身代わり
どうしてこんな事になったのだろう?
B級冒険者パーティの『鉄鎖の誓い』にローディとして参加している僕、トット村のボリスは大迷宮の最深部に一人残され、目の前に迫りくる強大なバケモノを前にして、そんな場違いな感想を抱く自分に少しばかり驚いていた。
僕をこの場に置き去りにしたのは『鉄鎖の誓い』のリーダーを務める魔法剣士のウィルヘルムさん。ものすごくかっこよくてものすごく強い、同じ男なら誰でも憧れてしまう素敵な人だったけど、剣で僕の足を切りつけてきた瞬間の顔は醜くゆがんでいた。
ウィルヘルムさんは「うんざりだ」と声を震わせながら言っていた。
「ボリスのような愚鈍の面倒を見るのはもううんざりなんだ」それが僕を見捨てる理由。
ダンジョンからの出土品で財を成す迷宮都市アザムでは辺境伯様紐付きの探索者ギルドが絶大な権力を誇っており、特に迷宮に潜る探索者についての管理は人一倍厳しい。
探索者はF級から順に上がっていくしかないランク制度に縛られていて、B級以上の上位クラスに上がるには必ず子弟を持たなければいけない決まりがある。
有望な後進の若者を育てるのは上位探索者の義務と定められているのだ。
当時のウィルヘルムさんが僕を選んでくれたのは、僕がとても力持ちだったからだ。僕には生まれついての『怪力』の加護があり、10歳の時には大人数人で抱えるのがやっとの大荷物を片手で持ち上げたりしていたから、僕は近隣の村々ではちょっとした評判だったのだ。
それに僕には、物事を考える知恵というものもあった。
僕が子供のころ、村にときどきやってくるアルフォンスさんという宣教師がいたのだが、この人が子供たちに簡単な勉強を教えてくれる。このアルフォンスさんはちょっと変わったところがある人で、何でもいせかいで過ごした前世の記憶があるとかで空高くそびえ立つこんくりーとの高層びるの話だとか、鉄でできた空飛ぶひこうきの話などを授業の合間に色々語ってくれた。
大人達は誰も取り合わなかったけれど、僕はすっかりアルフォンスさんに夢中になってしまって、そしたらアルフォンスさんは僕に色々と難しい事をたくさん教えてくれた。
みんしゅしゅぎとかいう王のいない社会の仕組みだとか、貨幣経済が発展して巨大化したかぶしきがいしゃが世界を牛耳る話だとか、まあとにかく色々だ。
それで僕は、アルフォンスさんから色んな知識を吸収することで、齢10を超すころには神童などと呼ばれる存在になっていた。
力も強くて頭も切れる、そんな優れた子供の噂が迷宮都市の探索者ギルドの人にも伝わっていたらしく、僕は成人する12の歳に、ギルドの人にスカウトされたんだ。
その素晴らしい能力を迷宮探索に活かさないかってね。
僕は一も二もなく飛びついた。僕は長男じゃなかったし、一攫千金の探索者は子供のころからのあこがれだったんだ。アルフォンスさんはあまりいい顔をしなかったけれど、当時の僕は思いあがっていたからね。なんでも出来る僕はきっと大成するに違いないなんて根拠のない自信があったから、意気揚々と村を出て探索者の世界へ飛び込む決心をしたんだ。
村のみんなは総出で僕の門出を祝ってくれて、幼馴染の可愛いラナには愛の告白をされ、あの時の僕は有頂天だったと思う。
思えばそれが僕にとっての一番幸せな時だったんだろう。
その後迷宮都市に赴いた僕は子弟制度を通じてウィルヘルムさんの弟子となり、新米探索者としての新しい生活をスタートさせるんだけど、ここから先が酷い話の連続だった。
なにが酷いって、僕がどうしようもなく酷かったのさ。
僕にはバカみたいな怪力があった。でもそれだけだった。
力だけはバケモノでも、それを活かすための戦闘技術も格闘センスもなかった。
僕は最初、身の丈の倍ほどもある巨大な長剣を持たされたけれど、どれだけ振り回してもいつまでたっても敵に当たらなかった。それどころか周りに向かって害になるばかりだと、半年もしないうちに剣は取り上げられた。
