14 第七皇女は求婚される?
メルヴィスから放たれた黒蛇は蠢きながら形を為し、皇帝へと一直線に飛ぶ。大きく開かれた口から覗く牙を煌めかせ、その餌食にせんと皇帝へ覆いかぶさった。
「きゃあああ!!」
大広間のどこかで婦人の甲高い悲鳴があがる。
誰もが皇帝の死を覚悟し、それによってもたらされる惨状を予測しただろう。
私が気づいた時にはもう、黒蛇は既に皇帝の眼前へと迫っていた。
(――だめ、間に合わない!)
そう思いながらも、反射で魔術を行使し皇帝の周りに防御結界を展開する。間に合って――そう願いながら、私は無我夢中で魔術を行使した。
――キィイン!
鋭い金属音が一際高く大広間に鳴り響く。
皇帝に噛み付こうとしていた黒蛇が、不意にその姿を消した。
瞬きする間に黒蛇は短剣で床に縫い止められ、身動き出来なくなっていた。
――それは、一瞬の出来事だった。
その一瞬で、動いた人影が四つ。
大広間は、今一度静寂に包まれる。
誰もが固唾を飲んで見守る中、緊迫感に包まれた空気を破ったのは、誰であろう皇帝陛下だった。
「――見事、見事。流石よのう。流石は私の臣下達よ。頼もしき臣下に恵まれて私は幸せだぞ?」
呑気に感心したなぁ、と続けて告げる声音にはまるで緊張感はなく、場違いにも程があった。
こんな時に何を言い出すのか、この父親は。
自分の命が狙われたというのに危機感のひとつも覚えていないのだろうか。割とふてぶてしい性格をしている父親は度胸も人並み以上に据わっているということなのか。流石に呆れ果てた私は変わらず防御結界を維持したまま、玉座に腰掛け頬杖をつく自らの父親を睨みつけた。
「あの、お父様? 少しは緊張感というものを持ってくださいません? 仮にも今御身は命を狙われたのですよ?」
私の嫌味の混じった苦情に、しかしお父様は余裕の表情を崩さないままニヤリと笑った。
「ん、いや私も今回ばかり少しは焦ったぞ? 間に合わんかもしれんなぁ、とな。しかし間に合ったじゃないか。間に合ったならそれでいいだろう。ほら、なんだったか……ああそうだ。『結果よければ全てよし』と言うだろう?」
「はぁ……。左様ですか」
この皇帝には何を言っても無駄だ。恐らくお父様は普通の人とは違った図太い神経を持っているに違いない。早々に悟って私は溜息をついた。お父様に呆れながらやれやれと首を振って今度はメルヴィスの方へと目線をやる。
「何故だ……。完全に隙がある瞬間を狙ったのに……何故……」
メルヴィスは目を見開き、呆然とした様子で呟いた。
余程不意打ちに自信があったのか、彼女は余裕そうだった先程の調子を完全に失っていた。
しかしすぐに立ち直り悔しそうに目を細めるも、完全に身動きが取れず歯噛みするのみ。
そう。
黒蛇が皇帝に襲いかかろうと狙いを定め、勢いを付けるために立ち止まった、ほんの一瞬。その刹那。
そのほんの僅かな隙に、全てが終わっていた。
その間にメルヴィスは羽交い締めにされ、床に四つん這いに。
悔しそうに顔を歪めるメルヴィスの身体の上に乗り、四肢の動きを封じたのは二人の人物。
「黙りなさい」
「斬るよ」
恐ろしく感情が篭もっていない平坦なふたつの声。
ただ淡々と告げられたそのセリフは感情が篭もっていないだけに、逆らえば直ちに実行するという即断即決の響きを感じさせる。
黙れ、と告げたのはメルヴィスの四肢を縛り、背に結ったポニーテールの髪を揺らす女性。
さもなくば斬る、と脅したのはメルヴィスの首に鈍く光る細剣を突きつけ、肩の辺りで切り揃えた短髪を無造作に流した女性。
二人とも女性であるが、その身体を包むのは白地に金の刺繍糸が鮮やかな騎士装。双方共に何の感情を浮かべることもなく、鏡合わせのようにそっくりな容貌。
銀の髪に銀青の瞳を持つ双子の皇女。
ポニーテールを揺らすのは第三皇女アンゼリカお姉様。
ショートカットの髪を流したまま細剣を構えるのは第四皇女アンネリーゼお姉様。
「大人しくしろ、メルヴィス・ジンジャー」
そして突きつけた細剣の反対側から水で形成した刃を同じくメルヴィスの首にあてがうのは魔術師団長、レオノアール・アスティーク。
最後に悠然と構える皇帝の前で、未だ蠢く黒蛇の頭を短剣で仕留めて見せたのは先刻まで私の隣にいたはずの黒い軍服の将軍。
四人が四人ともあの一瞬の間に行動し、それぞれの役目を果たしたのだ。
「大義であった。レイヴン・イーゼルベルトにレオノアール・アスティーク。それにアンゼリカにアンネリーゼ。腕を上げたな、父として鼻が高いぞ。あとレスティーゼもな」
流石は私が見込んだ者達だ、と満足げに頷くお父様。私はそこで気づいた。
あの一瞬で、信頼できる臣下達が動くと知った上で全て見抜いていたというのか。信用しているから、動じることもなかったのか。なんという度胸。なんという度量の大きさ。
――やっぱりお父様は侮れないわ。
呆れ半分、関心半分でやれやれと首を振る。
それにしても、将軍はよくあれほどまで黒蛇に近づいても平気なものだ。あの濃密な「魔」の気配を纏った蛇は呪術の一種。
メルヴィスの舌に刻まれた文様。あの文様に込められた呪いが蛇として形を成したもの。
