*引き裂かれていく時間*
NC250年
アトランティス島内 中立国ブルーム共和国。
「……え、来月からコクーンに赴任って……お父さん、そんな突然……」
父から転勤の話を切り出され、アスランは呆然としていた。
いや呆然というよりは、動揺していたが正しい。
いつもの生活、いつもの日々が続くと疑いもしていなかったこともある、そして、まだ15歳になったばかりのアスランには大人の理由も今ひとつ理解できていない。
ただ、引っ越しをすること、それもブルーム国内の移動ではなく別の場所へ。
その別の場所は地球でなくコクーンだ。
幼い頃に月で生まれ物心付く前に地球に引っ越してから早14年。
父親の仕事を考えれば、確かに、随分と長く一定の場所に留まっていたと思う。
もう転勤はないと、心のどこかで思ってしまってもいた。
だからこそ、父の言葉が信じられず心が乱れる。
なによも幼なじみのルリやルカと離れることが耐えられない。
「ルリ……ルカ…」
アスランの口から苦しげに名前が漏れる。
その名前に父も何か思うことがあるのか、暫くは何も言わない。
息子のアスランが隣に住むルリやルカと、兄弟同然のように育ち、仲のいい事を理解しているし、早くに母を亡くした上、仕事の都合上、月の半分を留守にしている現状で、息子がどれほどその二人を大切にしているかも十分理解している。
だからこそ、この話を息子のアスランにどう打ち明けようか迷いに迷ったのだ。
長男のエレクトルに関しては成人をし、自分の仕事を持っている身分だから、どう転んでも当人には不利益はないだろうが、まだ親の管理下にあるアスランには一大事の出来事なのだ。
「私も息子の学校の関係がありますと上申したが、命令だと強く言われてしまってね。すまない、アスラン。来週末にはここを離れなければならなくなった……だけど、お前は学校の終業を待ってから別で来てもいいんだそ。ルリちゃんのこともあるだろうし、残りたければ残ってもいい」
「でも命令なんだろ? ドーマスカー大臣の。……なら俺だけここに残るのは、お父さんの立場的に不味い事になるんじゃないの?」
ドーマスカーの名前を聞き、父の顔が緊張した。
その様子にアスランはやはり、とばかりにその整った顔を歪める。
確かに父の言うとおり残ろうと思えば、ここに残ってあと一年を留学という形に切り替えることは可能だろうが、それは一般論だ。
そして、なんの障害がない場合だ。
この話に父の因縁であるドーマスカーが絡んでいる以上、我儘はまず通らないだろう。
もし、通したとしたら父の立場が危なくなる。
アスランも父が置かれている立場は理解しているし、逆に父がどれほど自分のために手を尽くしてくれたのかも十分理解できる。
総てを総合的に冷静に考えれば、答えを選ぶことも出来ない。
最初から選択肢など許されては居ないのだから。
(この話を聞いたらルリはどうする? 俺が傍にいなければ、ルリはどうなる?)
アスランにとっては大切な女の子で、誰よりも守ってあげたい女の子で、離れている時間より一緒にいる時間が多い。
ルリとルカのおかげでアスランの生活は一変したのだ。
それまで、ぼんやりとして認識していなかった世界が、急に明るくなり出した。
なによりもルリの明るさが、あの屈託のない無邪気さが大切なのだ。
父親から話を切り出されたとき、心が乱されながらもアスランの頭に最初に浮かんだのは幼なじみの泣いている顔だ。
あの大好きな蒼の瞳に涙を溜めて泣き出す様が容易に想像できる。
『お転婆で、気が強いわりには誰よりも寂しがり屋』のルリ。
同じ年の、それも女の子とは到底思えないほどのあり余るパワーと、その可憐な容姿からは想像できない程の気の強さに何度、手を焼いたかわからない。
はた迷惑なくらいの明るさと行動力はアスランも、そしてルリの双子の兄であるルカですらお手上げで、白旗を掲げるくらいだ。
だけど、パワーと行動力に比例するように寂しがり屋だ。
幼い頃にルリ達の母親が家を出て以来、ルリは周りの人間が離れていく事に過敏に反応する。
一人で居ることを、一人にされることを極端に嫌う。
そんなルリの傍にいて、彼女を安心して甘やかせることの出来る人間は、ルカと自分だけだという自負と優越感をアスランは持っていた。
だからこそアスランは自分の転勤をどう伝えるかを思い悩む。
ルカはすぐに理解するだろう。
アスランの親友であり、双子の兄弟みたいなものだ。
だが、ルリはどうだろう。
それでも思い悩んでいられるほどアスランに時間が与えられている訳ではない。
あと十日後には、現在住んでいる邸を引き払って新天地に向かわなければならないのだから。
散々、言葉を考えたあげく、父から転勤の告白を受けてから二時間後、アスランはルリとルカを訪ねた。
時間はすでに夜の十時を回っていたが、どうしても今日中に話をしておいた方がいいと判断し、思い切って訪ねたのだ。
『ルリの落ち込みが想像の範囲を越えていたと認識したのは、それから三日後の事だった』
***突然、訪れた、別れを意味する言葉に、
子供だった俺たちの力は本当に無力で、
抵抗する術すらも持って いなかった。
眼下に広がる赤い海が今でも、この胸を苦しめる***
「来月から……コクーンに?」
