第11話 美と愛情と⑤
練習期間の1か月が過ぎ、いよいよ本稼働の60日間が始まった。織田は中村の若く美しい体を借りて、かつての輝きを取り戻そうと意気込んでいた。
織田は若い身体を使い、外の世界へと出かけた。ブランド店での買い物、高級レストランでの食事、織田は若さと美しさを最大限に活かすために、どんな小さなディテールにも気を配った。
「これが若さの力…」
織田は鏡の前で笑顔を作りながら、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
かつての自分は、どんな場所でも注目の的だった。レッドカーペットを歩いたとき、フラッシュが一斉に彼女を追い、世界が自分を中心に回っているようだった。しかし、あの栄光はいつしか過去のものとなり、周囲の人々の視線は彼女を通り過ぎていくようになっていた。
「中村さん、欲しい服とかがあれば私が少し着たものになるけど、どうかしら?」
織田は機嫌良さそうに中村に話しかける。
「あら、ありがとう。せっかくなのでいただこうかしら」
中村も微笑みながら応じた。
元々美しい中村の容姿に加えて、ブランド品に身を包んだその姿は、誰がみてもモデルのような容姿で、道ゆく人は誰もが振り返るほどだった。
一方、中村はその間、織田の人生を垣間見ることになった。幅の広い交友関係、豪華な邸宅、そして使い切れないほどの財産。中村は苛立ちながらも、自分がいかに狭い世界に閉じ込められていたかを痛感した。
***
本稼働開始から10日が経ったある日、織田は中村の案内でホストクラブへ足を運んだ。
織田はホストクラブの豪華な内装に驚きながら席に着いた。若い男たちは笑顔で近づき、さりげない褒め言葉を次々と投げかけてくる。
織田は彼らの甘い言葉に頬を緩ませながら、かつての自分がもてはやされていた日々を思い出した。高額なシャンパンを注文すると、ホストたちは目を輝かせて声を張り上げる。
「さすが織田さん!最高です!」
他の女性客が織田に視線を送り、僅かに嫉妬を含んだ表情を浮かべているのを感じたとき、織田の心は優越感で満たされた。
「これが若さとお金の力なのね……」
織田は胸の高鳴りを抑えながら、その瞬間に酔いしれていた。
中村も最初は自分が楽しんでいるような錯覚に陥っていた。
織田とともに高額なシャンパンタワーを眺めながら、中村はホストたちが織田を持ち上げる様子に少しだけ気分が高揚した。
「中村さん、ホストクラブ楽しいわね。あなたが行きたがる理由がよくわかったわ」
織田が楽しそうに微笑む姿を見て、中村も自然と頷いた。
「本当に楽しそうですね!案内できてよかったです!」
だが、その後、ホストたちの目の輝きが純粋なものではなく、お金の匂いに反応しているように感じられた瞬間、中村の胸に冷たいものが走った。
織田が次々と高額な注文を繰り返すたびに、ホストたちの態度はますます大げさになり、その表情に作為的なものが見え隠れしているように思えた。
「……これが私たちの価値ってわけ?」
心の中でつぶやいた中村は、笑顔を保ちながらも徐々に興醒めしていった。
中村はふと、自分が装う高価なブランド品も、織田が注目を浴びる華やかな場も、全てが自分のものではないことを思い知らされた。その現実は、自分がただの『貸し出し用の身体』に過ぎないという痛烈な実感を突きつけてきた。
***
織田は次第にほぼ毎日通うようになった。
その使う費用と、中村の容姿も相まって、織田が店に行く時は誰もが羨むような存在感だった。
「これが私の本当の人生なら、どれだけ幸せだったかしら」織田はつぶやく。
その一方で、中村は織田の行動に嫌悪感を抱きはじめる。
「行ってみたいと言うから紹介したけど、遊び方がヤバすぎる。そんなお金の使い方するくらいなら、私に少しは還元してほしい……」
2人の意識が交錯する中、織田は、徐々に元の身体に戻ることへの恐怖を感じ始めていた。
***
契約終了が近づくにつれ、織田の中で若い身体への執着が強まっていった。若い中村の身体での生活にすっかり馴染み、元の自分には戻りたくないとさえ思うようになった。
ある夜、藤原に電話をかけた織田は懇願するように言った。
「どうにかしてこの身体のままでいられないかしら。追加でお金を払うわ……3億、いや5億でも構わない」
藤原は冷静に答えた。
「申し訳ありませんが、それは契約上不可能です。織田様もご理解の上でサインされたはずです」
電話を切った後、織田は崩れ落ちるように泣いた。その声を中村も共有し、心の中で冷たい笑いを浮かべた。
「若さに執着しすぎるとこうなるのか……」
***
契約終了の日、最初のホテルに戻り、鏡の前で若い身体を見つめる織田は、最後の瞬間まで諦めきれなかった。
「お願いよ!私はこのままでいたいの!戻りたくない!絶対に嫌!」
織田の叫び声には、若い頃に築き上げた栄光と、それを失った喪失感が滲んでいた。織田は思い出す。若い頃、誰もが振り返るほどの美しさで、多くの人々に称賛された日々を。だが、それは過去のものだった。
藤原が現れ、契約終了の手続きを進める中、織田は子供のように泣き叫び、床にしがみついた。だが、すべては冷静に進められ、最終的に織田と中村の身体は元に戻った。
目を覚ました織田は、深い喪失感に打ちひしがれた。鏡に映るのは、契約前と変わらない老いた自分の姿だった。
「戻っちゃった……」
声にならない声で泣く織田。鏡に映る自分の姿を見つめながら、彼女は震える手で顔を覆った。鏡の中には、たるんだ頬と、うっすらと浮き上がったシワが映っていた。そのシワの一つ一つが、彼女の失った年月を突きつけるようだった。若さを失った今、自分には何も残されていない……そう思った瞬間、彼女は鏡の前で崩れ落ちた。
一方、中村は冷たく藤原に問いかけた。
「お金はちゃんと振り込まれたわよね?それが一番重要なことだから」
「もちろん、約束通りに」
藤原が保証するように答えると、中村は少しだけ安堵の息を吐いた。そして、すぐに厳しい表情を取り戻し言い放つ。
「これで終わりね。私の体、もう借りられないから」
中村は自分の身体に戻り、2000万円の報酬を手にした。この金で借金を返済し、過去を断ち切るつもりだった。新しい生活の幕開けを決意しながらも、その先の未来に不安がよぎるのを押し殺すように部屋を出た。
ふと、織田が中村の手を握り懇願した。
「中村さん、もう一度だけ、お願いできないかしら?私は本当に、この若さと美しさが恋しくて……どうしても戻りたくないの。お願い、もう一度だけ……」
中村は織田の手を振り払い、きっぱりと答えた。
「無理です。もうこれ以上は耐えられない。私の体をまた使うなんて、絶対に嫌です」
織田はその言葉に肩を落とし、目には涙が浮かべた。「わかったわ……。でも、私はこの体で得た感覚を決して忘れないわ……」
織田は鏡を見つめながら、若い頃の自分を思い出した。あの頃の輝きは確かに本物だった。しかし、それが失われた今、自分には何が残っているのか……。
中村はすすり泣く織田をあとにし、
「この洋服はいただいていくわよ。それくらいの礼にはなるでしょう?」
と軽く振り返り、皮肉めいた笑みを浮かべて部屋を去った。
お読みいただきありがとうございます。