第六十六話 不本意な異世界転生
あと一歩で、異世界転移が成功するところだった。
フィオがあと一秒、声を発するのが遅ければ。
あるいは、セーラが主の命令を聞き入れるのが遅ければ。
もしくは、ヘイムが魔法陣の展開時間をあと一秒伸ばしていれば。
そして、俺が異世界転移しないと心変わりをしなければ。
麗奈が、謎の覚醒をしなければ。
何かが狂えば、今ごろ異世界に転移していただろう。
しかし、俺は今――現世にいる。
その一番の要因は、やっぱり……フィオの一声だ。
「姫様! なぜ、あのような命令を……」
「本当に良かったの?」
セーラも動揺している。
ヘイムは不思議そうに首をかしげている。
そして、当の本人であるフィオは……ため息をついて、首を横に振っていた。
「――不本意な異世界転生は、決して許されないわ」
言い訳はしない。
彼女は、同情したからでも、罪悪感に押しつぶされたからでもなく……ちゃんとした理由があって、セーラを止めたようだ。
「人質を取る、というのも危うい手段だったわ。リスクはあったけれど、一応はミツキお兄さまが異世界に行くという『意思決定』をしている。でも、行かないという意思決定をされた以上、わたくしたちにはどうしようもないわ」
「しかし、これでは姫の立場がありません」
「立場の話より、異世界に帰る手段もない。姫……本当にこれが、正解だったと言えるの?」
セーラとヘイムも、まだ理解できていないらしい。
フィオがなぜ、止めたのか。その理由は――王族である彼女しか分からないことみたいだ。
「……魔王の正体は、不本意に異世界転生させられた異世界人よ」
彼女たちが、戦っている相手。
その親玉である魔王の正体が、俺と同じ存在……?
「決して、意思にそぐわないことをしてはいけないの。かつて、英雄様の信頼を裏切ったことで、彼を魔王にしてしまった。過去の過ちを、二度と繰り返してはいけない」
……異世界転生の穴、というべきだろうか。
物語や創作であれば、都合の良い展開で話が進む。苦しむような作品なんて、ほとんどない。
だが、現実は違うんだ。
全部が全部、ご都合主義で終わらない。
異世界転生した後の方が、かえって苦しむことになる。
魔王になってしまった転生者も、もしかしたら……転生なんて、したくなかったのかもしれない。
それなのに強制的に異世界に行かされて、色々あって、魔王になってしまったのだろう。
「ミツキお兄さまが魔王になったら、それこそ……わたくしたちは、終わりよ」
そのリスクを背負ってまで、俺を異世界に連れていくような緊急情勢でもない。
だからこそ、フィオは異世界転移を諦めたみたいだ。
「でも、二人を巻き込んでしまったわね」
「私のことなど構いません! しかし、姫様がいないと民の希望がなくなります……あなたのようなお方こそ、民には必要なのですよ!?」
「所詮、わたくしは第六王女よ。政治的な力もなければ、民を救う手段もない。異世界にいてもいなくても同じだわ」
「セーラ、落ち着いて。これが姫の決断なら、仕方ない」
彼女たちも、俺を異世界に連れていけない理由はあった。
だが、リスクの大きさも含めて判断してくれたようだ。だから一歩、引いてくれたのだろう。
「あと、単純にミツキお兄さまとレイナお姉さまをこれ以上傷つけたくなかったわ……えへへ、王族失格ね。どうしても、二人の辛い顔を見ることができなかったの」
思い返してみると、昨日からずっとフィオは苦しそうな表情を見せていた。
きっと、自分自身を責めていたのだろう。王族としての責務を果たそうと、必死だったのだろう。
苦悩していたのは、俺だけじゃない。
フィオも、苦しんでいたんだ。
だから、俺は……彼女たちのことを、恨んでいなかった――。