第12話 美と愛情と⑥
契約終了後、織田は元の身体に戻った現実を受け入れられずにいた。鏡に映る老いた自分の姿に耐えきれず、自宅の鏡をすべて撤去した。しかし、ふとした瞬間に窓や水たまりに映る自分の姿が目に入るたび、若さを手に入れた2か月間の記憶が鮮明によみがえり、現実とのギャップが胸をえぐった。
「もう一度、あの身体に戻れたら……」
織田はシェアリングボディの窓口である藤原に執拗に連絡を取った。最初はメール、次に電話、さらには藤原を訪れ、懇願するようになった。
「藤原さん、お願いします! もう一度だけでいいんです! どんな条件でも受け入れますから!」
しかし、藤原の答えは一貫していた。
「織田様、規約上、再契約はお断りしています。何度お越しいただいても結果は変わりません」
冷たい口調の藤原に取り合ってもらえず、織田はとうとう訪問を断念した。しかし、若さを取り戻せない現実から逃れたい一心で、織田はホストクラブ通いを始めた。
高額なシャンパンを注文し、若いホストたちに囲まれる織田。彼らの甘い言葉に一瞬だけ過去の自分を取り戻したような錯覚を覚えた。しかし、鏡に映る自分と隣の若いホストたちとのコントラストが、その幻想を打ち砕く。
「どうして私はこんなことをしているのかしら……」
そう自問する瞬間もあったが、織田はホストクラブ通いをやめられなかった。そこにしか、あの若さの感覚を再現できる場所がなかったからだ。
***
一方、中村は2000万円の報酬を使い、借金をすべて返済した。残った資金で安いアパートに引っ越し、新しい生活を始めた。
「もう一度、人生をやり直そう」
中村はそう自分に言い聞かせ、昼は派遣社員として働き、夜は資格取得のために勉強する日々を送った。少しずつではあるが、未来に希望を見出し始めていた。
そんな中、かつて中村が頻繁に通っていたホストクラブのホストから連絡が入った。
「久しぶりだね、また飲みに来ない?」
その言葉に、中村は胸がざわついた。以前なら彼の言葉に流されていただろう。しかし今の中村には、そうする自分を許せなかった。中村は意を決し、そのホストにこう告げた。
「もう会わない。私は変わりたいの。あなたのところには二度と行かないわ」
中村の決断は、過去との決別を意味していた。ホストとの縁を切った後、彼の心に残ったのは、契約期間終了後に抱いた複雑な感情だった。
しかし、その心の奥底には、まだ整理しきれない思いが渦巻いていた。それは、シェアリングボディを通じて得た貴重な経験と、その過程で気づいた自分自身の変化だった。体を提供した3か月間、中村は「他人の人生」を垣間見ることで、過去の自分に囚われていた殻を破るきっかけを掴んだ。
この経験は、中村にとって単なる出来事ではなく、自己発見と成長の旅路となった。過去との決別は、新たな人生の扉を開く第一歩となった。
「あの経験がなかったら、今も変わらずあの場所にいたかもしれない……」
そう考えたとき、中村の中に新たな決意が芽生えた。これからの人生で、自分が得たものをどう活かすべきなのか。
***
ある日、中村は意を決して藤原に連絡を取った。
「私、中村です。突然の連絡で驚かせてしまったらすみません。少しお話ししたいことがあって……」
藤原は快く承諾した。
藤原が指定したカフェで、中村は緊張しながら自分の思いを語り始めた。
「藤原さん、突然のお時間ありがとうございます。今日はお願いがあってお伺いしました」
「お願い?なんだい?」
藤原は興味深げに中村を見つめた。
「実は、藤原さんの下で働かせてもらえないかと思っています。シェアリングボディを通じて、私は自分が変われる可能性を知りました。そして同時に、あの技術の持つ力をもっと深く知りたいんです」
藤原が指定したカフェで、中村は自身の決意を伝えた。
「実は、藤原さんの元で働かせてもらえないかと思っているんです。シェアリングボディを経験した私だからこそ、誰かの役に立てることがあるんじゃないかと思いまして」
藤原は少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに真剣な顔つきに変わった。
「君の経験は確かに特別だ。でも、この仕事は非合法だし、リスクも大きい。それでも本当にやりたいのか?」
「覚悟はできています。私は、あの経験を通じて自分を変えるきっかけをもらいました。だからこそ、これからはその力を必要としている人の助けになりたいんです」
中村の真剣な眼差しを見た藤原は、一呼吸置いて言った。
「経験者がシェアリングボディの仲介者として働くのはおもしろいね。ただ、この仕事は簡単ではないよ。君の気持ちはよくわかった。本部に確認して改めて連絡するよ」
中村は力強く頷いた。
「ありがとうございます!全力で頑張ります!」
後日、藤原は中村に連絡した。
「ボスに確認が取れた。まずはアシスタントとして俺の下で勉強してもらうことになる。それでもよければ今度事務所に来てくれ」
藤原は日時と場所を中村に伝え、中村は承諾した。
「ありがとうございます!一生懸命頑張ります、先輩!」
藤原は「先輩」と言う慣れない響きに若干戸惑ったが、悪い気はしなかった。
***
こうして、中村は藤原の下でアシスタントとして新たな道を歩み始めた。織田と中村、それぞれが異なる人生を歩む中で、シェアリングボディは彼女らにとって特別な経験として刻まれていた。
織田は過去の輝きに囚われ続けたが、中村はその経験を糧に未来を見据え、他者をサポートしていく道を選んだ。
それぞれの道が交わることはもうないかもしれない。それでも中村は、自分が変われたように、他の誰かにも変化のきっかけを与えることができると信じて歩み始めた。
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