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風を追いかける

①表彰式・プロローグ


 眩い光が私を照らした。

 東京、以前の私ならエントランスに入る事すら叶わなかった高級ホテルの上階で、有名な小説大賞の表彰式が行われていた。真っ赤なドレスに身を包んだ私はステージの上、舞台中央に立って来賓席を見下ろしている。

 軽妙な語り口で、大賞受賞者の柚野奈々(ゆずのなな)が描く物語の魅力を語っている司会者。

 ちらっと、その視線が私を捉えた。慣れない化粧が浮いているだろうか、それとも衣装?

 気が気ではなくて、だけど視線を泳がせるわけにもいかず、背筋を伸ばして正面を向く。


「それでは、大賞を受賞しました柚野先生にお話を伺いましょう」


 きた……

 両手でマイクを握りしめ、正面を向く。

 昨晩あれほど練習したのに、いざとなると頭が真っ白になって、声が出てこない。


「あ、えっと……この物語は、私のものではありません」


 いきなり、おかしな事を言ってしまった。

 呆気に取られる司会者、来賓席の先生方。

 取り繕おうと、なんとか口を開く。


「本来、この場所に立つべきは私ではなかった……この物語を語る前に、皆さんに聞いてほしい話があります」


 緊張でうまく言葉が出てこない。

 大丈夫だろうか、変な事を言っていないだろうか。大丈夫、私は小説家だから。

 自分の言葉でちゃんと、真実を。

 彼女の夢を、柚野奈々のファンの人たちに伝える。


「この物語は……」


 小説家として生きることを決意した私、月野絵奈つきのえなと、

 小説家として死ぬことを決意した彼女、七瀬柚子ななせゆずの、

 同じ夢を追いかける、青春物語。



②学校・春


 彼女との出会いは高校三年生になってすぐの春。

 学校の廊下、曲がり角でぶつかって私の荷物が床に散らばる……なんて、漫画にありそうなロマンチックなものだった。


「ご、ごめんなさい」


 肩先までのストレート黒髪、地味な眼鏡。文学少女とあだ名がついていそうな容姿の女子高生、七瀬柚子。三年になって同じクラスになった、私の同級生。

 七瀬柚子はぺこぺこ頭を下げながら、床に散らばった私の荷物を拾い集める。

 面倒くさいな、そう思ってふと、足元にスマホが落ちている事に気がついた。私のではない、七瀬のだろう。

 何を思ったか、私はそれを拾い上げ1を連打した。画面が切り替わり、表示されたとあるサイト。


「小説?」


 名前は聞いた事があった。小説を書いて何ちゃらっていう、素人が気軽に自作小説をネットに投稿できるサイト。

 指を滑らせて画面をスライド。

 そこには拙い文章の、小説らしきものがあった。


「七瀬さん、小説書いてるの?」

「え?」


 私の言葉に、七瀬柚子が振り返る。

 慌てて飛び上がり、私の手中にあるスマホを奪い返す。


「ど、どうして月野さんが……」

「んー? ぶつかった時に飛んできたから、拾って」

「拾ったからって勝手に……ロックは?」

「パスワード変えたら? 1が六つってさすがに簡単すぎじゃない?」

「い、今までは困った事なくて! ていうか、ぶつかってきたのは月野さんで、私がこうして荷物……」

「全部拾ってくれたの? ありがとっ!」


 七瀬柚子の脇を通り抜け、自分の荷物をまとめる。

 彼女は遠慮がちに、私の横顔を覗き込んだ。


「つ、月野さん……」

「なに?」

「み、見た? 私のし……私の」

「小説? あれやっぱり、七瀬さんが書いてたんだ」

「あっ! 違……いや、えっと」

「あのサイトなんだっけ? 小説を書いてネットに」


