*ふたつの正義3*
*** 記憶の中のルリは、笑うだけで。
だけど、その笑顔を今は思い出す事が出来ない。
笑っていてくれればいい、楽しそうに笑ってくれればいい。
幸せでいてくれればいい。
その願いは本物で、その思いは真実で、
なのに心のどこかで声がする「無理矢理にでも」と
その声は日増しに大きくなって今の俺を苛む***
「アスラン助けるって言うけど、どうやって助ける気なの?」
ルリがアスランの腕の中で身じろぎもせずに呟く。
声のトーンは今まで一度も耳にしたことのない程に低くて、アスランは驚きと不安で、腕の中のルリを見下ろした。
「ルリ」
「アスラン言ったよね。俺が助ける、俺がなんとかするからって。だけど、何をどうするつもりなの?」
そう問いかけられてアスランは再び押し黙った。
数分前まではルリを説得できると思っていた。
昔から危険なことをするルリを止めるのは自分の役目で、そしてルリを説得するのも、双子であるルカではなく自分だった。
だから、今回だってきちんと話をすれば、ルリは納得して自分と一緒に行ってくれると思っていたのだ。
確かに戦艦に連れて行くことに関しては軍務違反であるし、自分の立場を考えれば、理性で判断するのなら許されることではないのは十分承知していたが、いくら軍内部でエリートと呼ばれようとも、アスラン自身もまだ十代でましてや、覚悟があるのかと問われれば覚悟を決めて進んだ道とも言い難く、様々な葛藤と戦いながらも、繰り出した言葉であったのだが、その葛藤を押し込んでまで告げた言葉に、ルリが反発する事までは考えられなかった。
「……アスラン、どうしてアスランが軍人を選んだのか、私には分からない。でも、私を助けることが、アスランの仕事ではないんでしょう。世間知らずな私にだって、わかるよ、それくらい。軍人は仕事なんでしょう。命令に従う者なんでしょ? 勝手なんて許される事じゃないんでしょ?」
「それは……でも、なんとかするから」
「アスランは、さっきからそればっかり。なんとかするからって」
呟いた声に再びドキリとする。
いや心臓を鷲掴みされるような不安。
ルリの声には自嘲とあきらかな影が滲んでいる。
朗らかに少女らしいトーンで「アスラン」と呼んでいた同じ口から出ているとは思えない。
記憶に残る声はもっと優しかったはずだ、この二年間自分を支えていたのはルリの声だった。
そのルリの声がいまはこんなに遠く感じる。
アスラン達が過ごしたブルームは本当に平和で戦争の影すらも感じなかった。
それは両親に守られていたからだ。
アスランが軍に入って最初に驚いたのは、帝国と連邦の交戦の多さで、小競り合いも含めれば膨大な数だった。
知らなかった現実に、最初の一ヶ月はひどく落ち込んだものだ。
そしてタイスに出逢っていかに恵まれた環境で育ったのかを認識したのだ。
戦争で親を失った訳でも、その日食べる食事に困ったこともない。
瓦礫と残骸しかない街の中を悪臭漂う環境の中を彷徨って歩いたこともない。
銃口を向けられて脅されたことすらもない。
その現実を目の当たりにしたときの、あの言葉に出来ない切なさと、自分の隅に存在していた他人事だという無関心さ、それに気づいてどれほど自分が嫌になったか分からない。
それでもその現実を生み出す側に回ることにしたのは、今、アスラン目の前にいる幼なじみを見つけたいから他ならない。
ブルームを攻撃した帝国に憎しみを感じていたこともある。
帝国が地球を蝕んでいて、人々を蝕んでいて、やがて何もかもを破壊しそうな気がする。
『連邦側に正義はある』
そう思うからこそ自分は手に武器を持っている。
帝国の理不尽かつ自分勝手な攻撃理由を知れば知るほど、苛立たしさも覚える。
行方不明になった幼なじみが、ルリとルカがあの攻撃で死んだのだと知らされていたら、知っていたらもっと帝国を憎んでいたに違いない。
だが、ルリもルカも生きていてこうして、自分の目の前にはルリがいる。
そのルリを助けたいと思うことのどこがいけないのだろうか。
