*揺れるこころ4*
***遠く感じたのは、初めてだった。
取り残された気がして***
将来を決めるというのは、思っていたよりずっと難しい。
当時のアスランは、本当に馬鹿みたいに毎日そのことばかり考えていた。
父親の事情も含めて考えれば、連邦政府の機関で仕事をするか、外交官になるのが一番いいとも考えていた。
兄であるエレクトルはその辺りは実に器用で、早々に自分の進路を決めていた。
ルカはこの頃から特殊な才能を発揮していて、株取引を初めマネーゲームに手を染め始めていた。
気が付けばルカ名義の預金残高はお小遣いの域を十分に脱していて、額を聞かされたアスランが呆然としたくらいだ。
ルカの双子の片割れルリと言えば、相変わらず我が道を行くが如くで、将来の夢とか進路のこと等何も考えていないようで、それはそれで問題だとも思ってもいたが、アスラン自身が、何故か、ルリはこのまま自分の傍らにいるのだと思い込んでいた節もあり、まったくと言って良いほど気にもとめていなかった。
担当の教師からルリの事を聞くまでは。
ルリが夢を持っていたことすら、アスランは知らなかった。
校舎は夕日を浴びて暖かな色に染まり、その恩恵は開け放された窓から教室にも降りそそぎ始めていた。
太陽の傾きで大体の時間の把握は出来たが、確認するためにアスランは自分の腕に巻かれた時計をのぞき込む。
時間はすでに五時を回っていた。
教室内はすでに人の姿はなく、残されているのはアスランの鞄とルリの鞄だけだ。
読書に励んでいたアスランもさすがに心配になり探しに出ようかと迷っていると、教室のドアが開いた。
「まだ残ってるのか、アスラン?」
陽気な声で告げられてアスランの顔がほころぶ。
特隊クラスの担当であるこの若い教師は大層な人気を誇る。
屈託なく生徒と同じ目線で物事を捕らえ、時には一緒になって遊ぶ教師を、アスランは好ましいと思っていた。
クラスは違うが実はルリもこの教師のことを気に入っている。
アスランが風邪で寝込み、学校に登校出来ないと判った途端、女生徒がルリに始めた嫌がらせ、常ならばそこでルカが庇うのだが、生憎この日はルカまでもが学校を休んでいて、そうなると女生徒の日頃たまった鬱憤が一挙に爆発するのは当然のことで、最初はルリのクラスメイトがルリを庇っていたのだが、ルリの堪忍袋は以外と小さな袋で出来ていて、アスランというヒモが結ばれていないばかりに大爆発を起こした。
その喧嘩と言ったら女子クラスと呼ばれるにふさわしい優雅で上品な喧嘩だったらしいのだが、行き着くところまで行ったすさまじさも伴っていた。
取っ組み合いの喧嘩を始めたところで、この目の前にいる教師が「アスランに言いつけるぞ」と、喧嘩に参加した女生徒全員の名前とクラスを読み上げたのだ、上げられた女生徒の方はたまったものではない。
喧嘩うんぬんを問われて停学などを心配してのではなく喧嘩をしたことを「アコガレの王子様」に知られるわけにはいかないのだ、蜘蛛の子を散らすようにその場から立ち去った。
残されたのはルリ一人
「普通はアスランに言いつけるじゃなくて、先生の立場なら風紀に報告するの間違いじゃないですか?」
首をかしげて当然のことを質問するルリにこの教師は、
「いやな、どっちかといえばお前を止めようとしたんだ。
あの勢いじゃ、全員を地面に叩きつけかねなかったからな。
怪我をさせてからじゃ遅いだろ? アスランもいつも言ってるだろ、ルリ、やめろとかルリ、何してるんだとか」
「先生、絶対に逆だと思います」
その後、二人の間にどのような会話が続いたのかルリは笑って答えてくれなかったから未だに謎だが、それでもその一件以来ルリが気に入っているのは確かで、時々、会話に上るようになっていた。
後日談としてその喧嘩の事はしっかりとルリを締めておいた。
うかうか風邪なんて引いていられないと再確認するには十分の出来事だった。
「ルリがまだ補習を受けているので、それ待ちです。そろそろ終わると思うのですが」
立ち上がって自分に挨拶をしたのち、手元を確認する教え子を見て常々思うのは、アスランもその親友のルカも、もちろんお嬢様クラスのルリも、よいところの子息だと十分に感じさせることだ。
物腰は柔らかく礼儀作法も行き届いていて、挨拶をするにもとても自然にそれをこなすことが出来る。
特にアスランは見た目もいい上に性格も真っ直ぐだ。
学園の人気を二分しているのだから、もちろんルカも見た目も爽やかでさっぱりとしているが、どちらかと言えばこのアスラン方が穏やかで慎ましい。
クラスでもずば抜けて優秀な二人だがその優秀さは本人の努力に裏打ちされたものだ。
なんでもそつなくこなし天才的に思われがちな努力型のアスランと、何事も大雑把だが実は天才的なルカは本当にいいコンビだと教師の目から見ても思う。
そしてその二人の間に存在する、天真爛漫で素直なルリ。
「相変わらず仲のいい幼なじみズだな、お前達は。で、その双子の片割れはどうした?」
「家からの呼び出しで先に帰りました」
「そうか」
アスランは軽い微笑みを含ませて頷くと、手にしていた本を鞄の中に丁寧にしまい込み、もう一度、自分の腕時計で時間を確認する。
