが「子供の頃は女の子より男の子方が弱いのよ」と言っていた。
歳を重る事にランの言葉が本当だったんだと妙に納得したものだ。
普段なら下がる熱が下がらず、さすがのルリもすでに三日、学校を休んでいる。
至って元気で食欲も旺盛なのだが、熱が下がらない。
そうなると本人も、さすがに学校に行きたいとは言い出せず、ルリには本当に珍しく、それこそ真夏に雪が降るくらい珍しいことに、大人しくベッドの住人と化している。
で、ルカの隣にいるアスランと言えば、まだ熱も下がりきらないのに学校へ行くと言い出したルリを説得するための切り札として朝早くからランに呼び出された。
もちろんアスランにしたってランの上を行く過保護で世話焼きなのだから結果は自ずと知れている。
ランとアスランの強力タッグの前に、ルリは完全なる敗北を期したのだ。だが、ここでタダでは引かないのがルリだ。転んでもタダでは絶対に起きたりしないのだ。
ルリは高熱特有の潤んだ瞳で、それはもうあの大きめの蒼い瞳が美しく潤む、という文章がすらすらと思いつくような瞳をアスランに向けてお願いとおねだりをしたのだ。
「ちゃんと寝ているから、アスランもルカも側にいて?」
こうなるとアスランの逆転負け、ルリの一発KO勝ちだ。
小さい頃からアスランは、ルリの「お願い」という名の「おねだり」や「脅迫」に一度として勝てた試しなどないのだ。
かくゆうルカも勝てたことがない。
実は高度に計算し尽くされたルリの奥の手ではないかと思っても上目使いに言われたら無駄な抵抗は出来ない。
ルリの「おねだり」に対し、アスランは即座に「いいよ」と答えた。
その時のアスランの顔と言ったら、学園の全女生徒のみならず、辺りにいる『女』と分類されるものは全て、一瞬にして虜に出来るほどの威力を持っていた。
医師の薬が効いて静かに眠るルリの隣でアスランは読書を、ルカは溜まっていた課題に取りかかっていたのだが、ふっとアスランが「ルリがパイロットになりたいって、ルカは知っていたか」と言いだし、それに対してルカはなにげなく「知ってる」と答えたのがこの不機嫌の原因なのだから、かれこれすでに足かけ三日。
さすがに病人のルリの前では不機嫌さなどおくびにも出さず、ただ穏やかに「熱が下がってきたね、よかったね、ルリ」とか「何か食べたいものはない? ルリ」とか「ルリ少し眠って、ちゃんと傍にいるから安心して」とか、それはそれは大層、優しい口調で語りかけるのに、ルカに対してはこれなのだから、そろそろお手上げ状態なのだ。
「不機嫌の原因はやっぱりそれなんだねアスラン。あのね、僕とルリは双子なんだから、そりゃ、いろいろな話をするよ」
「ルリ……今まで何だって話したのに」
「本当に独占欲が強いよねぇ、アスランは」
ため息混じりに呟くとアスランの体から不機嫌オーラと一緒に怒りのオーラも発せられて、正しくそれを受信したルカは「先に行くね」と一言呟くとアスランの大怒号が響き渡らないうちに駆け足で校舎に消えた。
その日、朝からの不機嫌さをまだ身に纏っていたアスランに、お手上げ状態だったルカは、担当教諭から「補習のため居残り」と言われ、いつもならうんざりするところなのだが、この日ばかりは渡りに船、それはもう、晴れやかな顔で返事をすると小走りに教室に向かった。
「補習があるから先に帰宅して」とルカから言われたアスランの方はと言えば学校の帰り道にも締め上げようと思っていただけに肩すかしをくらった形となり、内心で舌打ちしたのは仕方がない。
「ゴメンね、アスラン。黙っていた訳じゃないんだけど、パパもママも反対してるし、ルカも反対してるし、アスランも反対するだろうなって判っていたから、言えなくて」
手にした本を膝に戻しルリの表情を伺ったのが、つい数分前のことになる。
足かけ三日間、ルカには不機嫌なアスランではあったが、病人のましてや自分が溺愛しているルリにその不機嫌さをさらけ出す事はなく、遅れがちなルリの課題を手伝い、たわいもない話をしつつ居眠りをしてしまったルリをベッドに戻し、静かに読書を続けていた時、ルリが静かに呟いた。
「いつから、なりたいって思ってたんだ?」
「ちっちゃいときから。大空を飛びたいなぁって思ってた。でもいいの。私はアスランのお嫁さんになるんだし、アスランにいろんなところに旅行に連れて行ってもらうから。月とか、コクーンとかアスラン?」
突然、ルリにのぞき込まれたアスランはそれこそ跳び上がるほど驚いた。
あまりの動揺と驚きに膝の上の本を落とし、それを拾おうとして椅子ごとそのまま横に倒れてしまった。
自分の無様な一連の動作に嫌気が差し掛けたが、立ち上がる時に自分を見つめるルリの瞳を見ているうちに、その嫌気が吹っ飛び、何か自分でも理解しがたい感情が支配する。
「大丈夫、平気だから……何でもない」
「……? 変なアスラン。どうしたの? 最近、なんかおかしいよ、大丈夫?」
ルリに言われるまでもなく、ここ数日のイライラやルリに対する言いようのない感情など、自分でも「絶対にどうかしている」と分かるだけにもう笑うしかない。
前まではこんな事などなかったのだ。
