*それぞれの想い1*
***忘れないでね、アスラン。
私はいまでもアスランが好き、ずっとずっと大好き。
だから、知らなかった。
この想いが、別の所で歪み始めていたことに***
「ご機嫌は如何ですか、ルリ様」
声のしたほうに視線を向ければ、そこには一人の女性が立っていた。
女性にしては長身の体を、身動きのしやすい服に包み込んで茶色の髪を一つに結い上げている。
「アナ! どこから入ってきたの?」
「今日はちゃんと玄関から入らせて頂きましたわ。私はこうみえましても、ルリ様の護衛係ですから」
アナと呼ばれたその女性は茶目っ気たっぷりにウィンクする。
「監視役ではなくて?」
「そうとも言いますね」
静かにドアを閉めゆっくりと歩いてルリに近づいた彼女は、はやり静かに隣に腰をかける。
「ルカ様から伝言ですわ『意志』と『光』が『希望』を見つけた、と」
「そう」
耳元でささやかれた言葉にルリの瞳が曇る。
が、彼女の憂いの原因はどうやら自分の持ってきた伝言だけではないはずだと気づく。
自分の声に答えたときのルリの瞳には、あきらかな陰が含まれていたのだから。
思えば今日、ここに来る前に立ち寄ったルカの部屋でルカが何事かを言いあぐねていた。
そのルカは今、同じ邸の別に設けられた棟で軟禁状態になっている。
ルリも同じ境遇ではあるが、行動に対する制限はルカよりも弱い。
ルカは与えられた棟から一歩も出ることは出来ないのだから。
アナがルリやルカに逢えるのは、護衛兼監視役としての立場があるからだ。
「ルリ様、なにかありました?」
「アスランに逢ったの。だけど……」
言葉を切ると再びルリは愛らしい顔に憂いを浮かべる。
はじめて双子に会った時、二人は怯えも何も見ず、ただ前を見据えて自分達の置かれた立場を「理解」しその上で目を見開いていた。
今まで何一つ知らされず、ましてや「平和な楽園」に住んでいた一四歳の人間が、一夜にして「地獄」に近い場所に放り出された。
父親を助けたければどうすればいいのか。
母親を助けたければどうしなければならないのか。
犠牲を少しでも減らす為には何を選んで捨てなければならないのか。
二人は、帝国の女帝に膝を付くことを選択して「逃げる」という選択肢を捨てた。
子供っぽい正義感や使命感だと一笑することは、アナには出来ない。
言葉を切ったまま黙り込むルリの隣、静かに彼女の横顔を見ながらじっと次の言葉を待つ。
「私、アスランの敵になっちゃうかも知れない…」
「……アスランってルクの?」
「うん。ステラになってたの、アスラン」
「よりにもよってステラですか? あのルクの弟がステラ?」
アナの声に呆れと驚愕を感じて、ルリがほんの少しだけ笑う。
「そうだね…アスランとルクも、だね」
「まあ、ルクの場合は本人にも多大な責任があるでしょうから戦場で出逢ったとしても上手く立ち回るでしょうけれど…随分とまた面倒な事態に…ルリ様、大丈夫ですか」
大丈夫かと聞いてみたが、平気なはずがないのはアナにも充分わかっている。
それでもこの少女は、ここで立ち止まって泣いている訳には行かないのだ。
「…アスラン……私……」
ルリが小さく呟いた声にアナは背中が凍る恐怖を感じた。
前にルクが言葉にしたことがあるのだ。
想いが一途であればあるほど、失ったときの喪失感や絶望感は予想も付かない。
そして純粋であればあるほど、痛みは深くなる。
「一途で純粋な想い」の裏には「狂気と恐怖」が潜んでいる。
ルリの一途さと純粋さは紙一重で危ない。のだと。
「同じ血の流れる女なら、年寄りより若い方がいいと思うのは男なら当然の心理だろう。どんな男だって、若くて可愛い女の方がいいに決まっている」
そう言って、豪奢なソファに体を預けて、グラスの中の液体を飲み干していたのは、つい数時間前だった。
にも拘わらず、今は斬りつけられた胸の傷は熱をもって激しい痛みを伝える。
深く斬られたわけではなく、もちろんすぐに医師に手当はさせたものの、自分が小娘に受けた手痛い行動を思うと腸が煮えくりかえる苛立ちと、傷つけられたプライドが、相乗効果となって怒りが爆発する。
男は手当たり次第、怒号を発しながら近くにあっモノに八つ当たりすると、最後には近くにいた人間達まで当たり散らす。
「あの、小娘はまだ見付からないのか! 何をしているんだ!早く捕まえて連れてこい!」
「ただいま、付近を捜索しております。殿下、今しばらくお待ち下さい」
「くそっ! この屈辱をあの小娘にも味合わせてやる」