アスランとルカが入学した始めの頃に、教室に残っていた二人に帰らないのかと聞いた時、二人は「ルリを一人で帰らせるわけにはいかないから」と告げた事をふと思いだした。
「ルリと同じクラスだったらよかったんだけど」と、アスランが付け足したの事も思い出す。
ルリ・カーディナルは、このクラスにいても不思議じゃない少女だった。
その事実をアスランは知っているのだうかと、そんな疑問が頭を擡げてきて、彼は自分の手元のPCを操作すると同時に、暮れていく景気を窓から見ていたアスランを自分の元に呼びつけた。
呼ばれたアスランは一瞬、不思議そうな顔をしたが近寄ると、彼の差した画面を見つめ瞬時に顔色を変えた。
「コレ、知っているか? ルリの飛行適性試験の結果だ。学園始まって以来の好成績に高適性。俺もついぞ見たとないほどの成績で、ここが軍のアカデミーなら即戦力間違いなしだ」
「…この電子工学の結果はルリの成績ですか? なら……何故、ルリは特隊クラスではないのですか」
画面から目を離すことなくアスランが告げる。
「父親の反対でな。娘は絶対にパイロットには致しませんって。当の本人は民間シャトルのパイロットになりたいって言ってるんだがな」
「え…ルリがシャトルのパイロットですか?」
「お、何だ、知らなかったのか?」
教師の言葉にどう答えたのか殆ど覚えていなかった。
そもそもその日、ルリどういう会話をしたのすから、アスランは覚えていなかったのだ。
担当教師からルリの成績を聞かされてから数日。
この数日を実際アスランはどう過ごしたのか本当に覚えていない。
だからこの日も、授業の内容なんて殆ど頭に入っていなかったし、朝にルリと交わした会話も覚えてない。
そんな自分を見てルリが思いっきりふくれっ面を作ったときには自業自得ではあるが、なだめるのにひどく苦労した。
明るくてお転婆で、どちらかといえば同じ年とは思えないほどに幼いと思ってたルリを守らなければと思っていた。
それが不満だったわけではない。
ルリの屈託のない明るさは昔からアスランを救って来た。
母親を亡くして悲しんでいたアスランに、笑ってくれたのはルリだった。
お転婆につき合いのも実は嫌いではない。
口ではやかましく言っている気も多少はするが(事実、言ってるのだが)それはルリに傷ついて欲しくないからだ。
身体的にも精神的にも。
どんなにルリが元気でもやっぱり女の子であることにはかわりがないし、体に怪我をしてからでは遅い。
有り得ない事だけど、もし相手に怪我をさせてしまったら(昔からルリはその辺りは以外と器用だから有り得ないが)やはり傷付くのはルリだ。
ルリのことは何もかも理解していたと思っていた。
一番の理解者であり、ルリにとってはルカと同様の存在だと思っていた。
だからこそ、ルリが自分の夢を持っていたことに戸惑うし、それを知らなかった事実がアスラン打ちのめす。
見るともなくノートを見つめていたアスランの肘を、隣の席のルカが突いた。
促されるまま視線を転じると、そこは緑の芝生も眩しい乗馬コースが見えて、しばらく見つめていると、アスランの目に飛び込んできたのは、赤い乗馬服に白い乗馬ズボンを身につけ、髪を赤いリボンで一つに結び姿勢を正すルリの姿があった。
「アスラン、ルリがこれから飛ぶ。ああしているとわかんないんだけどねルリの脚」
カーディナル家の裏庭には乗馬を楽しむための乗馬コースがあり、双子の母であるルルは娘と息子にも乗馬を教え込んだ。
幼い頃のアスランはルリやルカよりも背が低く、二人が苦もなく上達していく横で、かなり手こずったものだ。
その時、アスランに手を差し伸べて馬に乗せたのはランで、しばらくは彼女がアスランに馬の乗り方や接し方を教えてくれたのだ。
馬に一人で乗馬することが出来るようになり、馬の扱い方も慣れてきた頃からは三人で朝に乗馬することが日課になり、今でも週末の朝は必ず三人で乗馬を楽しんでいる。
だから、ルリが誰よりも上手に乗れるのは知ってるし、ルリが乗馬する時、見惚れるほどに姿勢がいいことも知っている。
なのにどうしてか、この日はルリから目が離せない。
放すことが出来ない。
「相変わらず綺麗に飛ぶよねルリ。ああやって背筋を伸ばして馬に乗ってる姿は、まんまお姫様なんだけど、僕なんてあの姿のルリを見てると、自慢したくなるんだよね。可愛いでしょって」
半分のろけのような台詞をルカが呟く。
これが兄でなければ完全なるのろけの部類だ。
だが、その言葉の半分はアスランも思っていることで特別に反論しようとも思わなければ、肯定をしようとも思わない。
ただ、事実であるというだけで。
「アスランまた、さわってる。胸に」
「え?」
「その癖、一生治らないかもねアスラン。ルリを守った名誉の負傷──ルリとの命懸けの契約だもん」
いつもなら「何を言ってるんだよ」と呟くアスランの言葉が聞こえなかったとに疑問を感じたルカが、アスランをのぞき込むと、真剣な顔で自分の左手を見つめるアスランがいた。
だからルカの呟きはもっともで、そしてため息も当然の結果なのだ。
(本当に、鈍いよねアスラン…)
『ルリ、逢って話がしたい、声が聞きたい、もう一度、あの光を浴びて、ルリの笑顔で満たされたい』