続けて持たされたのが大楯と大鎧だった。僕はとにかく戦闘の時には一番前に突っ込まされて、盾を構えて相手の突進などを防ぐ役割を担わされた。けれどもこれもダメダメで、結局のところ僕は怪力以外に何も持っていなかったから、敵に突っ込まれたら大けがをして転がりまわるくらいしか出来ることがなかったんだ。
ちなみに付け加えておくと、アルフォンスさんに教わった『いせかい』の知識は迷宮探索には何の役にも立たなかったよ。なにせ『いせかい』にはダンジョンなんてないそうだから、そりゃまあ考えてみれば当たり前の話だよね。
それで僕はいつの間にか大きな荷物を担がされて、ウィルヘルムさんのパーティが倒したモンスターを解体して運ぶローディの仕事に落ち着いていた。
けれどもこれもあんまりうまくはいかなかったんだ。
なにせ僕は無駄に怪力だから、モンスターをうまく捌いて部位を分けたり魔石を取り出したりというのが本当に難しいんだ。つい力が入ってぐちょぐちょにしてしまう。
あるいは休憩中に簡易テントを張ったり料理を作ったり、武器や防具の手入れをしたりなんていう作業もとてもじゃないけどまともに務まらない。
僕は本当に荷物を持ち運ぶだけしか出来ないウドの大木みたいな存在になってしまったんだ。
けれどもウィルヘルムさんは僕を解雇することはできなかった。ウィルヘルムさんがB級でいられるのは僕が子弟としてくっついているからで、僕を追い出せばそれだけでウィルヘルムさんの等級は下がってしまう。
B級探索者としてギルドから受けられる恩恵は多大なものがあり、ウィルヘルムさんはせっかく手に入れた権利を手放す気持ちにはなれなかったようなんだ。
かといって僕を別の子弟と交換することもできないというのが問題をややこしくしていた。
というのも僕は自分がどうしようもなく駄目だって分かったから、ともかく別の方法で貢献しようと小知恵を働かせて色々頑張った。
僕に残されたのはアルフォンスさんから教わった異世界仕込みの知恵だけだったからね。
けれどもこれがさらによくなかったらしいんだ。
迷宮内のマップは魔素の濃淡が変わるたびに通路がぐにょぐにょと変わるから、新しいマップになるたびに一生懸命暗記したり、買取価格の相場を覚えてなるべく高く素材が売れるように工夫したりとか、そういう頭脳労働を頑張ったんだけれど、これがギルドにヘンに評価されてしまっていたらしく、ウィルヘルムさんは僕をうまく育てていると誤認されてしまっていたそうなんだ。
一時期ウィルヘルムさんにはかなりしつこく言われた。「余計なことはするな」と。けれども僕はウィルヘルムさんのいう事を聞かなかった。
僕だって必死だったんだ。ただ荷物を運ぶだけじゃよくないって、頑なに信じてた。それにギルドの職員のみんなは褒めてくれたから、自分が正しい事をしていると勘違いしていたんだ。
でも結果としてウィルヘルムさんが僕を他の子弟に換えたいと何度ギルドに申し入れても聞き入られなかったから、ウィルヘルムさんは相当参っていたそうなんだ。
このあたりの事情は僕が迷宮深層に置き去りにされる直前に聞かされたけど、正直「やっぱり」って感想しかなかった。
なんとなくそうなのかもとは思っていたからだ。
けれどもウィルヘルムさんは辛抱強い人だったから、僕の事を余計なことする使えない荷物持ちとして、それでも2年近くも面倒を見てくれた。
そこには打算があって、ウィルヘルムさんにはある望みがあったらしい。それは、僕の成長。
例え荷物持ちとして大して役に立たない僕でも、迷宮深層に何度も挑んで強い魔素を何度も浴び続けていれば自然と能力に磨きはかかる。
僕の怪力はどんどん強くなる一方だったし、更には新しい能力の芽生えもあった。