捕まえている腕を何故、捕まえたままにしておけないのか。
ルリから自分がデュオンの血筋だと知らされて驚いたことは確かだが、子供は親を選んで生まれてくることは出来ない。
ルリもルカも大切で、その二人の父親のダイだって大切で。
だから、なんとかしたいのは本当なのだ。
声にだしていないと思っていた。
心に浮かんだ言葉も考えも、だが、自分が声にしていたと気が付いたのはルリがアスランの頬に触れて言葉を紡いだときだ。
「アスラン、私は帝国に膝をついたの。パパを見殺しに出来るなら、二年前にそうしていた。でも、出来なかった。出来ないから、今の私のこの状況がある。私はここに来るとき、自分の意志でここに来た。だから、ここを出るときは、自分の意志でここを出る。誰かの意志ではなく、自分の意志で」
それはいままで一度も目にしたことのないルリだった。
「アスラン、私にも意志はあるんだよ? アスランにも意志があるように」
当然のことをルリから言われて。
瞬時にアスランの心に、浮かんできたのは苛立ちだった。
ルリの言い分もわかっているつもりで、ルリとルカの状況も理解したつもりだ。
だが、タイスに協力を仰いでまで、無理してまでこの場所に出向いて来たのは、真実を確認するためで、別にルリを責めようとか思った訳じゃない。
自分の目で無事を確かめられたらいいと思っていた。
どうして帝国内の邸にいるのか確かめられればいいと思っていた。
その後にどうするかまでは確かに考えていなかったことは否定が出来ないが。
ルリとルカの無事を確認したかったことは本心で、けれどルリの口から今までのことを伝えられれば連れて行きたいと思うのも当然の結果だった。
帝国内にいるうちは安全かもしれない。
それは帝国と連邦の衝突が激しくない状態であるからで、もし連邦が勝利したとき、帝国の国王位にルカがいたらどうなる。
利用されただけと言っても、その身が安全だとは言えない。
大切な幼なじみが、傷つくのも利用されるのを見るには忍びない。
高度な政治的要因などを、この時のアスランに理解できるはずも、そして思慮するだけの余裕があるわけでもなく。 だから、繰り返すことしかできないのだ。
「一緒に来い、俺がなんとかするから」と。
そんな説明でルリが納得するはずはないのだと、やはりアスランは気づくだけの余裕もなく、タイスとの約束の時間が迫れば迫るほど、ルリの強情さに苛立つのだ。
「……お前が強情なのは知っていた。でも、聞き分けがないとは思わなかったよ、ルリ」
乱暴な口調はその苛立ちをルリに「伝える」ためだ。
そしてもう一度、繰り返す。
先ほどよりも強い語調で。
「ルリ、頼むから聞き分けてくれ! もう時間がないんだ」
「アスラン、私の話をちゃんと聞いていたの? 私は行けないとは言ってないの、行かないと言ってるの。自分の意志でここに残るって言ってるの」
ここしばらく、これほどの苛立ちを感じたことはなくて、怒鳴り出したい気持ちを抑えつけると、掴んでいたルリ手首を思わず握りしめた。
その強さはアスランの苛立ちと、必死に自分の感情を抑えつけていることをルリに伝えてはいたが、ルリは言葉も発せず、アスランの瞳を見返した。
反抗的ともとれる態度に苛立ちは最高潮に達し、瞬間、押さえ込んだ怒声が喉まで出かかったが、再び見返したルリの瞳の中にある「怯え」に気が付くと、深いため息をついた。
苛立ちも感じるが、ルリを怯えさせたい訳ではない。
握りしめていた力を緩めれば細くて白いルリの手首には、くっきりと痣が残っている。
それが自分が残したのだと思うと、苛立つ半面、今度は軽い罪悪感が芽生え始める。
「……ごめん、ルリ」
心に芽生えた罪悪感のおかげで、沸騰していた血がほんの少し冷めると、口から謝罪の言葉が出た。
その謝罪にルリは「平気」と一言だけ呟いた後、もう一度、アスランを見据える。
「アスラン……聞いてもいい? どうして軍人になったの?」
ルリの口から出た予想外の言葉に、一度は薄れた苛立ちが蘇る。