 私の唇に七瀬柚子の手のひらがぶつかった。

 驚いて目をぱちくりさせる私を、真っ赤な顔をした七瀬柚子が見上げる。


「だ、誰にも言わないで」


 七瀬柚子の手は震えていた。声も、すごく必死で。


「親にも言ってなくて、一人でこっこり投稿して……」


 その仕草が可愛くて、仲良くなれるかもなんて思った。

 だからかもしれない。


「じゃあ、私が最初の読者?」


 そんな言葉を投げかけていた。

 目を見開いた七瀬柚子の表情はやはり可愛くて、さらなる言葉を告げる。


「誰も知らないなら、私が最初の読者ってことじゃない?」


 七瀬柚子の手のひらが、私から離れる。指先を自分の唇に持っていき、「アクセスついてるから読んでくれてる人はいる、と思うけど……」などと呟く。

 しばらくして何かを決意したように、顔を上げて私の目を見つめた。


「読者になってくれる?」

「読者?」

「私の小説の、読者第一号になってくれませんか?」


 顔を真っ赤にして懇願する七瀬柚子が可愛らしくて、首を縦に振る以外の選択肢はなかった。

 それが私と柚子の出会い。

 柚野奈々という小説家の、プロローグのお話。



③公園・夏


 七瀬柚子と友達になって三ヶ月、夏休み前。彼女を『柚子』と下の名前で呼ぶようになった。そんなに交流があるわけではない、学校の外で偶に会うだけの関係。

 距離感がおかしいと時々言われるけれど、遠慮も会釈もない自分の性格は嫌いじゃない。

 塾の帰り。いつものように私たちは、高校のすぐ側にある公園に集まった。

 約束のベンチに行くと既に柚子が座っていて、膝の上にはクリアファイルに入ったA4サイズのプリント。


「お待たせ、柚子」

「遅いよ、本当に待った」

「塾のテスト悪くて居残りさせられちゃって」

「また? あと半年で受験だけど大丈夫なの?」

「まぁ、なるようになるんじゃない? それより、持ってきた?」


 私がベンチに座ると同時、柚子がクリアファイルから五枚の紙を出した。


「お願いします」


 ぴしっと背筋を伸ばし、私に小説を差し出す柚子。

 軽く笑いながら、それを受け取る。


「なにそれ、私は担当編集かなにか?」

「読者第一号です」

「そだね。ありがと」


 背もたれに身を預け、小説に目を落とす。

 小説を完成させるたび、柚子と私はこうして公園で会っていた。学校の廊下ですれ違い様に『できた』の声、『了解、塾の帰りに寄る』の返事は私。

 集合するのはこれで四回目、つまり四作品目。

 全て五千字もない短編小説だけど。


「よ、読んだ?」


 空気を読めない柚子が、読書中の私に話しかけてくる。

 タイミング早すぎでしょ。読むスピードが速いとは言われるけど、さすがにこれは早すぎ。


「ちょっと待って」

「て、ていうかネットで見てよね。どうして私が毎回印刷して……」


 ぶつぶつと、柚子が愚痴る。面倒くさいけど放っておくとうるさい、もっと面倒なので弁解する。


「前にも言ったけどうち、スマホの使用制限うるさいの。すぐ遠隔ロックかかる」

「き、厳しいんだね」

「高三にもなってね、勘弁して欲しいよね。まぁ、いいんだけどね、柚子の小説は紙で読みたいし」

「え? それってどういう」

 さすがにうるさくて、「読んでるから」と声をかけて話を中断した。

「ごめんなさいっ!」と縮こまった柚子だが、次の瞬間、「よ、読んだ?」

 再び声をかけてきた。

 だから、早すぎるって。面倒くさいので、今度は無視する。

 終盤まで読んで、最初のページに戻った。あ、伏線……伏線だったんだ、ここ。最初のほうに出てきた描写が、ラストに繋がった。

