第五十二話 大切な人に背負わせるな
三人はすぐに帰宅した。
フィオが俺に気を遣ってくれたのだろう。ジムから家に戻ると、寝ていたヘイムを起こしてすぐに三人は帰って行った。
今は夜。麗奈の作ってくれたご飯を食べ終えた後のこと。
「今日のトンカツどうだった?」
「……美味しかったよ」
「ほんとに? 珍しく残してたけど……少し揚げすぎたかなぁ」
「……大丈夫だったよ」
「そ、そっか。うん……それなら、いいんだけど」
俺と麗奈はソファでテレビを見ていた。
いつもなら、この時間帯は雑談に花を咲かせていたと思う。しかし今日は頭がぼーっとしていて、麗奈の会話に対応できない。どうしても生返事になってしまっていた。
理由は明白。
フィオと会話して以降、俺はずっとこの状態である。
(行くべきなのか? 行かなくても、いいのか……?)
迷いが消えない。
俺が異世界に行くことによって救われる命がたくさんある。
俺が行かないことによって、失われる命がたくさんある。
どちらも同じ言葉の意味。
異なるのは、強調される事実の場所だ。
俺が行かなくても、元の状態と同じなので関係ない。
救われる命は、本来なら救われない運命にあるはずのもの。
失われる命は、そう定められていただけにすぎない。
だから俺は、関係ない――そう思えるような人間なら、こんなに悩むことはなかった。
無理だ。
責任があると感じている。
英雄になり、多くの命を救う力があるのなら――それを行使しないというのは、責務を果たしていないと思ってしまう。
もし、異世界に行かずに留まったとしよう。
この先の人生で、俺は救えるはずだった多くの命を背負って生きていくことになるわけで。
その重さに耐えられる自信も、なかったのだ。
でも……麗奈と離れ離れになる。
彼女を悲しませることになる。
誰よりも俺を大切に思ってくれる麗奈を、傷つけることになる。
幼馴染への愛情と、英雄になる責務。
その天秤はどちらも重く、だからこそ判断できずにいた。
だからずっとぼーっとしていた。心ここに在らずと、生返事ばかりしていた。食事ものどを通らなくて残してしまった。普段は絶対に完食できるのに、今日はまったく箸が進まなかった。
……そんな俺の異変を、彼女が感じ取っていない訳がなく。
「――何かあったの?」
唐突に、彼女が切り込んだ。
生返事ばかりしていたが、その問いには意表を突かれて我を取り戻した。
「……なんで、そう思うんだ?」
「わたしとオシャベリしてくれない光喜くんなんておかしいもん。ごはんも残すなんて絶対にありえないっ……だって、光喜くんはわたしのことが大好きだもん」
相変わらずの、自信に満ち溢れたひと言。
もちろんそれは事実だ。俺は麗奈のことが大好きで、だからこそこんなにも悩んでいる。
「……フィオちゃんに何か言われたの? あの子も様子がおかしかったから、ずっと気になってるんだよね」
麗奈は鋭い。
やっぱり、違和感に気付いていたらしい。
俺と話して以降、フィオもいつもの無邪気さがなくなっていた。
ずっと表情が暗かったことを、麗奈もちゃんと見ていたようだ。
「本当は、みんなにトンカツを食べてほしかったのに……いきなり帰っちゃったし、光喜くんにも元気がないし、変なことばっかりだね」
そう言いながらも、麗奈の目は俺をまっすぐ見つめていた。
何か様子を探るように、まばたき一つせずに凝視している。
「何か、あったんだよね?」
再度、問う。
麗奈は、俺の悩みを受け止めようとしてくれている。
いつも彼女はそうだ。
俺がネガティブになったら、こうやって寄り添って話を聞いてくれた。
今回も、そのつもりなのだろう。
「わたしにも、光喜くんの悩みを聞かせて?」
俺の悩みを背負ってくれようとしている。
「……実は――」
……反射的に、言いそうになる。
いつものように、彼女に甘えようとしてしまう。
でも、直前でハッとした。
(麗奈に背負わせていいのか……?)
俺が行かないことによって異世界で失われる命を、彼女に背負わせることになる。
その罪を、彼女にも担がせようとしている。
それは、絶対に許されないことだった――。