*静かなる意志1*
昔からルリの泣き顔はよくみてきた。
気が強くてお転婆で、手を焼くほどの溌剌なルリが、
寂しがり屋で繊細なのかを理解していたから。
だから一人には出来なくていつも、いつも傍にいた。
理由も話さすに泣いていたときもずっと傍にいた。
この手に、まだ温もりが宿るのに、
一体、何時、何 処で何が起きたのか、俺にも判らないよ、ルリ
あの海で。
想い出の場所で、垣間見たルリのあの表情は、瞳はアスランの知っているルリではなく、それがアスランを不安にさせた。
どれほど自分を叱咤して冷静になれ、忘れろと言い聞かせても感情が追いついていかない。
軍人になろう、ブルームを救おう、ルリとルカを探そう。
それが間違いだったとは、アスラン自身は思ってはいないが、その思いが今、自身を追いつめているのだと、もう一人の自分が訴えている。
守りたくて武器をとり戦う事を選んだ自分の選択を今でも間違っている、間違っていたとは思わないけが、その選択に身動きが、感情がついていけなくなり始めているのも事実でアスランの心は堂々巡りで。
『今の自分は、戦うしかないのに。心の中に残る何かが胸を突き刺す……』
「この情報は間違いないんだな?」
「はい、彼の情報ですから確実だと思います。それと、その情報と一緒にルクの弟の情報も。彼もこの作戦に参加するそうです」
コウキの静かな声に応えるアナの言葉に、どことないトゲを感じたルクは、隣に座っているルリに視線を漂わせた後、やはり後ろの首筋を撫でた。
「それとアルゴスルートからの話ですが、アペラはどうもドーマスカーの邸にはいない模様です」
「いない?」
「ええ、数ヶ月間には確かに確認できたそうだけれど、今は屋敷うちに人がいる気配がないと……密かに暗殺されたことも考えられるけれど……」
アペラはここではエイドリアンを指す。
言わずと知れたルクの父親であり、アスランの父親でもある。
そして連邦政府内部では今回の武力攻撃に対して異を唱えて、反対派の手によって監禁されている人物でもあり、ブルームの主権を取り戻した後の再建のためには必要な人物でもある。
「……いや、影響力がありすぎるから、逆に殺せない……が、影響力がありすぎるから殺してしまってるということも言えるか」
「…相変わらずあんたって…」
言いたいことはそれこそ山のようにあるが、アナは睨み付けるだけで言葉を切った。
ルクの気持ちが分からないわけではない。
父親の事、弟のこと。
飄々として見えるこの目の前の同士が、実はとても家族思いで、そして実は熱血漢でもあることも知っている。
それでも今は自分のことよりも、自分の感情よりもブルームのために押し込めている。
誰にでもたやすく出来るワケではない。
ルリがアスランの事で身を切られる程の、下手をすれば斬られることよりも痛みを感じているのなら、ルクも感じているはずなのだ。
弟が大切で父親が大切で、そして兄弟同然のルリとルカが大切で、大切な物を沢山持っているが故に、苦しみも多いはずなのだ。
「彼のことは…このままアルゴスに任せよう。今ここで我々が議論していたところで、どうすることもできん。それに我々にはその前にやらなければならないことがある」
コウキの静かな、それでいて絶対的な命令を含んだ言葉に、この場にいた人間達が肯定の意味と服従の意味を込めて頷く。
コウキの言葉は解放戦線軍の責任者としての命令でもある。
それが合図だったかのようにコウキ・アナルク・そしてルリ以外の人間達が、その場を後にしてそれぞれの持ち場へと戻っていく。
失敗すれば多大な犠牲を払うことになる作戦の開始まで、あと三〇分。
どこか現実感のないままに、ルリは腰掛けた椅子の上で身じろぎもせずにいた。
「……アスランが来るんだね…」
手にしていたブルームの地図を見つめてルリがそう呟く。
その発せられた声に感情が込められていなくて、ルクはそれが怖くて、ルリの体を自分に引き寄せて肩を抱いた後、昔からよくしていたように、頬を撫でて髪を撫でた。
