第13話 アシスタント
約束の日、中村は予定通り藤原指定した場所に訪れ、真剣な表情で言い出した。
「先輩、私、シェアリングボディのことをもっと知りたいんです!」
元気よく響く声に、藤原は軽く眉をひそめる。勢いだけで突き進むような中村の態度に一抹の不安を覚えた。
「君は体の提供者としてシェアリングボディを利用したから、大体のことはわかってるんじゃないか?」
「ええ、提供しましたよ。でも、もっと深く理解したくて」
中村はにっこりと笑いながら答えた。その笑顔には無邪気な情熱と覚悟が混ざり合っていた。
藤原はふーっと大きく息をつき、面倒くさそうに椅子にもれかかった。
「まったく、君みたいな若い子にこんな仕事を教えるなんて思ってもみなかったな。まあでも君がそれほど興味があるなら、仕方ないか」
「先輩、お願いします!」
中村の声は明るく、どこか藤原を元気付ける力があった。
それでも藤原は表情を引き締め、中村を見つめた。
「教える前に再確認だが、シェアリングボディの技術は非合法だ。万が一の場合は捕まる可能性もある」
「わかってまーす!」
中村は明るい声で答えたが、その軽さが藤原の胸に引っかかった。
「本当にわかってんのか?」
藤原の声は低くなる。「万が一捕まっても情報は口外しないこと。そして誰も助けには行けない。それがこの世界のルールだ」
中村は一瞬だけ戸惑いの色を見せたが、すぐにおどけた調子で返した。
「先輩、冷たいですね……」
「冷たいんじゃない。これが現実だ」
藤原は厳しい口調で言い切った。その声には、この世界で生きてきた者の重みが宿っていた。
中村の笑顔がわずかに曇ったが、すぐに真剣な顔に変わる。
「でも、そもそもなんで違法なんですか?依頼者と提供者で合意の上なんだから誰も被害者がいないのに」
「金を持った人間の欲望のために、「命」を売るのと近しい行為だからな。社会的格差や倫理的な問題があるってことなんだろう」
「うーん、わかったようなわからないようなですが……わかりました!大丈夫です。リスクを承知の上で、頑張らせていただきます!」
その言葉に、藤原は少しだけ口元を緩めた。彼女の純粋さが、どこか危うくも頼もしかった。
***
藤原は中村にシェアリングボディの仕組みを説明し始めた。
「お前がもう知っていることも含めて話すぞ。シェアリングボディは、簡単に言えば他人の体を借りる技術だ。借りる側はその体を操ることができる。は貸す側は自分の体を動かせず、感覚だけが共有される」
中村は興味津々の表情を浮かべた。
「なるほど。なんだか、話だけ聞くとパートナーの体を借りてデートしてる感じにも聞こえますね。うーん、でも織田さんとデートしてたとも思えないな……」
藤原は吹き出しそうになりながら首を横に振る。
「ちょっと違うな。そんなロマンチックなものじゃない。貸す側には、脳や細胞への影響もあるから具体的な年月についてはわからないが、寿命が縮む可能性があるとされている」
中村は少し黙って考え込んだ。
「そう、それ気になってたんです。実際に3か月体を貸したけど、あんまり影響がないというか……」
藤原は少し考えてから答える。
「医学的にはそうなるとされている。この技術が確立して10年足らずだから、長期的な影響はまだわからない。貸した人間の死亡事例はないが、安心はできない」
「うーん、わかりました。なんだかタバコやお酒と似てる気がしますね。体に悪い悪いと言われてるのに、実際には何がどう悪いのかはっきりしないみたいな」
「タバコや酒と一緒にするのはどうかと思うがな」
藤原は苦笑いを浮かべた。その瞬間、彼女の楽観的な発言が少しだけ自分を軽くしていることに気づいた。
***
藤原は次に、シェアリングボディの運用方法を説明し始めた。
「シェアリングボディを使うには、まず、貸す側と借りる側をマッチングしないといけない。そのために俺たちは顧客との信頼関係を築かことが重要だ」