同時刻、同じ宮殿の別の場所で一人の女性が不機嫌そうに椅子に腰掛けていた。
「この騒ぎはどういう事なの、説明なさい」
静かな空間に声が響き渡る。
数段高い場所に設けられた豪華な王座に腰掛けているのは、誰もが美しいと言うだろう容姿を持った女性だった。
体にピタリとフィットさせた深紅のナイトドレスの上に同系色のガウンを纏い、常ならば美しく結い上げられるなだらかなウェーブのかかった金髪を背中に垂らしている。
シミ一つ見当たらない白い肌、最低限の化粧だけを施された顔には淡いブルーの瞳。
「まったく…こんな夜中に何事かと思ったら……」
王座に腰掛け脚を組むと、スリットの部分からは細くしなやかな脚が現れた。
目のやり場に困った男性は再び深く頭を下げると意を決して口を開く。
「リデリオ殿下の棟で殿下が斬りつけられまして、現在、その犯人を追っております」
「それは聞いたわ。斬りつけた相手を聞いてるのよ」
「はっ、それが……」
寝起きを起こされてイライラしていたことも手伝って、口から甲高い声が出た
「早く言いなさい!」
「リデリオ殿下がルリ様に……その……寝室で……」
総てを言い終わらないうちに女性は手にしていた杖を投げつける。
日頃このような暴挙にでるような人ではなく、どちらかといえば「穏やかさ」を演じ纏っている。
ウォーターリール朝の女帝フラーミングは、デュオン家の令嬢として生を受け、側室として皇帝にあてがわれたが、その美しさと謀略をもって正婦人をけ落とし、自分が正婦人になった。
皇帝の側室として王城に来た時はまだ一六歳の少女で、とてもそのような謀略を考えつくようには見えなかった。
それから二五年。
彼女に対して太刀打ちできる人間等この帝国内には存在せず、又、抵抗しようものなら明日の命も知れないとまで言われている。
「ルリ様は現在…行方がわかっておりません」
「プライドだけが高くて何も出来ない低能男ほど、タチの悪いモノはないわね! 浪費と享楽にしか才能を発揮できないくせして、下半身の欲望を満たすことだけは人一倍だなんて……野生動物にも劣るわ」
「陛下…どのようななさいますか?」
「リデリオの事など放って置きなさい。死のうが生きようがどうでもいいわ。でもルリはこちらが先に見つけなさい、あの娘はダイを操るための餌なのよ! リデリオ如きに与えてしまうには勿体ない餌なのよ! すべてを任せるからルリを見つけなさい。それからルカの監視も人を増やしなさい」
女帝の右腕とも言うべき男がその場から退出すると、横のドアから一人の男性が姿を見せた。
「陛下、お呼びでございますか」
「黄昏が連れてきた貢ぎ物の姫が居たでしょ? 彼女にルカをたらし込ませて、そのうち殺せと含んでおきなさい」
「ですが陛下、彼女は…」
「ふん。薔薇姫が別の男の子供を孕もうが、殺そうがどうでもいいわ。ルカに子供を作られても困るけれど。……体を満たすだけの愛人ならいくらでも居るのよ、リデリオ。やっぱり愚かな女の腹から出た男は所詮この程度よね。もうすこし従順なら可愛がってあげたのに」
指が震えてる
『助けて…アスラン』
***叫んでも答えのない姿を求めてる。
いつも側にいてくれて、いつも守ってくれて、いつも笑ってくれた人。
戻れないことの意味を、初めて実感した***
「それ以上、近寄ったら今度は躊躇しないから!」
ベッドの上でルリが言い放った。
彼女がこの部屋に来るときに身につけていたワンピースは、雑巾の切れ端のようになって、部屋に敷き詰められている毛足の長い縦断の上にちりばめられて居る。
今、ルリが身につけているのは、淡いピンクのキャミソールと下着だけで、白くしなやかな、無駄肉一つ見当たらない四肢が惜しげもなくさらけ出されている。
唯一、損なっていると言えば、右脚の太股から膝にかけて長く走る痣で、一目見てそれが過去の傷だと分かる。
それでも下着姿のルリは本当に美しく、こんな状況ではあるが、欲情して下半身を刺激した。
リデリオが初めて見たルリ・カーディナルは、当時一四歳の少女だった。
その体に、肌に男を知らない無垢な少女が大好きで、地位と権力にものを言わせて、帝国内の美少女と呼ばれる少女達を次から次へと自分の寝室にはべらしてもいたが、ルリには何も感じなかった。
確かに可愛い印象はあったものの、取り立てて美少女という程でもなかったし、 どんなに無垢な少女が好きでも、童女には魅力を感じない。
が、このわずか二年でルリ・カーディナルは、どんな美少女よりも上位に位置するほどになった。