当然よいものではなく、あまり近づくのも宜しくはない。
黒髪で「魔」に近しい存在だから耐性があるのかもしれない。
しかし、耐性があってもあまり近づけすぎるのは良くない。浄化した方がいいわね。私は将軍に近づくと、短剣で頭を地面に縫い付けられ左右にうねっている蛇に魔力を注いで浄化した。
塵となって消えた蛇を見届け一息つく。
魔封じの手枷をものともせず術を行使したメルヴィス。
あのおよそ人間とは思えない舌の長さ。あの黒蛇。
間違いない、メルヴィスは「魔女」だ。
魔女は「魔」と契約し、呪いによって人に災いをもたらすもの。
精霊と契約しその加護を得た私とは対極に位置する者だ。
「お父様、お分かりかとは思いますがメルヴィスは魔女です。魔封じだけではなく魔力自体を封じた方がよろしいかと」
「そうだな。また暴走されても困る。魔術師団長よ、すまぬが魔力を封じた上で地下牢までメルヴィスを連行してくれぬか?」
「はい。承知しました」
皇帝の命を受け、メルヴィスの魔力を封じるレオノアール様にアンゼリカお姉様とアンネリーゼお姉様が同時に声をかける。
「「レオノアール様、私達も念の為同行致します」」
「そうですか、それは心強い。助かります」
程なくして罪人二人は魔術師団長と双子の皇女に伴われて大広間から姿を消した。
罪人が去って安堵したのか大広間全体の空気が少し和らいだ。
よくよく考えれば今日は祝勝の祭典で祝事であるはずなのに、断罪やメルヴィスの暴走と祝い事とは程遠い事態ばかり起こるものだ。
自分がそのきっかけを作ったことは棚に上げて、私は静かに嘆息した。
「さて、遊びはここまでにして。本題に行こうかの。今回の功労者、イーゼルベルト将軍には褒美を与える。今回の戦乱の地になった旧ウォルフロム領。帝国でもあそこは重要な地ゆえ、ぜひイーゼルベルト将軍に管理してもらいたい。そうだな……名前は……あそこの山脈は夜明けがとても綺麗に見えるのだったな。よし、将軍には帝国の夜明け辺境伯の爵位を新たに授けることとする」
「はっ、有り難き幸せ」
イーゼルベルト将軍は皇帝に向き直ると最上位の敬礼を見せる。
皇帝は鷹揚に頷くとさらに続ける。
「このめでたき日に褒美がこれだけでは味気ないな……。将軍よ、何か望みはないか。あるなら申してみよ」
「望み、ですか……」
お父様の気前のいい問いかけにこれまではきはきと答えていた将軍がはじめてを逡巡を見せた。
突然望みを聞かれたのだ、戸惑いもするだろう。しばらく躊躇するような仕草を見せる。お父様はただ黙って、将軍の言葉を待っていた。
将軍は何かを言いかけては言葉を飲み、迷っているように見えた。
何か望みはあるようだが、そんなに言い出せない事なのか。
お父様が珍しく太っ腹に望みを叶えてやろうとしているのだから迷う必要はない。少なくとも私なら遠慮はしない。
将軍なら無理な願いは出さないはずだ。それにあの将軍の望みなのだ、少し興味がある。
不謹慎にワクワクしながら次の言葉を待っていると、不意に将軍が私を見た。
黄金の双眸と目が合う。深い知性に満ちた金の瞳に、惹かれたように目が離せなくなった。いつになく熱心に私を見る将軍。何かしら。すごく熱っぽい視線を感じるのだけれど。
首をかしげながら訝しんでいると。
皇帝が「ほほぅ」と実に興味深けな声を上げる。
え、何。なんなの。
やたら熱心に私を見つめる将軍に、その様子を終始楽しそうに眺める皇帝。
やがて将軍は私から目を逸らすとお父様へと向き直る。
意を決したように表情を引き締めたイーゼルベルト将軍が口を開いた。
「皇帝陛下。願い……ということもないのですが。モースとの婚約を破棄、ということは今、レスティーゼ殿下には婚約者はいない、ということでよろしいのですよね?」
「そうだな。今第七皇女には婚約者はいないな」
――え。何故今私の婚約者の話が出てくるの。
ますます訳が分からず、私の頭の中は疑問で埋め尽くされる。
楽しそうに笑う皇帝の返答に、将軍は驚くべき「願い」を口にした。
「では皇帝陛下。私がレスティーゼ殿下に求婚することをお許し下さいますか?」
「ああ、許そう」
「ありがとうございます、陛下」
将軍の願いをあっさり許可するお父様。
私は状況についていけず、素っ頓狂な声を上げた。
「は、え、ええ!?」
理解出来ていない私を置いてけぼりにしたまま、将軍は皇帝に優雅に一礼すると、私の方へと歩いてくる。
こちらの目の前までやってくると、片膝を折り、私の右手を取った。
「レスティーゼ・エル・ヘルゼナイツ殿下。ずっとお慕いしておりました。このレイヴン・イーゼルベルトがあなたに婚約を申し込むことをお許しください」
真摯にこちらを覗き込む黄金の双眸は、熱く潤んでいて。
整った容貌に浮かぶ笑みはどこまでも甘く。
私はしばらく何も答えることができなかった。
――レスティーゼ・エル・ヘルゼナイツ。十五歳を迎えたばかりの春。
浮気した婚約者を断罪したら、黒髪の将軍に求婚されました……。
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