中村は元気よく返事をした。
「信頼関係ですね、わかりました!」
藤原は書類の束から1枚を取り出し、中村に差し出した。
「これが契約書だ。お前が体を提供したときにサインしたものと内容は同じだ」
中村は受け取りながら目を通し、小さく声をあげた。
「なるほど……改めて読むと貸す側と借りる側、それぞれの条件がしっかり決まってるんですね」
「ああ、それから、そこに記載はないが、依頼者と体の提供者は本部の方で選定する。ちなみに、提供者の方は依頼者と同性で20代に限定している」
「本部の人が依頼者と提供者を選定してたんですね。私のときもそうだったんですか?なんか怖いな……私どうやって選ばれたんだろ」
「お前の時も同様だ。本部が依頼者と提供者の適性を見て選定する。そのあと、俺たちが本人と直接掛け合い、リスクなどを説明して合意に至れば契約となる」
「でも、どうして体の提供者は同性の20代に限定されているんですか?」
中村の疑問に、藤原は一瞬だけ考え込み、答えた。
「技術的には誰でも提供できる。男性が女性に、女性が男性にだって可能だ。ただ、同性に限定することで性犯罪などのリスクが大きく下がる。それに、20代の方が健康な体である確率が高いからな。期間中のトラブルを避けるための措置だ」
「なるほど……」
中村は感心したように頷きながら、さらに問いかけた。
「もう一つだけ聞いてもいいですか? 依頼者が支払う2億円に対して、体の提供者への報酬が2000万円って、少なくないですか?残りの1.8億円はどこに行っちゃうの?」
藤原は答える。
「俺がもらう。というのは冗談で……」
「おーい!」
すかさず中村が突っ込みを入れる。
「冗談はさておき、色々と経費がかかってるんだ。ICチップの材料費、契約期間中に滞在するホテル代や食事代、期間中の医療サポート。それから、依頼者の行動を監視する費用もある」
中村は驚いた顔で藤原を見つめた。
「げ、もしかして、私の体を借りてた織田さんがホスクラで派手に遊んでたのも見てたの?」
「ああ、直接俺が見ているわけじゃないが、スタッフがICチップから情報収集しているのと、現地でも遠巻きに観察している」
「それを知ってたら織田さんも行かなかったかもですね……」
中村は苦笑いを浮かべながら、少しばかり納得した様子で頷いた。
「まあ、監視のことを伝えると依頼者が自由に振る舞えなくなるからな。あくまでトラブルを未然に防ぐためだ」
藤原はそう締めくくりながら、資料を一通り片付けた。
***
一通りの説明を終えた藤原は、中村に言った。
「ここまででわからないことはあるか?」
中村はしばらく考え込んだあと、意を決したように尋ねた。
「先輩は、どうしてこの仕事をしているんですか?」
その問いに、藤原はしばらく黙り込んだ。彼の視線は遠くの窓の外に向けられ、何かを思い出すように虚空を見つめていた。
「……お前がもう少し大人になったら教えてやるよ」
そう言って立ち上がり、背中を向けた藤原の声には、どこか寂しさが滲んでいた。
「なんですかそれー。私、大人ですよ?」
中村はおどけたように笑いながら言ったが、その声に混じる微かな不安を藤原は感じ取っていた。
「はいはい、大人、大人。そのうちわかる時が来る。だから、今は学ぶことに集中しろ」
藤原の背中を見つめながら、中村はその言葉の意味を考えていた。藤原が見ている景色に、いつか自分も辿り着けるのだろうか――その答えを見つけるために、この仕事を始めたばかりの彼女は、まだ気づいていない自分の覚悟を試される日が来るのを知らなかった。
こうして、中村と藤原のシェアリングボディにまつわる日々が始まった。彼女がその複雑な現実に触れることで、藤原の心にも少しずつ変化が訪れるのだった。
お読みいただきありがとうございます。