目の前に、手の届く位置に、これほど近くに、自分の好みの少女がいるのだから手を伸ばさない理由はない。
フラーミングの許可がなければルリを邸からは連れ出させない、とおろおろする女官を叱り飛ばして、部下にルリを連れてくるように命令した。
最初は反抗的だったルリの弱点など知り得ている。
この二年間、逢うことすら許されない父親の名前を出し「父親を殺してもいいのか」と一言言えばすぐに大人しくなるはずだった。
ところがルリの服をはぎ取った時、首から提げていた蒼い石のついたペンダントが目に飛び込んできた。
ペンダントを握りしめて何事かを呟いていたのを聞いて、それが男の名前だと知って、こみ上げてくる優越感や言いようのしれない悦びが体を支配したのだ。
別の男を思っている女を組み敷くことが、これほど支配欲を刺激して満たし、心地良いものだとは知らなかった。
そんな気分に浮かれていたリデリオは、ここで手痛い失敗をしたのだ。
ルリの身辺検査をしなかったことも失敗の元だったが、ネックレスを無理矢理にはぎ取ったとき、ルリの表情と態度が一変した。
ルリは自由になっていた右足で思い切りリデリオの股間を蹴り上げて、悶絶している彼をベッドから投げ飛ばした。
リデリオが唖然としている間にペンダントを拾ったルリは立ち上がると、リデリオを睨み付ける。
その態度が癪に触る一方で、下着姿のルリに再び欲情して、熱が一挙に下半身を刺激していますぐにでも、その体の、その部分に押し込みたい激情に駆られた。
所詮は女なのだと、強引にベッドの上にルリを押し倒そうとしてリデリオの目に飛び込んできたのは、白いベッドシーツではなく、豪華な天上画で、瞬間に何が起きたのか理解は出来なかった。
自分がルリに投げ飛ばされたのだと悟ると、今度は激しい屈辱が襲ってきて、是が非でも征服したい欲に駆られて、闇雲にベッドにのし上がると、暴れるルリを押さえつけてキャミソールを破り下着に手をかけようとして、まず背中に痛みが走り、ひるんだ隙に今度は胸に熱い激痛を感じて、うめき声を上げた。
瞬間、力が弱まったところをルリに本日、三度目となる見事な投げ技をもって、再びベッドの下に投げ飛ばされる。
絨毯があるとはいえ、かなりの勢いで投げ飛ばされて背中を打ち付けたリデリオは、瞬時呼吸をするのも辛く、やっと呼吸が出来る時になって目を開けると自分の胸から血が流れていた。
その血に驚いて飛び起きようとした彼は再び仰向けに押しつけられる。
リデリオの胸にはルリが馬乗りになり、首筋にナイフというには刃渡りが長い見たこともない形状のものが当てられている。
「……や…めろ」
かすれた声しか出せないのは、打ち付けた背中が痛いこともあるが声を出した拍子に首筋がピリと斬れた感触がしたからだ。
視線を首筋に向けてから再びルリに向ければ、彼女からは一切の表情が消え失せて、蒼い瞳の色が瞬間金色を帯びたように見えた。
自分の命の危機をしっかりと悟るにいたって、リデリオはルリの無表情に恐怖を感じると、今まで自分を支配していた征服欲や欲望など、下半身にまつわるすべての欲を放棄して、必死にルリに命乞いをする。
「………」
何度かルリを跳ね除けようとしたものの、少女のとは思えない力で押さえつけられ、首筋に突き立てられた刃が、今もピリと新たな痛みを伝えている。
小娘ごときにここまで愚弄されている事が、何よりの屈辱ではあるが、逆上したルリがほんの少しでも刃の位置を変えれば、自分の首筋から血が噴き出す姿が容易に想像が出来るだけに、今は我慢のしどころなのだと、自分に言い聞かせる。
生きていれば、ルリに自分が味わった屈辱を何倍にもして返すことも出来るのだ。
「ルリ様!」
ひどく大きな音とともに開かれたドアの向こうに、ルリの護衛役兼監視役の女性の姿を見て、リデリオが安心したのは当然だった。
彼女はフラーミングの忠実な部下の一人で、リデリオとも認識がある。
何度か彼女と大人な関係、あからさまに言えば自分のセックスの友達でもあるのだ。
しかも後腐れもなく。
自分とそういう関係にある人間すべてが、自分の言うなりだと思い込んでいるリデリオは、飛び込んできたアナが自分を助けてくれるものと思い込んでいたが次の瞬間、鳩尾に強烈な一撃を喰らった。
反動で胃の中のものすべてが逆流する。
咳き込み呻っている間に、手際よく縛り上げられて、激痛で朦朧としていた意識がはっきりしたときにはベッドに括り付けられた。
その間、ルリは無表情のまま茫然自失となっていた。