そう、この新しい能力がウィルヘルムさんの賭けだったのだ。探索に使えるよい力を引き当てれば僕の価値も変わってくると、ウィルヘルムさんはそこに賭けたたらしい。
ほら? よく聞くだろ? うだつの上がらない万年Eクラス探索者が、ある日突然新しい能力に目覚めて見違えるように強くなる奴。
あんなのは正直まぐれ当たりの超幸運でもなければ普通はあり得ないんだけど、たまにそんな話で一発逆転する探索者もいる事にはいる。
僕は正直そんなもの信じられなかったけど、ウィルヘルムさんは何故かそれを信じたらしい。それで我慢して僕を迷宮深部まで何度も連れて行ってくれたんだ。
「お前にはまだ秘めたる力が残っているかもしれない」ってね。
それで僕は2か月ほど前に本当に新しい能力に目覚めてしまったんだ。
最初のうちウィルヘルムさんは我が事のように喜んでくれたよ。「これでボリスも新しい価値が生まれるに違いない」ってね。
僕もその時はすごく嬉しかったよ。
けれどもその期待はすぐに裏切られることになった。僕の新しい能力は、元あった『怪力』以上に使えない能力だったんだ。
それが分かったときのウィルヘルムさんの落胆は、僕から見ても痛々しいものだった。ウィルヘルムさんは僕にまともに話しかけてこなくなり、他のパーティメンバーの人も僕を露骨に遠ざけるようになった。
それでもギルドの決まりで僕達は揃って迷宮に挑まなければならないから、僕はともかく探索の日には大きな背負子を担いで迷宮入り口に集まり、『鉄鎖の誓い』の4人の邪魔にならないように少し離れたところからついて行って、戦闘が終わり彼ら自身が解体まで済ませたるのをただ待つだけで、必要な荷物や道具などの出し入れは彼らがするのをただ見ているだけで、食事もそれぞれ別、寝る時も端っこで邪魔にならないように、ただ並んで同じ迷宮を移動するだけの赤の他人に徹してこの2か月ほどを過ごした。
それがついにウィルヘルムさんの堪忍袋の緒が切れたのがついさっきのことで、僕は迷宮最深部で足を切り刻まれ、4人のパーティメンバーに代わる代わる悪態をつかれ、ウィルヘルムさんの「うんざりだ」の一言を最後に置き去りにされた。
それで今、僕は足から流れる血に意識を失いかけながら、血の匂いに釣られてやってきた名前も知らぬ大きなバケモノの口だかなんだかが大きく開いて覆いかぶさるようにしてくるのを、ぼんやりと眺めているところなんだ。
それで僕はこのまま死ぬしかないんだと思ったとき、どうしようもなく嫌だと思ってしまった。それで僕は『怪力』よりも使えないとさんざんなじられた第二の能力、『身代わり』を発動させてしまったんだ。
『身代わり』。
味方と自分の位置を入れ替えるクソみたいな能力。
この力は例えば戦闘中に怪我をしたメンバーがいたら、僕とその位置を入れ替えることで安全に後方に移動させたりとか、そういう時に使う能力らしい。
普通は騎士の人とかが獲得するスキルらしいけど、なんで僕にこの力が芽生えたのかは正直よく分からない。『怪力』と合わせて楯職を目指すべく女神様が与えてくれた力なのかなってちょっと思ったけれど、本当のところは謎のままだ。
でも『鉄鎖の誓い』のような4人で完成されたパーティに、無用の5人目である僕が立ち位置を入れ替えて出来る事など何もない。
味方が怪我をしたらウィルヘルムさんが庇うだけだし、ウィルヘルムさんが怪我したらみんなが守る。彼ら4人はすでにそういう連携を徹底的に訓練していたから、今さら僕みたいな人間が割って入ることなんて何もなかったんだ。
それでも僕は、この役立たずのバカみたいな力を、こっそり一人で鍛え続けていたんだ。せっかく手に入れた新しい能力だし、磨き上げれば何かの役に立つかもしれない、そう思ったんだ。
僕はいつでもどこでも『鉄鎖の鎖』のメンバーと位置を入れ替えられるように徹底的に訓練した。