ルリの「将来はアスランのお嫁さんになる」というのはいつものことで、下手をすれば一日一回の挨拶のように言っていた時期だってある。
それに毎朝「おはよう」と頬に触れてくるルリのキスも、アスランがお返しにルリの額に触れるキスだって幼い頃からの習慣の一つで、今まで意識した事など一度もなかったのに。
何故だか、最近は急に緊張するのだ。
おくびにも出さないようにしていたつもりでも(自分では)ともに過ごした時間が長ければ、それは、やはりオカシイと思わせるに十分でその後、何度もルリは「どうしたの?」と言ってはアスランの顔を、瞳を、覗きこんで一層アスランを混乱に陥れていた。
だから、ルカが帰宅して姉に「ただいま」の挨拶もしないまま鞄を放り投げてルリの部屋に飛び込んで来たときには、正直、幼なじみが神にすら見えた。
その上、鞄を放り出して駆け込んだルカを追いかけて、ランが説教に飛び込んできたおかげで、がらりと部屋の空気がかわり、アスランにとっては本当に助かったとばかりに『神アンタレス』に感謝の言葉を呟いた。
夕食をとるためにダイニングにおりてきた三人はランを入れて四人で団らんを囲み、ランの美味しい手料理に舌鼓を打ちつつたわいもない話をし始めた。
それはいつもの光景で、特別変わった風景でもない。
互いの親の仕事が忙しく、暗黙の了解のうちにアスランはカーディナル家で食事をするようになっていたし、料理一般を得意とするアスランの兄のエレクトルでさえも、自宅にいるときにはカーディナル家で一緒に食事をとっている。
ルリとルカの部屋のある階にはアスラン専用の寝室もある。
時々、ランが冗談で、カーディナル家にローダデイル家も住んでしまえばと言うほどだ。
「ねぇアスラン。来週のアスランの誕生会には小父様、帰ってこれるの?」
「多分ね。帰ってくるって言ってた、昨日は」
「そっか良かったね。最近、急がしくてずっとお家にいないんだもん」
テーブルに用意された薬を含みながら、というより、アスランに無理矢理に飲まされながら、端から見れば親鳥がひな鳥にえさを与えるが如くかいがいしく世話をするアスランに、顔をしかめつつ(薬が苦くて)ルリが切り出した言葉に、昨夜かわした父との会話を思い出す。
通信している限りでは、父は最後に会ったときよりも憔悴していた。だから帰らなくてもいい、子供ではないしパーティーをやる年齢でもないからと告げたのだが、それでも頑として必ず戻ると言っていた。
アスランとしては父の負担を軽くしたくて言い出したことだが、それでも「帰るからアスラン」と告げられたとき内心では安心した。
「お父さんが忙しいのは仕方ないよ、それが仕事だし」
「アスランは寂しくないの?」
薬の苦さを追い払うために、ラン手製のタルトを口に含んだルリが、隣に腰掛けているアスランを上目遣いで見つめる。
そのルリの頭を軽く撫でると、わざとらしいため息をつく。
「ルリ、俺をいくつだと思ってるの? 兄さんもいるし、それにルリとルカもいるから、寂しくないよ」
「いくつになったって、寂しいものは寂しいよ? 私はアスランがいてルカがいて、お姉様がいて、ルク兄がいても、パパやママがいなかったら、やっぱり寂しいもん……アスランは寂しくないの? もしかしたら小父様は寂しいかもしれないよ?」
最初、すぐには言葉で出なかった。
こういう時のルリには絶対に勝てないと思う。
しばらくルリを見つめていると、ランのルリを呼ぶ声が聞こえてきて、ルリは返事をするとその声のした方に歩いていった。
ルリの言葉を反芻してみれば、自分の心をルリに見透かされていたようで、急に恥ずかしさと驚きが襲ってくる。
「驚いた顔してるよアスラン」
「…ルカいい加減、後ろから突然、話しかけるのやめろよ!」
「細かい事はいいじゃない。ルリって時々、核心をつくよね。それも自然に」
どうそれに答えようか考えているとルリが戻ってきて、ルカの「残念」という言葉が聞こえたが、あえてそれを無視をする。
「ねぇアスラン、お誕生会の時のネクタイは何色にするの?」
「何色にしようかな……やっぱり、青かな」
カップをテーブルに載せるルリの瞳をのぞき込んで、アスランが微笑みとともに告げる。
ルリは不思議そうな顔をしたのち、ルカと見つめ合ったあと、再びアスランに視線を戻して、これまた自然にアスランの隣に座る。
「青にするの?」
「うん。青にする」
「わかった」
アスランの言葉に、時として双子のテレパシーで会話しているだろ、とまで言わしめるルリとルカが頷きあう。
「あ、ルリ当日、迎えに来ようか?」
「平気、ルカがいるから。何を着るかは、当日のお楽しみにしててね、アスラン」
手にしていたカップをテーブルに置くと、ルリはアスランの頬に軽いキスを落とし、何が嬉しいのか楽しそうに流行歌を口ずさみつつ部屋を出て行った。
「素直に言えばいいのにアスラン。ルリの瞳と同じ色にするって」
この頃、民主評議会の外交特使として月に派遣されていたダイが、地球に不穏な動きがあることを聞かされていたこと、エイドリアンが自宅に帰ってこれない事情も知らず、喧噪の足音がすぐそばで聞こえ始めていたのにアスランたちには何も、本当に何も聞こえてはいなかった。




