おもい・ことのは (旧題:文章の中毒性)
『文章の中毒性』 -おもい・ことのは-
-まえのつぶやき-
自分、元々活字中毒の気があるんですけどね(^_^;)
◇◆◇◆◇◆◇◆
言の葉を読み続ける
物語のなかを歩き続ける
言葉の流れ
響く想い
その言の葉を反芻して
心のなかで口ずさみながら
繰り返し呟きたくなること
言の葉を紡ぎ綴りながら
言の葉に触れ読み耽りながら
言の葉から物語を想像する
言の葉で世界を創造する
言の葉の世界を観て人は旅をする
紡がれる物語の人物たちと共に
綴られる物語を言の葉を友として
見せられた世界を歩み続ける
魅せられた言の葉の響きを感じながら
◇◆◇◆◇◆
世界と人を感じる
それはとても好いものだから
共感し夢中になる
王道である物語も
ご都合主義的な展開も
好むものであればそれに惹かれる
独創的であっても
雛形だとしても
たとえ人に引かれるようなものでも
その好みは人それぞれ
始まりは同じでも
旅のさなかでの感じ方は違っている
考えることや想い
遭った出来事や感じたことで
心や感情は変わりゆく
共感を受ける物語
寄り添ってくれる世界は
それだけで救いになる
よき世界は巧妙だ
真実にたどり着かせない反らしかた
答えを知ってもなお物語から目を逸らせない
それはまるでそこに在るように思えるほどの
本物の生き生きとした人と世界
好い世界は楽しくて
日々のことを忘れさせてくれる
関わる時は瞬く間に過ぎてゆく
ようこそと優しい手で招かれ
見知らぬ世界の門をくぐるような物語への誘い
目を離せずに頭を掴まれて
その世界へと引きずり込まれるような言の葉の力
人が好きなことを書き綴る
そして
自身が信じる想いを言葉にのせる
書くこと
想うこと
ただそれだけで目を離せない世界が
そこに広がっている
◇◆◇◆◇◆
模倣でもいい
テンプレでも構わない
嘘を紡いではならない
嘘であることを気づかせてはならない
人が好きであること
自分の信じていること
本当ではなくてもいい
けれども
心から信じたいこと
心から望みたいこと
その想いを言の葉にそっと置く
言の葉で自らを騙す
自分すら騙せずに人を騙すことはできない
人が望むこと自らも望む言の葉は
明らかにして判りやすく表舞台に楽しく綴り
自らが望み人から望まれないであろうことは
物語の裏側へとそっと潜ませる
瞳をとじて
世界を見つめられるほど
夢を信じる
物語が真実であると信じる
◇◆◇◆◇◆
物語を読み続け
言の葉の世界の旅人となる
言の葉の世界を歩みながら
心には何かが積もりゆく
やがて言の葉の中から
込められた想いを読み解く楽しみだけではなく
言の葉へと想いを込める
自らのものを込め綴る楽しみに目覚める時がある
さきにゆくものを見つける
ともにゆくものに気づく
孤独に綴りゆくことだけではなく
言の葉を追い共に飛ぶ群れのような
そうした相手や仲間を得ることは僥倖
書かれた想いはそれだけでも命を得るが
読まれることで新たな命が生まれることもある
言の葉の命
綴り詠まれること
新たに綴られることで
繁る木々の葉のように
言の葉は増え想いは続き
世界へと流れだす
◇◆◇◆◇◆
言の葉に触れる
共感できないことに出会う
日々の流れの出来事
納得のゆかないことに出遭う
目を背けたくなること
当たり前に起こりうること
目を背け忘れること
それも大事
けれどもある意味で
それはひとつの機会
自らの綴る気持ち
それを始めるきっかけとなる
自らの望みと想い
想像し創造して
人と世界とを紡ぎ出す
人と関わること
物語と関わること
それはきっと変わらない
言の葉と想いが
人と繋がり広がりゆく
できるのならば
よきことのはと
そのはのごとき
うつくしきひろがりを
秘める想いがある
綴りたい気持ちがある
秘めたままにしたい
奥底に留めたい心がある
綴りたく綴りたくない
そんな気持ちに囚われることがある
迷いのなかで
言の葉の外に心を込める
読むことと書くこと
言の葉と文字の連なり
文章に込められた心と想いに
今も魅せられつづけている
-あとのつぶやき-
まとまりのない言葉と文字です。
てけとーに読みつつ、ご笑納いただけると良いのですが。
以下蛇足です。
自分は学生時代、20代の社会人時代を電車通学、電車通勤での時間を過ごしていたため、読書時間の一部は電車ので過ごす間のものでした。←自宅などで本を読む以外にですね(^_^;)
そのせいか元々からなのか、何かしら読んでいる見ている時の方が落ちつきますし、何か考え事をしているときも、目で文章や活字を追いつつ行っていることが多く、そうした生活を当時からしておりました。
ですからカバンの中には、ほぼ必ず文庫小説が一冊、多くの場合複数冊入っていて、
何も無いときは、乗り継ぎ途中の書店で、小説かコミックか、何かしらを仕入れて読みつつ移動時間を過ごしておりました。
知り合いと出かけていて、その場で話す時くらいですね。活字を追っていないということは(^_^;)
ラッシュ時にも、わずかでもすき間があるなら本を取り出して、読んだり見たりしておりましたね。
多くの場合はつり革に掴まることが出来たり、手すりのすき間に場所を確保できたときです。←人の背中で本や雑誌を開いて読んでいたこともありますが、怒られたことがありその後はさすがにやめました(^_^;)
つま先立ちになるようなすし詰めラッシュで、全く本を開くスペースが無いときには、仕方なく吊り広告の週刊誌のタイトルなどを見て過ごしたりでしたね。
電車通勤ではなくなったいまになって、昔を思い出しつつ振り返ると、なぜあんなに活字を読むことに一生懸命だったのか、とても不思議ですね(苦笑)
でもまあ、今でも電車移動の時には本は持ってゆこうとしますね。←スマホでなろうを開いたりして、作品を読んだり、書きかけを書いたり、ネタの出来事をメモしたりがほとんどとなってはいるのですけれど(*^^*)
スマホで文章などが読めるようになる前の、昔々のお話でした(●´ω`●)←昔ほどではありませんが、今も活字と文章に魅せられる日々です♪
当時、その頃は何か書きたい、
面白いものに出逢いたいと、
そんなことばかり思っていました。
今もですね。
面白い本や物語に巡り会いたい。
そうしたものを書いてみたい。
そう思っています。
読んでいただきましてどうもありがとうございました(*^^*)
変なものを読ませてしまいすみません(^_^;)
それではまた(^人^)♪