とはいえ実際に入れ替えたりはしない。入れ替えると彼らの迷惑になるから。
だから入れ替える直前の部分だけをさんざん練習した。
まあそんなわけで僕は、目をつぶっていても、どんなに離れていても、『鉄鎖の誓い』の4人とだけは即座に場所を入れ替えられるようになっていた。
もちろんウィルヘルムさんたちには内緒の事だったよ。彼らは今でも僕は数メートル程度の距離でしか使えないと思っているんじゃないかな。
そして今、まさにバケモノに飲み込まれようとしている寸前の僕がこの力を使えば、その先に何が起こるかは自明の理っていうやつだ。
「……後味悪いけどしょうがないよなぁ。マジでボリスのやつ、使えなかったもんなぁ。」
そんなふうに笑いかけてくる斥候のリゼさんと目が合った。
次の瞬間、僕は足を切り刻まれていたからその場に崩れ落ちる。
僕が入れ替わったのはリーダーのウィルヘルムさんだったから、見上げた僕を囲むようにして立っているのはリゼさん、司祭のユミさん、魔術師のミリアさんの三人だ。
リゼさんは突如現れた僕の姿にびっくりしてしまったようで、大きな瞳を見開いて口をパクパクとさせた。
司祭のユミさんも「えっ?」とヘンな声を出して、ミリアさんは驚きのあまり手にしていた杖を落としてしまった。
カラーンと杖が床に転がる音が鳴り響く中、ミリアさんが声を上げた。「あんた! 『身代わり』!」
頭の回転が速いミリアさんが状況を察したようだった。
「えっ? えっ?」事情が呑み込めないユミさんがなおも変な声を繰り返す中、ミリアさんが悲鳴に近い声で喚き散らす。
「こいつっ! ウィルヘルム相手に『身代わり』使ったのよっ! なんか嫌な予感してたけど完全に見落としてた! こいつには『身代わり』があったわ! こいつがウィルヘルムに『身代わり』使って、あいつが代わりに迷宮深部に残されたのよ! こいつとあたしたちの距離はうんと離れていたはずだけど、火事場の馬鹿力かなんかで無理やり入れ替えたんだわ!」
「はあーっ!?」リゼさんが屈んで来て、地べたに這いつくばる僕の胸襟を掴んで引き寄せる。
「ふざけんなっ! テメェーっ! 今すぐウィルを呼び戻せ! もっかい『身代わり』使えっ! 出来んだろテメェッ!」
僕は思わず反射的に「はい」と頷いてしまった。僕に出来ることはいつだってほとんど何もないから、『鉄鎖の誓い』の皆さんに頼まれ事をされると反射的に応えてしまいたくなるのだ。
だから僕はウィルヘルムさんとの位置をもう一度入れ替えようとして。
何の反応もなかった。
「あれっ?」僕は焦ってしまった。何度ウィルヘルムさんと位置を変えようにも何の変化もない。
「あれれれれっ?」
そんな僕に対し、「テメェふざけてんのか!」リゼさんが胸倉を掴む手に力を込めてくる。僕の首元にシャツの襟首が食い込み、血が止まって途端に息苦しくなってくる。
「落ち着きなさいっ! リゼっ!」ミリアさんがリゼさんに並んで僕の前に膝を落とす。それから切羽詰まった様子で「あんたっ! 『身代わり』する直前のあんたの状況を教えなさいっ! どういう状況で使ったの!? 『身代わり』前はどんな状態だったの!?」と厳しく追及してきた。
僕はしどろもどろになりながらもなんとか状況を説明した。見たこともない巨大なバケモノの口らしき穴が大きく開いてそして……。
「何てこと!」ミリアさんが手を顔に当て、天を仰ぎ見た。「ウィルヘルムはもう死んでいる!」
「どういうことですか!?」びっくりした様子でミリアさんに詰め寄るのはユミさん。「ウィルヘルム様が死んでるって、どういうことですか!?」
ミリアさんはそんなユミさんに佩き捨てるように返答する。
「こいつの『身代わり』は生きている人間にしか使えない!」
「ああ、神よ!」ユミさんはその場に崩れるようにしてへたり込む。
そして激昂したリゼさんは。
