第五十九話 仕方なく異世界に行く『理由』
どうやら、俺が迷っていることもフィオたちには筒抜けだったようだ。
「……ミツキお兄さま。悩ませてしまって、ごめんなさい。こんな決断、優しいお兄さまにできるはずがないわ」
フィオがそう言うと同時に、甲冑を装備したセーラが一歩前に出てきた。
俺たちとの距離は、だいたい三メートルほどだろうか。それでも『カチャッ』という、金属がこすれる音が甲冑から聞こえてくる。
セーラは、武装している。
それを見て、麗奈はさらに警戒するように……ファイティングポーズをとった。
「セーラちゃん、何をするつもり?」
「――私は、姫様のお言葉に従うまでだ」
まだ、セーラは動かない。
しかし、その目はまばたき一つすることなく、麗奈を視認している。
合図があったら、すぐにでも動けるように……彼女は、腰元の剣の柄を握っていた。
「セーラ、まだよ。あと一言だけ、ミツキお兄さまに伝えたいことがあるの」
「お、俺は……俺はっ」
行きたくない。
そう言おうとしたのに、喉が詰まって言葉が出てこない。
そんな様を見てなのか……フィオは何かに耐えるように拳を握った。
だが、彼女は止まらない。
いや、止まってはならないと己に言い聞かせるように首を振って、更に言葉を続けた。
「……迷わせてしまって、ごめんなさい。大丈夫よ、ミツキお兄さま……『異世界に行かないといけない理由』も、ちゃんと用意するわ。あなたは何も悪くない。悪いのは、わたくしなの……後でたくさん、謝るわ。嫌われても仕方ないことをしている自覚もある。でも、こればっかりは――譲れない」
そして彼女は戦いに口火を切る一言を告げた。
「――レイナお姉さまを、人質にして」
その合図が、開戦の合図だった。
「仰せのままに」
セーラが頷き、剣を構えた。
抜き身、ではない。鞘はついたままである。殺傷が目的ではなく、あくまで麗奈を無力化するためか。
「人質になると思ってるの?」
対する麗奈に戸惑いはない。
剣を構えたセーラに臆することなく、拳を構えて……あろうことか、自らセーラに向かって飛び込んだ。
アスファルトの地面を強く蹴り上げて、一瞬で懐に潜り込んだ彼女は――容赦なく、一撃を叩き込んだ。
「――っ!!」
彼女の拳が、セーラの腹部を襲う。
昨日と同じ光景だ。あの時はボクシンググローブをつけていたが、今日は拳そのものである。危ないが、セーラが甲冑を着用しているので、大事には至らない。そう判断して、麗奈は思いっきりボディブローを叩き込んだはずだ。
俺には視認さえ難し、神速の一撃。
だが、セーラは……金属の甲冑を着用しているとは思えないような跳躍でかわした。
「……え?」
「行くぞ、レイナ……歯を食いしばれ」
そして彼女は、着地と同時に剣を振った。
軽やかな動きだった。まるで力が入っていないかのような力感のない動作だったのに。
「ぐはっ……!?」
お返しと言わんばかりに、鞘付きの剣が麗奈の腹部に叩き込まれた。
その一撃を麗奈は回避できずに――そのまま、隣の建物に吹き飛ばされていった。
『バキッ!!』
何かが壊れる音が聞こえた。
慌ててそちらを見ると、麗奈が吹き飛ばされた方向にあった壁が砕けて、崩れ落ちた。
「うそ、だろ?」
それこそ、フィクションでしか見たことのないような出来事が起きている。
そのことにも驚いていた。しかしそれ以上に――
「……けほっ、けほっ」
あの麗奈が、地にひざをついて呻いていた。
そんな光景を、俺は今まで見たことがない。
ど、どういうことだ?
昨日、リングで戦ったときはもっと互角……いや、麗奈が優勢だったのに。
今は、まるで大人と子供くらいの実力差があるように見えた。
「レイナよ、大人しくしてくれ。そうでないと、怪我をさせてしまう」
「……やだ」
「負けん気が強いのは貴様のいいところだ。だが、昨日のようにまともに戦えると思うな……私は今――『魔法』を使用している。貴様に勝てる可能性は皆無だ」
そういうことか。
魔法だ……やっぱり、魔法の影響なんだ。
「素の身体能力はレイナが上だと認めよう。だが、我々は魔法を使える……まぁ、簡単な【身体強化魔法】だがな。それでも、十分だ」
……普段は抜けている部分もあるけど。
やっぱり、セーラは騎士団の長だ。
彼女は、強い。
麗奈でさえも、太刀打ちできるとは思えないほどに実力に、俺は呆然とすることしかできなかった――。