思い起こせばこの行為を、ルクは「兄」として、していたのだが(と言うのも、アスランに同じ事をした時に、思い切り顔を歪められたあげくに、一週間も無言の抗議をされたのだ)それを目撃したアスランが、ひどく逆上して「いくら兄さんでも行きすぎだよ」と、ふくれっ面を作ったことを思い出す。
そんな弟の不機嫌顔を見るのが楽しかったし、なによりもやはりルリが可愛かったら、弟が不機嫌になろうとも、文句を言われようとも、行為自体を辞めることはなかった。
ルリは昔から天真爛漫だった。
なんの強制も無く、なんの束縛もなく、両親の愛情を注がれて、年の離れた姉ランの愛情も受けて、卑屈なところなどなく誰かを妬むとか蔑むとか、そんな感情を持ち合わせていないんじゃないかと思えるほどの純真さをもっていた。
だからこそ可愛くて仕方がなかった。
その頃のルリを思い出せば思い出すほどに、今のルリが痛々しくてならない。
「ルリ、いいか。逃げるだけでいいんだ。王城を破壊するのも、例の研究所を跡形もなく吹き飛ばすのも、ここを木っ端微塵にするのも別の人間がやる。お前はただ、アレに乗ってフラーミングに自分達が帝国に膝を付くのを辞めること、フラーミングの言うなりにはならないことを宣言するだけでいい。その後は、決められた場所まで逃げればいい。それだけでいいんだ」
「だけど…本当にそれだけでいいの? 攻撃されたら私はどうすればいいの? 撃たれても撃ち返さないでいられる自信ないよ…自分が死にそうになったら反撃しちゃうかも知れない」
当たり前の言葉を吐く。
自分に銃口を向けられれば誰だって怖い。攻撃されれば誰だって死にたくない。
撃されて自分の身が危なくなれば人は反撃する。余程の超能力者でもない限り先のことは分からない。
自分が狙われても反撃もせず、撃たれるままにして、笑っていられる聖人君主などいるはずもない。だからルリは怯えているのだ。
ここが軍隊なら「甘ったれるな」とか「命令だ」と、ののしることも出来るだろうが、ルリはあくまでもアレを扱えるというだけで、特別な訓練も教育も受けてきていない。
つい二年前までは自分の置かれていた状況すらもしらず、世界がどうなっているかも知らない、ある意味では本当に温室の中の花のように育ってきたのだ。
それを誰が責められるだろうか…。
「いいか、ルリ。お前は軍人じゃない。だから攻撃行動も活動にも参加する必要はないんだ。詭弁かもしれないが、自分の命を守るために、どでかい防護服を着ているだけだ」
「……だけど」
それまで黙っていたコウキが椅子に腰掛けているルリの前に来ると片膝をつきその震えている手を握りしめた。
「君は、君とルカ君は自分達を利用してもいいと言った。その言葉に嘘があったとは思わない。私の事も君は信じてくれたのだから。人は誰でも怖いという感情を持っている。それは仕方のないことだ。軍人でも戦士でもやはり死ぬのは怖い。相手を傷つけるのも怖い。だが命令だから従う。自分で選んだ道だから突き進む。君は、軍人でもなければ戦士でもない、それは分かる。だが君も自分で言ったように、自分で選んだのだ」
柔らかで丁寧な言葉の裏には「自分で選んだのだから、泣き言は言うな」との厳しい意味が含まれていて、ルクもアナも一瞬、怒りを覚えてコウキに反論しようと息を吸ったとき、今までとはまた違うトーンで、コウキがルリの名前を呼ぶ。
「ルリ……我々はまだ主権を取り戻してはいない。よってここは正式には国の軍隊ではない。解放を求める過激派ゲリラと大差無い。下手をすれば強力な武器を持っている分、ゲリラより始末に負えない。それゆえ作戦が失敗すればゲリラとして罰せられる。だからこそ君は逃げればいい。ルクも言ったが詭弁だろうと、誤魔化しだろうと、そんなことは生きているからこそ言えることだ。だから君は逃げて、生きることだけを考えればいい」
「……逃げても」
「解決しないこともある。だがパイロットの問題だけは逃げれば解決するだろう。主権を取り戻し、時間を稼ぐことが来れば、他のパイロットを探すことも出来る。上手くやれば停戦だって出来るかも知れない」
しばらく見つめ合っていたルリの瞳が揺れる。
「…嘘が下手だよ……コウキさん」
ルリはお嬢様育ちだがバカではない。
人を見る目も持っているし洞察力もある。