「テメェーっ!」リゼさんは腰の短剣を抜き、僕に切りかかってきた。
対する僕は。
「ぎゃあーっ!」悲鳴を上げたのはミリアさんだった。僕は反射的にミリアさんと位置を入れ替えたから、代わりに切られたミリアさんは血を吹き出しながらその場に突っ伏した。
「テメェーっ! テメェーっ!」リゼさんは何度も切りかかってきて、そのたびに僕はミリアさんと入れ替わったから、「ギャッ!」だの「痛いっ!」だの叫び声を何度も上げることになった。
「もうやめてぇーっ!」涙でぐしょぐしょになったユミさんがリゼさんを後ろから羽交い絞めして、リゼさんはようやっと我に返り動きを止めた。それから真っ青な顔になって、「違うんだ……。あたしはそんな、そんなつもりじゃ……」などとブツブツとつぶやき出した。
ユミさんはそんなリゼさんの側を離れると、あちこち切られてのたうち回るミリアさんの元に駆け寄って、回復魔法の呪文を唱え始めた。
その様子を見て、僕は思いついてしまった。死にたくない僕が今この瞬間に取れる最低の手段。けれども不思議と、今の僕には何の良心の呵責も生まれなかった。
呪文が発動する瞬間、僕はもう一度ミリアさんと自分の場所を入れ替えた。彼女の回復魔法は僕の身体を優しく包み、ウィルヘルムさんに切られてズタボロだった足は傷一つなくなった。
「えっ? えっ?」ヘンな声を繰り返すユミさん。
隣では、ミリアさんが身体を痙攣させてビクビクと不自然に動いていたけれど、しばらくするうちにそれも弱まり、そのままミリアさんは動かなくなった。
「えっ? えっ?」ヘンな声しか出ないユミさんは、それでもミリアさんのもとにのろのろと近づいて、二度目、三度目の回復の呪文を唱えたけれど、それはもう何の効果もなかった。
試しに僕もミリアさんと自分の位置を入れ替えようとしてみたけれど、何の反応も起きなかった。ミリアさんの言った通り、僕の『身代わり』は生きている人間にしか使えないんだなと感心してしまった。
それで他にもこの能力の特徴を教えてもらおうと思ったんだけど、ピクリとも動かない彼女を見てそれがもう叶わない事に気付いた。
博識のミリアさん。けれどももう、彼女の知恵を僕らが借りることは出来なくなってしまった。
「うわああああっ!」リゼさんが立ち上がると、奇声を上げてそのまま走り去っていった。多分突然の事態にパニックになってしまったんだと思う。
僕もさっきバケモノに食われる寸前に似たような状況になったから、彼女の心情は痛いほどよくわかった。
意味不明の状況。突然訪れる最悪の事態。先ほどの僕は思わず『身代わり』を使ってしまったけれど、彼女は思わず一人逃げ出してしまったんだ。
僕も彼女も人間だし、正直お互い様だなって思う。
それで残された僕は呆然とへたり込むユミさんの背中を眺めつつ、この先どうしようかと思案させられることとなった。
僕も逃げようと一番に考えたんだけれど、いざ立ち上がろうとしたら立ち眩みがすごくてとてもまともに歩けそうになかったんだ。
恐らく血を失ったせいだ。回復の魔法で傷は塞がっても、失われた血はすぐには元に戻らない。僕は貧血で動けなくなってしまったんだ。
だからともかくどうしようと考えつつも、とりあえずはその場にうずくまるしかなかった。
そんな僕達の鼻にツンと匂うものがあった。生臭くていやらしい、ケダモノのにおい。
僕はすぐにその匂いの正体がわかってしまった。
先ほど僕が食われかけ、入れ替わったウィルヘルムさんを飲み込んだ、名前も知らぬ深層のバケモノ。まさにあいつの匂いだった。
恐らく今いるこの場所は、先ほど僕が捨てられた位置とそこまで遠くは離れていなかったのだと思う。迷宮を彩る岩の色が似ているし、僕が切りつけられてからウィルヘルムさんと入れ替わるまでの時間もそんなに長かった印象はなかった。
つまりあいつはすぐ近くにいたのだろうと思う。