 すごい、面白い。


「読んだっ!」


 小説の紙を掲げて叫ぶ私の声に、柚子の体が跳ねた。


「面白かった、今日のやつ!」

「ほ、本当?」

「特に最後、王子様と王女様が同一人物だったって種明かし! 結末知れば確かにってなるんだけど全然気付かなくて、最初から読み返しちゃった」

「あ、だからページ戻ってたんだ……」

「でも、序盤はつまんないよね」

「……え?」


 視線を柚子から、小説に戻す。ページをめくって最初の部分、序盤の文章を指差しながら私はその小説の問題点を指摘した。

 端的にいうと、最初のほうだけでは何の話かわからず、キャラクターもぼんやりして印象に残らない。結果としてそれが全て伏線で、ラストの衝撃展開に繋がるけど。

 物語を最初から最後まで全て読まないと、魅力が伝わらない。


「でも、物語って、そういうものでしょ?」


 私の指摘に、柚子が反論を始めた。

 恐る恐るといった風、弱々しい声で。


「物語っていうのは、ラストまで含めて一つの作品なんだから」

「どーかなぁ? 面白くないと見ないんじゃない? ドラマだってそうじゃん?」

「ま、漫才とか……」

「漫才? あれば身振り手振りあるし、面白いオチがくるのわかってるでしょ。柚子の小説は悪い意味で先が見えないんだよね」

「……ないくせに」


 小さく呟いた柚子の声は、蝉の鳴き声に消された。

 聞き返したが柚子は答えず、作り笑顔を浮かべるだけだった。


「次の作品は月野さんのアドバイスに従ってみる」


 他人行儀な笑顔、呼び方。

 友達になって三ヶ月近く経つのに。

 だからちょっと、イジワルをしてやった。


「苗字じゃなくて名前で、絵奈って呼んでって言ってるでしょ? じゃないと明日学校で、柚子のこと柚野さんって呼ぶからね」

「柚野……えっ?」

「ペンネーム変えたんだね。ゆずゆずってダサかったから、いい選択だと思うよ」

「ど、どうして私のペンネーム……」

「タイトルのすぐ下に書いてるじゃん。今までゆずゆずだったのに、今日は柚野奈々になってる」

「しま、……しまったぁ」

「柚野は柚子の名前からでしょ? 奈々ってのは、柚子の苗字が七瀬だから?」


 印字されている柚野奈々の文字を指差しながら、ニヤニヤ笑みを浮かべる。

 イジワルな女の子だと思われたならそれでもいい。

 絵奈って呼んでくれない柚子が悪い。


「それもあるけど、月野さん繋がりでもある」

「ん? ……え?」

「私の『柚』と月野さんの『野』で、柚野。奈々は絵奈の『奈』をとって……柚野奈々は私と月野のさん、二人のペンネーム」


 柚子が何を言っているのか、すぐには理解出来なかった。

 しばらくして、その言葉の意味を理解して、カッと顔が熱くなった。


「なにそれ! どうして私?」


 恥ずかしさで声がうわずってしまった。

 同じように顔を真っ赤にした柚子が、上目づかいで私を見上げる。


「読者第一号だから……絵奈は」

「……ありがとっ!」


 わけがわからなくなって出てきたのは、お礼の言葉だった。柚子も混乱しているようで、「な、なんでお礼……」と動揺する仕草を見せた。

 取り繕うように、精一杯の笑みを浮かべて、元気な私のイメージを壊さないように明るい声を出す。


「ペンネームに私を入れてくれた事と、絵奈って呼んでくれた事!」


 柚子の顔が、ふっと綻んだ。

 心臓がバクバク鳴ってるけどこれ、間違いじゃないよね?

 柚子は喜んでる、私の言葉は間違いじゃなかったよね?


「また小説、読んでくれる?」


 柚子が言った。遠慮がちに、窺うように。

 答えなんて決まってる。

 だって私はいま、こんなに嬉しいっ!