アスランがしている腕時計は確実に進み、タイスとの約束の時間が迫っていることを知らせている。
すぐにでもこの場を離れないといけない。
だから、ルリの質問に丁寧に答えている時間など許されるわけなどない。にもかかわらず、ルリはこの場を動く気はないという、そして自分にどうして軍人になったかと聞いてくる。
そんなことはこの場でなくとも話せる。
ルリが自分と一緒に来さえすれば、時間が持てる。
そう思うとより一層苛立ちと憤りを感じて、アスランはルリの問いに答える代わりにルリの手首を捕まえて、強引に歩き出した。
「そんなこと、後からいくらでも説明してやる! とにかく時間がないんだ。我が儘言わずに一緒に来い! ルカとおじさんの事は俺がなんとかする」
「……助け出すと繰り返すけど、何をどうするつもりなの? アスランさっき言ったよね。連邦に正義があるから軍人になった、連邦に正義があると信じたから武器を手にしたって……」
再び、大きなわざとらしいため息をアスランは吐く。
ため息には「此の期に及んで、人の揚げ足をとるな」という意味が多分に含まれていたが、ルリは立ち止まるとアスランの目を見据える。
「私は連邦にも帝国にも正義はないと思ってる。自分の信じられない場所に行けるはずないでしょう。それに、何とかすると言うけど、繰り返すけどそれを説明してくれない。私はアスランの何を信じればいいの?」
「………ルリ?」
「…組織の中のアスランに、私やルカを助けることは無理だよ。連邦軍人のアスランに、帝国の国王血縁者である私達を助けることは無理だよ。アスランの手を取ったとしても、この手はすぐに離さなきゃならない。利用されるだけでしょ私とルカの今の立場では、だから一緒には行けないし、行くつもりもない」
「言いたいことはそれだけか、ルリ。なら言わせてもらうけど、お前はどうするつもりなんだ。今のお前に何が出来る? 帝位をルカと一緒に継いで傀儡になって、力でも付けて対抗するとか言うつもりか!」
「それなら、アスランも一緒でしょ、今のアスランに何が出来るの?」
その瞬間にアスランがかっとしたのは事実だ。
気の短い方だと思った事などないし、自覚したこともなかった。
ルリの言葉に頭に血が上り怒りがこみ上げ、相手が男なら平手打ちにしていたくらいだ。
それでもルリに対して平手打ちを繰り出さなかったのは、アスランの中に相手が女の子であること、そしてなによりも相手がルリであること、それを考えられるだけの微かな理性と余裕はあったからほかならない。
「ルリ……」
「どうして……アスラン軍人になったの? どうして連邦軍に……」
「それは! お前達を探したんだ。あの後、随分探して……父も探して、だけどブルームはすでに帝国の手に落ちてた……」
飛び立ったあの日。
アスランが見ているその目の前で空港は一瞬にして文字通り火の海になった。
数多くのミサイルが飛び交い、次々と建物が姿を消していく様をシャトルの窓からただ見つめるしかなく、機内に響く悲鳴もどこか遠かった。
直ぐに降りると、おろしてくれと泣き叫びながら、無我夢中で窓にしがみついて「ルリ、ルカ」と何度も名前を叫んでシャトルが月に緊急着陸するまで、泣き続けた。
あの景色を忘れることなどアスランには一生出来ない。
ルリとルカを失ったかも知れないという恐怖感すらも及ばない、体中を支配した喪失感を拭うことは絶対に出来ない。
「……探したんだ、ずっと探して……頼むから!」
もう何も、この手から失いたくない。
祖父であるドーマスカーは確かにいろんなものを与えてくれるが、アスランが一番求めているものは決して与えてはくれない。
父のエイドリアンとは、直接話をすることすら出来ない。
親代わりとなってくれていた七才上の兄も二年近く消息は掴めない。
いつも傍にいて、笑っていたあの頃を思い出すたびに、アスランはいつも孤独感に押しつぶされそうになる。
少しでもいいから、この孤独を埋められるものが欲しい。
「ルリ…頼むから一緒に来い! 俺がなんとかするから。ルリのことも、ルカのことも、おじさんのことも」