だからあいつは新たなる血の匂いに誘われてここまでやってきたのだ。
僕の足から流れていた血の匂いと、めった刺しにされたミリアさんの血の匂いに。
僕は踏ん張りの利かない身体を引きずるようにして、少しずつ後ずさる。放心したユミさんはミリアさんだった死体の隣でぼんやりと虚空を眺めている。
彼女を盾にするようにして、少しでも遠くへ。少しでも離れた所へ。
暗がりの影から、あいつがのそりと姿を現した。大きな口と、何やら白っぽいうねうねとした触手と、ぬちゃぬちゃと引きずるようにしてにじり寄ってくる泥のような肢体と。
ぱっくりと開いた口腔の奥に、ウィルヘルムさんが愛用していた剣が突き刺さっているのが見えた。剣の柄には、恐らくウィルヘルムさんであろう人間の手が中途半端にぶら下がっている。ただし手から先は引きちぎれどこにもない。
僅かな時間に出来得る限りの抵抗をした跡のようにも見える。ウィルヘルムさんは一流の冒険者だったのだ。
うつろな瞳のユミさんもその剣を認識したのだろう。「ウィルヘルム様……」そう嬉しそうに呟く彼女に覆いかぶさるようにして、バケモノがそれを一飲みにした。
僕はその様子を少し離れたところで見つめながら思った。
多分僕の『身代わり』のスキルは、本来まさにこういう時に使うべき能力なのだろう。探索においてヒーラーの安全は第一に守られなければならない。
ユミさんを生かすためには僕のような下っ端の役立たずは、その身を犠牲にしても彼女を救わなければならない。まさに身代わりをすべき絶好の機会だ。
ついほんの数時間前までは。
僕はウィルヘルムさんに切りつけられ、深層に置き去りにされた瞬間に彼の事を憎んでしまった。 そして彼に従う三人のパーティメンバーの事を、可愛らしいユミさん、奇麗なミリアさん、かっこいいリゼさんの事をも憎んでしまった。
足を刻まれ、さんざん罵られ、迷宮深層に置き去りにしてくれた彼らの事を絶対に許せないと、復讐してやると望んでしまった。
そして役立たずの『身代わり』が復讐に使えると気付いてしまった。
だからバケモノが旨そうにユミさんだったそれをばりぼりと咀嚼するのを眺める事に暗い喜びすら見い出していた。
彼女は食われてすぐはまだ生きていた。「ウィルヘルム様! ヴィルベルムざま! ヴィルベんぐっ!」という彼女の最後の叫び声を、僕は心地よく楽しんだ。
ざまあみろ!
だが僕の復讐はこれで終わりではない。
バケモノがユミさんを飲み込み、ミリアさんの死骸を啜り、最後に残った僕ににじり寄ってくるのを十分に引き付けてから、大きな口が迫りくる直前になって、最後の『身代わり』を使った。
リゼさんはとても優秀な斥候である。死の直前まで、彼女は優秀な斥候だったのだと思う。
半ば狂乱した状態でめくらめっぽうに逃げ出した割には、彼女はきちんと上層に向けて移動してくれていて、僕が入れ替わった先は中層のそれなりに安全な大広間だった。
とはいえヘロヘロの僕が出来ることはこれ以上何もない。這うこともできない僕は恐らくこのままここで野垂れ死ぬだろう。
ここで僕はなんだか楽しくなってきてしまった。
まったく何のための『身代わり』だったのか、まるで意味が分からない。誰から誰を庇ったのか。結局誰が助かったのか。
何もいい事はない。何一つ救われない。誰も得をしない。
いったい神は、何のために僕にこんな馬鹿げた能力を与えたもうたのか。
でもまあいいさ。最後になんだかスカッとした。
それで僕はケラケラ笑いながらも仰向けになり、薄暗闇の中ぼおっと光る迷宮の天井を眺めながらぼんやりとこれまでの事を思い起こしていた。
僕はウィルヘルムさんの事が途中までは大好きだったけど、ウィルヘルムさんは僕の事を次第に嫌っていった。それで僕も最後には彼の事を嫌に思うようになっていた。
どうしてこんなことになったんだろう?