「アスラン本当に? ……なんだってまた、そんなに突然?」
「実は俺も、ついさっき父さんから聞かされたばっかりなんだけどね……」
意を決して告げた言葉にルリとルカの表情が消えた。
造作の違う双子が共有しているのは『蒼』の瞳だ。
光の加減によって深い『群青』となる『蒼』の瞳は、時に言葉より雄弁にアスランに色々な言葉を投げかけてくる。特にルリの瞳は、本当に饒舌。
怒っている時、楽しい時、嬉しい時、様々な表情を見せる。
そして、泣き出しそうな瞬間の、あの瞳の色は格別で泣き顔すらも可愛いと思ったのは何時からだろう。
そんなルリの瞳が、今は凍り付いたように瞬きすらもない。
ルリの感情の変動に敏感で、双子ならではのテレパシーすら持ち合わせているルカが、咄嗟に伸ばした手はルリの手を掴むことがなかった。
ルリの隣にいたアスランでさえも反応できない瞬時の身のこなしを持って、ルリは部屋を飛び出してしまった。
追いかけた二人の耳にドアが閉まる音と同時にロックする音が聞こえる。
階段を上がりきった所で、アスランが「ルカ」と呼び止め首を振ると、ルカが静かに頷いた。
言葉にしなくても判るのは一重に長い時間を共有したおかげでもあるし、また、この二人が築きあげた信頼の賜でもあるし、そして『ルリ』という共通の対象がいるからに他ならない。
「でも随分、突然だねアス」
「うん。父さんも頑張ってくれたみたいなんだけどね、立場上仕方ないよ」
「……もしかして転出先は連邦のコクーン?」
「……たぶんね」
言葉を交わしながら何度もルリの部屋を見やるアスランにルカが苦笑を漏らす。
こんなに気になるのに、こんなに心配しているのに、自分の想いを『幼なじみ』としての好きだとしか認識していない幼なじみは、やはり妹の言うとおり鈍感なのだろう。
ルカから見ていても『ルリとアスラン』のその関係が『幼なじみ以上』だと見えているのに、判っているのに、ルリですらそれを自覚して言葉にして、態度にして、行動しているのに、片方がこれなのだから本当に世話が焼ける。
『この二人は結ばれるべきして結ばれる』のだと、ロマンチックな想像を働かせたのは、過去の様々な出来事があるからだ。
ルリの脚に大きく残る傷も、アスランの胸に大きく残る傷も、あの二人を結び付けるひとつの流れであるはずなのに。
(アスラン、自分のことだけは本当に鈍感だよねぇ
……学園の女の子達はあんなに上手にあしらってるのに、ルリが相手だとこれだもん)
幼なじみで親友の心の声なんぞ聞こえるはずもないアスランは、やはりルリが気になるのか頻繁に二階に視線を向けている。
「ねぇアスラン。この間の質問の答えを聞いてないんだけど」
「何、この間のテストがどうしたって?」
心ここにあらずで、まったく明後日な方向の言葉を繰り出したアスランにルカがわざとらしいため息をつく。
が、そのため息の意味すらも解らないのか、アスランは首をかしげる。
「オトボケしないでよ、この間のパーティーの時に僕が聞いた質問の答え。ルリのこと!」
「ああ……!」
ルカの言わんとしたことを察し、質問の内容を思いだした途端、学園の女生徒から絶大な人気とともに『暁の王子様』という恥ずかしい称号を賜っているアスランの幼いながらも秀麗な顔が瞬時に赤くなる。
(変なところで大人びてるわりには、正直だよねぇ。
すぐ顔にでるあたりなんて、少しはルク兄を見習ったほうがいいんじゃないの、アスラン?)
「突然何を言い出すんだよ、ルカ!」
「突然って言うけど、この間だってアスラン、誤魔化したじゃない、今日はちゃんと聞かせてよ」
痛いところをさされたアスランが黙り込む。
つき合いの長さはこういう時に不利だ。
何故ならば、女生徒から『暁の王子様』と呼ばれているアスランに対して『青の王子様』と呼ばれ、学園の人気を二分しているルカは、割り切りが良く物事にとらわれない性格をしているのに以外と頑固なのだ。
こうと決めたら絶対に譲らない。
特にアスランに対しては譲歩であるとか、妥協であるとかは絶対にしてくれないのだ。
それが判るだけに、進退が窮まるとはこのことだと、思考はすでに尻込みを始めていた。
一人、青くなったり赤くなったりと忙しいアスランを見ているうちに、馬鹿らしくなったルカが再びため息をつく。
(僕の大切なルリをどう思ってるわけ?
答え次第ではそれなりに覚悟しておいてよね、僕の性格理解してるはずでしょ)
すでに心境は年頃の父親を持つ気分に陥っている。
進退窮まったアスランと、父親気分炸裂のルカの間に割って入ったのは、当事者のルリではなく、双子の姉で10歳年上のランだった。
「もう遅いし二人ともいい加減に睨み合いはやめてよね。アスランも家にかえりなさい。明日も学校でしょう?」
救いの手ならぬ救いの言葉に助けられたアスランは、いつもの自分を取り戻すと、ルカの鋭い視線を「じゃあ、また明日」という言葉で強引にはねつけドアをあける。だが、最大の落とし穴は最後の最後に用意されていた。
「結果如何によっては、馬に括り付けるわよ、覚悟しておきなさいアスラン」
小さな頃の失敗談を揶揄しながら告げられたランの言葉に、アスランは今度こそ、這々の体でカーディナル家を後にした。
こんな風な日常が、あと、数日で終わる事は知ることも出来ないまま。




