第六十一話 異世界に来なければ――レイナお姉さまを殺します
麗奈が魔法で無力化された。
「……『精神操作魔法』は、レベル差のある者にしか効果がない上に、発動しても解除しやすい。だから、セーラにレイナの心身を疲弊させるようお願いしたんだ」
ヘイムが淡々と状況を説明する。
もちろん、理解している。だからこそ、俺は……もう無理かもしれないと、絶望していたのだから。
「セーラが小手調べしてくれたおかげで、レイナお姉さまが脅威だと理解できたから……無力化するために、万全を期すことにしたの。」
「え? それって、もしかして――昨日の戦いは、試すためだったのか?」
「……ごめんなさい」
セーラがただ、脳筋だからだと思っていた。
ふざけてあんな決闘を挑んだのだとばかり勘違いしていた。
でも、そうじゃない。彼女たちは、当初から……俺を異世界に連れていくために、周到に様子を見ていたらしい。
「――こ、のっ」
だが、麗奈は抗っている。
魔法への耐性がないのに、彼女は動こうとしていて……少し、声が漏れた。
それを見て、ヘイムは驚いたように声を上げた。
「へー。声すら発せないはずだけど……やっぱり、レイナは警戒しておいて良かったというわけか。姫の見立て通りだ」
「……ヘイム、準備して」
「もういいの?」
「別れの挨拶ができるほど、わたくしたちが好かれているわけないわ」
「それもそうだね。じゃあ、始めるよ……五分ほど待っていて」
そしてヘイムは、何やら呪文を唱え始めた。
聞こえているはずなのに、理解できない詠唱だ。普段ならときめいていたかもしれないが……もちろん、今はそれどころではない。
いよいよだ。
ついに、俺が……決断をしなければいけない時が、訪れようとしている。
(断ればいい。いっそのこと、逃げ出してもいい……そうすれば、麗奈と離れないでいい)
異世界で、救えるはずの命を見捨てることになる。
その覚悟はまだ、決まっていない。
だが、それでも……行きたいと思っているわけじゃない。
断ればいい。そう、思っている。
だが、その薄弱な意思が、彼女たちに通用するはずがなく。
「それじゃあ、セーラ……お願い」
「仰せのままに」
フィオの指示で、セーラは鞘から剣を抜き放った。
刀身が、月光を反射している。鋭利な刃が先程のように振るわれれば、麗奈は間違いなく命を落とす。
その切っ先は、今……麗奈の喉元に触れていた。
「ミツキお兄さま。異世界に来なければ――レイナお姉さまを殺します」
いつもの無邪気さは、もう面影すらない。
その一言は余りにも冷たく、無機質で……冗談だとは思えない、重々しい響きが宿っていた。
いや、でも。
あのフィオが、麗奈を殺すなんてできるわけがない。
セーラだって、麗奈とは仲が良かった。殺すなんて、ありえない。
「そ、そんなの、できるわけ……!」
「殺せないと思っているの? ミツキお兄さま……わたくしたちは、レイナお姉さまの命一つで、その何千倍の命が救えるわ。本当に、やらないと思っているのかしら」
「……私は騎士だ。主の命令であれば、何だってする」
分かっている。どうせ、口だけだ。
彼女たちと接していたからこそ、分かっている。そんな酷いことができるわけない。
それなのに、俺は……これ以上、何も言えなくなった。
(怖い……)
怖かった。
もし、俺が判断を間違えて、麗奈が死んでしまったらどうする?
フィオ達が殺すはずない。その思い込みで、麗奈が命を落としたら……そんなこと、耐えられない。
その可能性が、わずかにでもある。
小さな小さな確率だ。しかし、その可能性を回避する手段を、俺は持っている。
「ミツキお兄さま。ほんの短期間です。わたくしたちと、異世界に行けば……レイナお姉さまを、助けることができるわよ?」
そうだ。
フィオの言う通り、少し離れ離れになるのを我慢すれば、麗奈の命は絶対に救われる。
それなら、行くべきだ。
異世界に行けば、救えるはずだった命を見捨てずにすむのだ。
麗奈と離れ離れになるのは、嫌だ。
しかし、麗奈のためにも……ここは、彼女たちの言う通りにした方がいいのかもしれない。
(そう思わせるように誘導しているって、分かっているのに……!)
それに、乗っかってしまった方がいい。
俺のせいじゃない。彼女たちがそう言っているから、そうしているだけ。
そんな言い訳ができる状況だからこそ、俺は……もう、抗う気力がなくなっているのかもしれない――