僕は何度も自問自答したけれど、答えは結局分からなかった。分からないままこうして最悪の形でウィルヘルムさんがこの世からいなくなって、今僕も彼の後を追いかけようとしている。
それで眠くなってきて、ああ多分このまま死ぬんだろうななどと考えつつ、最後に一つやり残していたことを思い出した。
僕はリゼさんに『身代わり』を使った。無反応だった。
よし。
僕は意識を手放した。
生き残ってしまって申し訳ないなあと思う。
たまたま近くを通りかかった別の探索者が僕に気付き、彼らはわざわざ自分たちの探索を切り上げてまで僕を助けてくれたのだ。
僕が意識を取り戻した時、見知らぬオッサンが泣きながら抱きついてきたので、思わずなんだこいつと悪態をついてしまったのは申し訳ない限り。
彼は僕を助けてくれた探索隊のリーダーで、僕の意識が戻るまでずっとそばにいてくれたのだ。
それで僕は一人生き残ってしまい、ウィルヘルムさん達との一件は探索者ギルドに適当な嘘の報告をし、特にお咎めもなくそのまま探索者を続ける運びとなった。
「彼らは深層のバケモノにも果敢に立ち向かったのです。最初はウィルヘルムさん一人で、続けて残りの三人で。彼ら、彼女らは懸命に見習いの僕を逃そうとしてくれました」とかなんとか。
ぼろくそに悪く言うことも出来たけど、まあなんとなく美談にしておいた。それでウィルヘルムさんは死後英雄となったよ。酒場では彼を偲んですすり泣く声があちこちで聞かれ、僕としてはむずがゆくて仕方がなかった。僕にとってはあまりいい思い出のないウィルヘルムさんだけど、みんなにはそれなりに慕われていたらしい。変な感じだ。
その後のギルドの職員の皆さんは僕にとても同情的で、ウィルヘルムさんの代わりに次のB級探索者を紹介しようと提案してくれたが、僕はこれを断った。
それで僕は上位探索者を目指すことはすっぱりと諦めて、怪力を頼みにしたローディの職務に甘んじる事にした。
ギルドの皆さんは「その怪力と知性を生かす素晴らしい探索者になれるのに」などと残念がられたが、正直今となってはその誤解こそがそもそもの間違いだったのだと思う。
もともと僕は過剰に期待されて優秀な探索者を望まれたからこそ、ウィルヘルムさんの子弟をさせられ不幸な事件へと発展した。けれども果たして僕に、周囲の期待に応えるだけの能力が備わっていたのだろうか?
そんなふうに考え直してみると、今まで見えなかったものが色々と見えてくる。
今にして思えばウィルヘルムさんは被害者だったのだ。
とかく探索者ギルドは優秀な探索者を求めすぎるきらいがある。迷宮利権は辺境に莫大な利益を生み落としてくれるから、ありとあらゆる方法を使って探索者をかき集めようとする。
そんな中、近隣の農村を回っては少しでも優れていると思しきものを青田買いしてくるのもよくない風潮の一つだと僕は思う。
それでヘンに勘違いした僕のような愚か者が粋がって迷宮探索などに乗り込んでくるから、現場で実務にあたるウィルヘルムさんのような人物が多大な迷惑をこうむる。
ギルドの職員の皆さんは多分分かっていないんだと思う。迷宮探索に必要なのは使い道のない怪力でも無駄な知恵でもなく、純粋に探索に特化した専門の技術体系なのだということを。
けれども迷宮はお貴族様天下りのギルド職員の皆さんが仕切ってしまうから、ヘンなミスマッチ・アンマッチがあちこちに発生して今回のような悲劇を生み出す。
そういう大人の事情がんじがらめの迷宮商売の隙間にハマって酷い目に合ったのが、僕やウィルヘルムさんだったのだ。
だから今となっては僕はウィルヘルムさんに同情的だ。彼は運がなかったのだと思う。僕のようなどうしようもない子供を子弟に抱えなければいけなかった時点で、彼の命運は尽きていたのだ。
けれども僕は彼を殺したことには後悔はない。
