*ふたつの正義1*
『耳に響くのは運命の女神の意地悪な笑い声………』
約束どおり夜明けとともに部屋に戻ったルリは、きつく唇を噛みしめるだけで――アスランと何を話したのか、話せたのか――ルカに問われても、ただ黙っていた。
その沈黙にこそ答えは潜んでいて、ルカはそれ以上、何も聞かずにルリの微かに冷えた体を抱きしめた。
出会えたのだ、きっとあの場所で。
幼なじみのアスランのことも、双子の妹のルリのことも、イヤと言うほど理解しているルカには、二人の間に何があったのか察することは容易だ。
お転婆で頑固なルリと、昔からルリのことに関しては過保護すぎるところのあるアスラン。
確かに、気が強いくせに泣き虫で、寂しがり屋なルリは、幼い頃から、同年齢であったにもかかわらずに、アスランの優越感と庇護心を存分満たした存在で、甲斐甲斐しく世話を焼いただけではなく、親鳥よろしくとばかりに、とにかくルリに対しては異常なほどの過保護ぶりを披露していた。
それは何もアスランにだけ言えたことではなく、ルリの周りにいた人間の殆どがそうだった。
「アスランとちゃんと話が出来なかったんだね」
何でも話して、隠し事のないルリとアスラン。
だけどルリは肝心なことは、アスランが絶対に反対するだろうということは、昔から口にしたことがない。
その辺ルリは臆病で気が弱い。
そして自分を知っている。
「………ルカ、私の魂はどこにいても、ちゃんとアスランを探し出せるよ。そうでしょ? だから決めるの。自分のこと」
「大丈夫だよ、ルリ。お兄ちゃんは最期までルリだけの味方だからね」
顔をあげたルリがほんの少し口元に笑みを浮かべる。
ルリが本当に求めているものが、ルカの言葉ではなくてアスランの言葉。
だけど、今のアスランの言葉はルリを縛り付けて身動きをさせなくしてしまうのだ。
ルリとルカの目指す『生きていける場所』に辿り着くつくためには、アスランの手をルリが握ることが出来ないのは当然の結果で、ルリにとっての『生きていける場所』と『生きていく場所』が、今は交わることのできない『場所』なのだ。
アスランが連邦の軍人になっていると知っていたら、果たして自分はルリをこれからやろうとしていることを話し、そして二人で手を取ることを提案しただろうか。
そしてルリも、アスランが連邦軍人と知っていたとしたら、ルカの提案に賛成して『その時』を待っていただろうか。
そこまで考えてルカは、今ここには居ない、幼なじみの拗ねた顔を思いだした。
ルカの知っているアスランが自分たちを捜さなかったとは考えにくい。
きっとそれこそ死にものぐるいで、脇目もふらずに探したに違いない。
その結果が、政府連邦軍の軍人になることだと、どうも結び付かないが、その時のアスランにはきっとそれが最善の方法だと判断したに違いないのだ。
(……考えてみれば、アスランって、以外と一直線だったよね何事にも……猪突猛進なところがあって……)
そして再び思う。
わずか二年の年月は、三人の『未来』と『過去』を蝕む。
片時も離れず一緒にいた頃は言葉なんてなくても確かな『絆』もそこにはあり、笑ったり、微笑んだりしているだけですべてが通じていた。
でも、今はその『言葉』すら、かわすことが出来ない。
かわしても、分かり合うことが出来ない。
『何かをえるためには、人は何かを捨てる。選択を迫られたとき、人はどちらかを犠牲にする』
子供の頃にはそんな現実が自分たちの目の前に横たわるとは思いもしなかった。
『選択する』こと『捨てる』こと。
アスランの選択、ルリの選択、そしてルカの選択。
二年前なら同じだったはずのものは、今はえられないものに分類されてしまう現実。
重くそして黒い感情に心をとらわれていたルカの頬をルリが撫でる。
「大丈夫だよ。ルカ。私はアスランを絶対に諦めたりしない。魂は呼び合うんでしょ? 私の心も、魂も求めているのはアスランだけ、だから平気」
***あの笑い声をとめられるなら、
私はその胸にナイフすら突き立てられる。たとえ心が悲鳴をあげても***
「アスラン、お誕生日オメデトウ」
数回、瞬きをして、今度は数回、深呼吸をしてみた。
最初は夢幻果ては生き霊かとすら思い自分の目を疑ってみたのだが、あいにく数日前に行われた健康診断で引っかかった所など一カ所もなく、ましてや視力に関しては絶対的な自信もある。
が、その自分の目を疑いたくなるのは当然で。
自分の目の前にルリが居て、にこやかに微笑みを浮かべているのだ。
「アスランに一番最初に、お誕生オメデトウを言えるのは、私だけでしょ?」
あまりの出来事にその場に突っ立っていたアスランは、咄嗟にルリの言葉に返事すら返すことも出来ず。
オメデトウという言葉とともに頬に触れた唇が、柔らかくて気持ちがいいとか、いろんな嬉しさが相まって頬が緩みそうになる。
なるのだが、最初の衝撃と幸福から立ち直ると、アスランの頭脳は瞬く間に活性化して『見過ごすことの出来ない事実』を導き出す。
「ルリ、お前、どこから入ってきた?」
「窓、だけど?」
そりゃそうだろうと、心の中で呟く。
父親は現在長期の出張で自宅を不在にし、兄も留守にしているのだ。
従って自宅に残っているのはアスラン一人であり、いかに治安のいいブルームだといっても戸締まりだけはきちんとしていたのだ。
確かに二階の窓は開けていたが。
屈託のないルリの笑顔に騙されそうになる自分の心を叱りつけて理性を保つと、とにかく何から言おうかと、再び頭を働かせる。
最初に、夜一人で出歩いていることを怒ろうか、それとも男の部屋に(アスランの部屋)無防備に(よもや襲うことは絶対にありえないが)飛び込んできたことを怒ろうか、何よりもまず、二階の窓(何度もやめろと注意にしているにも拘わらず)から出入りした事を怒ろうか。で、取りあえずは、最初に頭に浮かんだ出来事から、説教をすることに決めた。
「こんな時間に一人で歩いたら危ないだろ」
「でも隣じゃない?」
「何をそんなに怒ってるの?」と、ばかりに、アスランの怒りの原因が解っていないルリは首をかしげる。
一瞬、わざとやっているのではないかとも疑ったが、その疑いはすぐに否定される。
ルリを知っていればこの行為が『わざと』であるはずがない。
「たとえ隣でも! 女の子がこんな時間に一人で出歩くなんて危険だろ!