二年前までは家族という温室の中で大切に育てられてきたが、軟禁されていたこの間で、彼女は自分の置かれていた危うい立場も、一族の裏も知った。
だからコウキの言う「停戦」が夢物語に近いと言うことも理解できている。
アペラことエイドリアンが現在、不明であればなおさら、連邦政府との停戦などは不可能に近い。
ある意味では連邦政府内に強い力を発揮することの出来るアペラの存在があるから蜂起した人もいるのだ。
元政権が続いている以上、ブルームの主権が復活したからという理由だけで停戦を結ぶことも、軍を引き上げてもらうことも不透明なのだ。
かといって帝国を退けただけではブルームの主権は回復しない。
ある程度の援助はうけつつも、対等の立場で物事を処理できなければ、ブルームは連邦政府の傀儡でしかないのだ。
そういうことも考え合わせれば、エイドリアンの存在はそれほどに重要なのだ。
そのエイドリアンの行方が分からない以上、コウキの語った先の事などそれこそ夢物語に近い。
それでも今はそれを信じて解放戦線部隊は立ち上がろうとしている。
ルリとルカが表向きは父親を見殺しにしたとしても、帝国には従わないという意思表示をして、自分達の身柄はブルームの主権とともにあると宣言しようとしている。
ルリとルカは本来ブルームの一員で、国民なのだから当然ではある。
だが裏の意味は、ダイが死亡すればカーディナル家を継ぐのはルリかルカになる。
帝国が最も必要としているのは莫大な財産などではなく脈々と続いてきた「科学者」としての付加価値の方だ。
コクーン建設の技術も、連邦や帝国が有している戦闘機の技術も、そのすべての基礎はカーディナル家とカーディナルフェル家が培い伝えてきたものだ。
だからこそブルームはデュオン家の一員であるカーディナル家を受け入れた。
コクーンも月もカーディナルフェル家を受け入れてきた。
ルリもルカも信じられないことを知りすぎてしまったのだ。
「……私の言っていることがたとえ夢物語だとしてもだ、ルリ。上に立つモノは理想を持ってそれを言わなければならない。いかにして、その理想論に人々を引きつけて騙せるかだ。そして上にいるものは、自分の理想に依ってはならない……私の言葉が嘘だとすぐに否定されたのでは、私は上に立つ器ではない、ということだな?」
その言葉にルリの頬がほんの少しだけ緩む。
同時に、ルリが纏っていた張りつめた空気が緩む。
「ルリ、言いたいとも考えたいこともあるだろう。それは私も同じだ。何が正しいのか、それは人によって様々だ。だが今は、やらなければならないことがある。答えを探しているヒマはない等と言ってるようでは、私は政治家には向いていないらしい」
「コウキさんは、元々は行政府の方ではないの?」
「そうなのだよ、どちらかといえばルクのように防衛族の出身でね。家は代々民政委員を輩出する名門だったが私はそれにどうも居心地が悪くて、月に留学してそのまま向こうでコクーン共同防衛組織軍の管轄のアカデミーにまで入隊して…まあ、上に三人も兄がいたので、ある程度の放蕩もできたのだが、月の大統領暗殺事件の際に兄が死亡し、その後も不幸が続いて、ブルームに戻って、何を間違ったのか民生委員になった。あげくの果てには行政担当となったのだから、人生はわからんね」
「……コウキさん、コクーン共同防衛組織軍にいらしたの?」
聞かされた昔話に驚いたルリが、本当に驚いたという顔で問いかける。
ルリを初めてとしてアナ、ルクも初耳だった模様で、こちらも吃驚したような顔をしている。
これから大きな作戦が待ちかまえているというのに、思わず自分から始めてしまった昔語りに驚かれて、コウキはただ苦笑いを浮かべた。
「…まあ、私もそれなりに生きてきたということだ。そして君のご両親も、ルクの両親もね」
『悪夢はこれから始まるのだと、耳元で女神の笑い声がした』
「これより我々、解放戦線軍は我が国を取り戻すため、愛する大地を取り戻すために立ち上がる! 同士達よ、愛する限り戦い、命ある限り生きよ、希望がある限り立ち上がれ。勇気ある者たちにジャスティティアの幸を」