だって彼は、僕にとっては加害者なのだ。
あの時彼は確かに僕を殺そうとして、だから僕も彼を殺すしか他になかったのだ。だから僕は彼に対して悪い事をしたとは思っていない。
良くも悪くも迷宮とはそういうところなのだと思う。
一攫千金を夢見る探索者が死に物狂いでアイテムをかき集め、その上前を撥ねる辺境伯様が大儲けをして、探索者ギルドは現場を知らないおバカな職員がいい加減なルールを押し付けてきて、田舎から出てきたおバカな少年少女が騙されていいように使われるのだ。
一人ひとりは実はそんなに悪い人たちじゃなくて、でもとびっきりのいい人ってわけでもなくて、それぞれ自分の立ち位置の中では善人として振舞いつつ、お互いに自分にとって都合の悪い事に対してはとても残忍になり、隙間にハマった可哀想な人たちが割を食って見殺しにされるのだ。
それで僕は迷宮界隈の汚い大人の裏事情を知ってしまったから、昔みたいに一生懸命頑張ることは出来なくなってしまった。
そんな僕は今、別のパーティの荷物持ちとしてそれなりに楽しい毎日を送っている。
『怪力』しかいない役立たずのローディとして、適度にヘラヘラ媚びを売りつつも、それなりに可愛がってもらって何とか日銭を稼がせてもらってる。
故郷のトット村では「一流の探索者になって凱旋してやる」なんて息巻いて飛び出したおバカな僕だから、こうなってしまった今となっては迷宮都市で生きるしか他にないのさ。
そんな僕のとっておき、『身代わり』のスキルについてはもちろん僕一人だけの特別な秘密だ。もともと探索者の技能については自己申告制でいちいち報告する義務はない。だからギルドの皆さんもこの能力については何も知らない。唯一秘密を知られていた『鉄鎖の誓い』の4人は揃ってみんな死んでしまった。
だから『身代わり』は、僕にとって最後の切り札なのだ。
こういう切り札は、探索者ならだれもが一つくらいは持っているものだ。
僕も最近になってようやっといっぱしになってきたのかなあって、誰も認めるものもない中これはさすがに自画自賛すぎるかな?
まあそんな感じ。
ともかく今の僕はすっかり評判を落とし、『怪力』しかない愚か者だと思われている。
昔は知恵も回ったけど、最近じゃあすっかり手を抜くことを覚えて、バカな奴だとギルドの職員さんにも思われている。
田舎の神童をかき集めて迷宮探索者に仕立てようと企画した職員さんは僕を見るたびブリブリ怒鳴り散らしてくるけど、僕は適当にヘラヘラ笑ってやり過ごしてる。
けれどもそれでいいのだと僕は思う。
今一緒に行動してるパーティは、最近僕の事を見下し始めている。
「あいつ使えねー」とかって裏で陰口叩いているの、僕は知っている。
いいよみんな。好きなだけバカにしたらいい。
でももし僕を迷宮の奥底で見殺しにしようとしたら、その時はみんな覚悟したらいいさ。
君達にはいつでも身代わりになってもらうからね。
2022/4/29 全般的に軽微な修正を施しました。
・主人公ボリスが田舎の少年にしてはちょっと頭が良すぎるかつ現代地球人っぽい思考回路である裏付けとして、昔仲良かった宣教師が異世界転生人でいろいろ知恵をつけてもらったという設定を追加しております。
・実験的に段落頭にスペースを空けてみました。段落一文字空けは読みやすいというのは承知しているんですけど、執筆中に文章をこねくり回している間は、頭に変なスペースがあるだけで却って作業が増えて煩わしくなるんですね。なので敢えてつけてこなかったんですけど「この作品はこれで完成!」とFixする際には最後の仕上げとしてスペースつけてもいいかなと思い至りまして。やっぱスペースあった方が読みやすいっちゃ読みやすいですねぇ。
なお、全体的な内容については大きな変更はございません。