それに、夜中に男の部屋へ来るなんて絶対ダメだ! ましてや窓から!」
「ごめんなさい。でもね、誰よりも一番にアスランにオメデトウを言いたくて、ルカにも協力して貰ったんだよ?」
ルリの無邪気な笑顔は、ともすれば怒鳴りたい衝撃に駆られていたアスランをなだめるには十分な威力をもっていた。
こんなことで誤魔化されてしまいがちな自分にどこかで「情けない」と嘆く声が耳の奥から聞こえてきたが、雑音は強引に封印した。
「とにかく、今後は絶対にこんな時間に一人で出歩いたらダメ、こんな時間に俺の部屋に一人で来るのもダメ、窓から入ってくるのもダメ」
「アスラン、ダメばっかり」
「当然だろ! ルリは女の子なんだから何かあってからじゃ遅いんだぞ! それに俺だって男なんだよ、ルリ。俺の自制心に感謝………ちょっと待て、ルリ。お前どこから入ってきたって?」
「だから窓だよ?」
ルリの指さした方を見て、アスランが再び怒号を発したい衝動と戦う。
「ルリ、俺、前にも言ったよな」
今までとは明らかに違うアスランの漂わせる空気に、さすがのルリも押し黙りベッドの上に所在なさげに正座する。
アスランの部屋の窓の前には大きな木が植えてあり、年と供に大きく成長したその木は、今ではルリの非常階段となっていた。
常々、危険だから止めるようにとアスランに言い聞かされていたルリだが「便利だし」と言って利用していたのだ。
一度、そこから足を踏み外して墜ちたルリにアスランは、それは、それはかつてない『落雷』を発生されたのは、まだ記憶に新しく、さすがのルリだって言い返す言葉など持ち合わせては居ないのだ。
窓を見遣ったアスランは今度こそ、この木を伐採しようと自分に言い聞かせてルリに向き直る。
余談ではあるが翌日、アスランは本当に木を伐採するべく行動を起こした。
が、その木は自分達が月から地球へと転居した際に、両親と植えた思いでの木でもあったため、妥協して家の裏手に移植した。
「ええっと?」
アスランの顔色をうかがうように漂わせた視線は、怒りの色を濃くしたその瞳とぶつかり、ルリは咄嗟に視線を外す。長年の、どちからといえば、習性に近いが、間違いなくこの後、耳をふさぎたくなるほどの怒号が響くのは間違いないのだ。
その『雷』が落ちる前に耳をふさいでしまおうかと考えていたルリが、再びアスランを見上げた瞬間に、ルリの頭上にはアスランの雷が響き渡った。
**
目を覚まして同室のタイスに「オメデトさん」と言われ、何のことだとばかりに軽く首をひねると「お前の誕生日だろ今日は」と告げられアスランは思いだしたとばかりに微かに笑った。
ブルームにいた頃は、パーティーの準備などもあり、自分の誕生日を忘れたことなどなかったが、軍に入隊を決めた時から、忘れてしまうことが多かった。
と言っても入隊してまだ二年ほどしか経っていないが、自分の誕生日なんて誰かに指摘されるまで忘れがちなアスランも、ルリとルカの誕生日を忘れたことは一度もない。
懐かしい夢を見たのはルリに逢ったせいばかりではなく、今日が自分の誕生日であったからかもしれない。
いつの頃から、ルリは必ず「その日の最初にオメデトウ」を言いたいと言って、それを実行していた。
始めはルリの気まぐれだと思っていたが、ルリ達と離れて思い当たったことが一つあるのだ。
それは、アスランの母親が亡くなった翌年からであったということに。
「ルリ……」
微かな呟きをタイスは敢えて聞こえなかった振りをした。
「帝国を総攻撃、ですか」
絞り出すように呟きは静かな空間に零れて落ちた。
その発言者が誰であるのかタイスはすぐに察したが、その場にいた他の人間達はその発言者を探るべく、声のした方に視線を向けた。
「何か不都合でもあるのか?ローダリール少尉」
名指しで呼ばれ、アスランは唇を噛みしめて、その後「いいえ」と返答する。
それは当然で、事情を知っているタイスにしてみればアスランの気持ちも理解できるが、自分たちの立場を考えれば司令官の言うところの「不都合」を説明する事など出来るはずもなく、返答の後、ぎゅっと握り拳を作ったアスランの、苦悩であるとか、どうしようもない感情を押し込める姿を横目に、ため息をついた。
「では、以上をもって終了する」




