エピローグ〜世界でもっとも幸せな存在〜
2023年 11月24日(金)
大学時代から、いまも変わらず語り合う友人の豊に、
「野球ファンなら、この映画を観てみなよ」
と、と薦められて観た『2番目のキス』という映画のラストシーンは、誰も予想していなかったボストンレッドソックスのワールドシリーズ制覇の場面と優勝パレードで盛り上がるボストン市内の様子が描かれてエンドクレジットを迎える。
だから、この物語も阪神タイガースの優勝パレードが終わったあとに幕を閉じるべきだろう。
好天に恵まれた神戸と大阪のパレードで、選手の晴れやかな表情を眺めていると、嬉しく思うと同時に、自分まで誇らしい気持ちになってくるのは、なぜだろう?
バファローズと交互に行われたこのパレードを一目見ようと、沿道に詰めかけたファンの数は、主催者発表で100万人にもおよんだという。
インターネット上の天気予報サイトでは、この日の神戸と大阪地方の天候について、
「天気がアレる心配なし」
「今日は晴れて穏やかな小春日和。天気がアレる心配はありません。気おーんは、平年よりも高め。7ヶ月に渡る熱狂と興奮に対する感謝で心まで温かく感じられます。」
と、記していた。
半袖で過ごすことができたパレードの日を筆頭に、まるで、阪神ファンの熱狂ぶりが気候にまで影響を与えたのかと勘違いしてしまうくらい、いつまでも、いつまでも、暑さが収まらなかったこの秋、僕の人生にとって、おそらく何度も訪れないであろう体験をすることになった。
出会ったその日に夢中になってしまった相手への想いが成就するなんて……しかも、それが、わずか二ヶ月足らずの短い期間に重ねて起こるなんて、ハレー彗星の最接近どころか、太陽系内の惑星が太陽に向かってほぼ一直線に並ぶ『惑星直列』なみのレアな現象かも知れない。
シリーズ第7戦の試合が終わった翌日のこと――――――。
リーグ優勝のときには、生放送で視聴することの叶わなかった監督・選手の優勝会見や歓喜のビール掛け中継を視聴し続けて、すっかり寝不足になってしまい、頭のはたらきが鈍くなった身体にムチ打ちながら、僕は、近所のコンビニで『スポーツ報知』を含めた五つのスポーツ新聞を買い求めた。
関西地方だけでなく首都圏でも阪神タイガースの広報紙扱いをされている『デイリースポーツ』の一面には金色の紙名ロゴと、岡田監督が胴上げされる場面を背景にして、
『岡田日本一』
『38年ぶり悲願』
『虎党万感の涙、涙、涙』
という文字が踊っていた。
試合終了から一夜明け、あの胴上げの瞬間から一晩が経過しても、前日の出来事が夢のように思えて、現実の出来事として認識することができなかった。
リーグ優勝の時と同じく、各社のスポーツ紙を購入するのは、前日の勝利が、現実の出来事であることを確認するためなのだが、試合前からある程度、勝利の可能性を信じることができたジャイアンツ戦と違い、敗戦濃厚だと思い込んでいた日本シリーズ第7戦は、スポーツ紙の見出しを確認したいまでも、
(これは、巨大な組織がメディアを買収して偽情報を創作しているのではないか――――――?)