「アスラン、守れない約束をまたするの?」
『この時、想いを伝えられなかった。言いたいことを言うだけで…』
***その手を、アスランの差し伸べた手を取り一緒に行きたい。
だけど、別れてしまってる***
『正義ってなに、それは何処にあるの』
***アスランにも立場があって、守りたいものがあって、
アスランの中にも正義があるんだって……私は知らなかったの。
ごめんね、アスラン。ひどいこと言ってごめんね***
ルリが自分からその手を腕を振り払ったことは一度もなかった。
そして、アスランから振り解かれたこともなかった。
いつでも手を伸ばせば、握りかえしてくれる互いの温もりが、二年前のあの日まではあった。
二年前のルリならば間違いなく、理屈もなにもかも全てねじ伏せてアスランの手を取ってこの場から逃げ出した。
だが、ルリにも立場が出来た。
無理矢理にでも理解しなければならない現実がある。
自分勝手な行動がこの後にどれほどの犠牲を産み落とすことになるか、考えられないほど盲目的にもなれない。
ルリが「もう行って」と呟いたとき、それを促すようにアスランの腕のアラームが鳴っていた。
その腕時計の時間を確認したアスランが軽く舌打ちする姿を見て、ルリの胸にこみ上げたのは哀しみではなく痛みだった。
時間を惜しむように、そして何かを強引に押し込めるように一度だけ、ルリを抱きしめたアスランが「もう一度、考えなおしてルリ」と静かに呟いた声には、たくさんの感情が押し込められていて、それだけでも無条件にアスランの手を取って、この場から逃げ出したいと思った。
だから「行けないよ、一緒には」そう呟くルリの声は、微かに震えていた。
「行ってアスラン。もうじき見回りが来るから……もう行って。見つかったら私でも庇いきれないから…」
目の前に、ルリの目の前に立っているのはルリには大切な人。
幼い頃から傍にいて、ルリの寂しさに一番最初に気付いて、泣きたいときも哀しいときも、傍にいた大切な人。
自分を甘やかして抱きしめてくれた人。
それは間違いのない事実で、その思いはいまも変わらない。
だけど、今は行けない。
「……必ず……」
その次の言葉はアスランの口から出ることはなかった。
ルリに言われた『守れない約束をまたする』の言葉は思っていたよりも、アスランを打ちのめしていた。
だから、心の中でその続きを呟く。
『…ルリ、守れない約束なんてしたつもりはなかったのに』
ルリからアスランと何を話したのか粗方聞き終えたとき、目についたその手首の痣にルカは絶句した。
間違っても、あのアスランがルリを傷つけるなど想像もしておらず、天地がひっくり返っても絶対、あり得ないと思っていた。
だが、くっきりと残る痣はまぎれもない事実で、白い肌に生々しく痛々しく。
「ルリそれ…」
ルカがルリの手首を持ち上げて絶句する。
「…平気」
「だけどルリ…」
「本当に大丈夫だから」
「アスラン…だよね? まさかアスランが…」
その先を続けられない。
アスランがルリに暴力を振るうのは、本当に想像が付かないけれど、ルカの大切な幼なじみも所詮は男だから、ルリに何か無体なことをしないとも限らないと、先ほどとは打って変わった考えに思いつくと、隣に座っている自分の双子の妹にどう接したらいいのか急に戸惑って、今度は別の意味で絶句してしまう。
「ルリ、かなりの力だよ、これだけ痣になるんだから」
「うん…力のコントロールが出来なかっただけで、それだけ私がアスランを怒らせたんだと思う…それに」
言葉を切ると、ルリは痣になった手首を自分の口元に持っていく。
「この痣は残ってもいいと思ってる…痣を見ればアスランと再会出来たのが夢じゃないんだって、思えるから」
「ルリ…」
こんな時に、大切な妹に言葉をかけてやれない自分が恨めしい。だからルカは言葉の代わりにルリを抱きしめた。
『アスラン、手を伸ばしても温もりはなくて。握りしめられた手首に残る痛みに胸が詰まるの』