という疑念を拭えない自分がいる。
そうして、僕は、初めて甲子園球場で試合を観戦したときのことを思い出す。
主砲のサヨナラヒットに沸き立つスタンドを目にしたあの特別な日から、十五年近くが経過した――――――。
自分の人生の中で、あの映画みたいなラストシーンが訪れるなんて、夢にも思わなかった。
その映画の冒頭では、叔父に連れられて、ボストンの野球場フェンウェイ・パークに観戦に出掛けた少年について、ナレーターが、こんな風に語られている。
「ドワイト・エバンスがホームランを数本放ち、(レッド)ソックスが勝ち、その日が終わるまでに、哀れな少年ベンは『神の創り給うた最も哀れな生き物の一つ』――――――つまり……レッドソックスファンになってしまった」
八十六年もの間、ワールドシリーズに勝利できなかった(野球ファンならご存知の『バンビーノの呪い』というアレだ)ボストン・レッドソックスのファンが、『神の創り給うた最も哀れな生き物』にも、歓喜のときは訪れるものなのだ。
球団創設から九十年近くの歴史を持ち、
リーグ優勝:十回(2リーグ分裂後は、七十年以上の間に、わずか六回)
日本一:二回(リーグ創設をともにしたドラゴンズとベイスターズに並ぶタイの回数になった)
の成績しか残せていないチームの勝敗に一喜一憂し、2023年のシーズンを幸福な1年間として記憶できる阪神タイガースのファンは(色々な意味で)、
『三千世界で、もっとも幸せな存在』
と言えるかも知れない。
小学4年生の春、祖父に連れられて甲子園球場に出掛けてから十五年、いつものように始まったシーズンの結末が、こんなにも歓喜に満ちたモノになるなんて、リーグ優勝さえ見たことのなかった僕には、想像もできなかった。
阪神タイガースが勝ったところで、僕に何か得になることがあるわけじゃない。
だけど―――――。
それでも、夢中で応援してしまうし、チームが勝ってくれたら嬉しい。
これは、理屈では説明できない喜びだ。
20世紀の英米両国の偉大なシンガー風に言うと、こんな感じだろうか?
It's Only Hanshin Tigers (But I Can't Help fall in love)
(たかが、阪神タイガース。だけど、愛さずにはいられない)
こういう言葉では説明できないことにこそ、人間の真の喜びや感動がある、と僕は考えている。
さらに僕の胸が高鳴るのは、今年、プロ野球の頂点まで駆け上がった我がチームは、選手の平均年齢が十二球団で最も若く、選手たちが円熟期を迎えるこれからの数年は、チーム始まって以来のペナントレース連覇や黄金期の到来すら現実的に感じられることだ。
盤石とも言える投手陣と、派手さはなくとも、得点力の高い打線が噛み合っていれば、このまま数年は、安定して優勝争いをすることが出来るのではないかと、今から期待に胸が踊る。
ただし――――――。
ひとつだけ心配なことがあるとすれば、チーム事情に関するどんなに暗いニュースが流れてこようと、毎年のシーズン初めに、僕が、阪神タイガースのリーグ優勝の場面を夢想している、ということだ。
・2023年の阪神タイガースの最終成績
勝敗:85勝 53敗 5引き分け
順位:セントラル・リーグ 優勝(18年ぶり10回目)
クライマックスシリーズ:3勝 0敗 日本シリーズ進出
日本シリーズ:4勝 3敗 日本一(38年ぶり2度目)
追記:
奈緒美さんと共同で飼うことになった犬には、当初、僕の愛するチームに多大な貢献をしてくれた二人の外国人に敬意を表して、「ランディ」という名前をつけたい、と提案する予定だった。
(もちろん、この名前は『史上最強の助っ人』と呼ばれる打者と六度の開幕投手を務めてくれた2名に由来している)
ただ、その僕の決意も揺らいでいる。
それは、日本シリーズ最終戦で、僕自身を含めて99パーセントのタイガースファンが、予想もしていなかったであろう先制ホームランを京セラドームのレフトスタンドに放り込んだ外国人打者に対する思慕の情が、湧き上がっているからだ。
もし、保護犬カフェから引き取る子の性別がオスだったら――――――。
愛犬の名前には、「シェルドン」か「ノイジー」と付けさせてもらえないか、と彼女に提案してみようと考えている。
執筆当初には、作者自身も予想していなかった阪神タイガースの日本シリーズ制覇という形で終えた2023年のプロ野球。
タイガースのファン感謝デーの日に、こうして、この作品の投稿を終えることが出来て(主人公の虎太郎と同じく)、作者としても感慨無量です。
最後までお読みいただいた読者の皆さま、本当にありがとうございました。