「もちろん! 読者第一号だもん!」


 私の言葉に、柚子だけでなく私自身も、嬉しくて大笑いした。



④公園・秋


 補習とかで短くなった夏休みを超えて秋。紅葉色づく公園のベンチで、私と柚子は肩を並べて座っていた。

 目線は二人とも、柚子のスマホ画面。


「昨日なんと! ブックマークが一つつきました!」


 柚子のスマホ画面、小説の情報ページに『1』の数字。


「ブックマーク? え、ブクマ? ブクマってやつ?」

「左様でござる」


 ふふんっと鼻を鳴らす柚子。

 その顔が可愛くて、「時代劇くさっ!」と笑いつつ私はとても嬉しかった。


「もー、これだから小説家ってやつは。普通の言葉を普通に言わないんだから!」

「いや、まだ小説家ってわけじゃ……」

「それで、貴重なテスト週間明けの放課後に呼び出した理由は?」


 挑発するように言うと、頬を赤に染めた柚子が鞄の中から紙の束を取り出した。

 いつもの、柚子の短編小説が書かれたA4サイズの紙。


「絵奈に、新作を持ってきました」


 新作って、自分で言っちゃうとこが可愛い。

 読み始めると間髪入れず、柚子が話しかけてきた。


紅葉もみじが、赤くて綺麗だね」


 空気を読めない柚子の邪魔にも慣れた。

 私たちが友達になってもう、半年経つ。


「そういう時は紅葉こうようが美しいっていうんじゃない? 小説家なら」

「……私より絵奈のほうが、小説家に向いてるかもね」

「ゆーず!」

「ごめん、静かにしてます!」


 私の一声でピシィッと姿勢を正す姿が可愛い。でもやっぱり気になるみたいで、柚子はちらちら私に目線を向けてくる。

 気にしないフリなんて出来ないけど、意識半分は小説に向ける。

 あ、また……ここ、序盤で出てきた描写だ。


「よーんだ!」


 しばし沈黙の後の、私の大声。

 柚子の体がびくっと跳ねて、肩を私へ寄せる。


「ど、どうだった?」

「相変わらず序盤が悪いよね。でも最後のオチは最高! あ、でもこれ、ネット用に書いてるよね?」

「どういうこと?」

「柚子って小説家になりたいんだよね? てことは、これを本にしなきゃいけないんだよね? だったら大変じゃない?」

「大変って……」

「本で読むことを念頭に書き直さなきゃいけないでしょ? このままじゃダメじゃない?」

「ダメ……ダメじゃない!」


 柚子の声が公園に反響した。呆然とする私を睨みつけ、ベンチから立ち上がる。


「ダメなんかじゃない! 昨日ブクマだってついた! 誰かが私の小説を、面白いって……」


 涙目になって叫ぶ柚子の表情を見て気がついた。

 勘違いしてる、私がダメって言ったのは柚子の小説じゃなくて、本にしたら難しいって事で……

 違う、私が悪い。

 ダメって言葉を使うべきではなかった。


「違うの。ダメっていうのは小説じゃなくて」

「絵奈にはわからない! 素人のくせに! 小説のこと何も知らないくせに! 口出してこないでよ!」


 言い返す間も無く、柚子は走り去ってしまった。

 追いかけようと立ち上がったが、どう話をしていいかわからず再び、ベンチに腰を落とす。


「うそ……違うの」


 弁解しないと、違うよって。柚子には才能があるから、頑張ってほしいんだって。

 でも確かに、私が言うべきではなかった。

 素人の私が……


 家に帰ってお風呂に入って頭はすっきりしたけれど、かける言葉は見つからなくて。

 翌朝、校門の前で私の姿を認めた柚子は、わざとらしく視線をそらして逃げた。以降、あからさまに避けられるようになり、一週間も経つ頃には他人に戻っていた。

 もともとそんなに仲がよかったわけではない。会話していたのも学校の外、小説を読んでいたあの公園だけだ。

 作者と読者第一号、それだけの関係。



⑤学校・冬


 暦上での冬はあっという間に過ぎて、卒業式。

 廊下でばったり、柚子と会った。


「卒業おめでとう」


 しばらく見つめあった後、ようやく出た言葉。

 柚子は不機嫌に顔を背けながら、「そっちこそ」と返事をしてくれた。


「小説、書いてる?」


 柚子の眉毛がぴくっと動く。

 だけどそれ以上表情を変えないまま、顔を背けたまま柚子は話を続ける。


「受験勉強で、忙しかったから」

「嘘。試験直前にもアップしてたじゃん」


 チッと、舌打ちのような音が聞こえた。

 柚子の目線は変わらない、私は柚子から目をそらさない。


「ネットで見てるじゃない。どうして今まで、私が印刷して」

「ちょっとなら……ううん、ごめん、嘘ついてた。柚子の小説は本の形で読みたかったから。これからはスマホでも」

「これからなんてないよ、もう見ないで。私の知らないところでこっそり見てるなんて、ストーカーみたいで気持ち悪い」


 嫌な言葉が、胸に突き刺さった。動けないでいる間に、柚子が私の横を通り抜けた。

 おめでとう、卒業おめでとう、おめでとう。

 たくさんの言葉を背中に受けながら、私と柚子はサヨナラも言わずに別れた。

 それ以降、柚子とは会わなかった。

 忠告通りサイトを見る事もやめて一年半が過ぎ、


 私達は二十歳になった。



⑥二十歳の秋


 成人式の日、三年二組のみんなで同窓会するって!


 そんな浮かれたラインが届いたのは、大学二年生の夏休みが明けてすぐ。

 だから連絡よろしくねって、いろんな人から言われた。

 誰も柚子と連絡をとっていないらしい。


「私より仲良い子いたでしょ……いたっけ?」


 柚子は、誰と仲が良かったんだろう? 柚子と会うのはいつも公園で、学校ではほとんど会話しなかった。

 私、何も知らない……柚子ってどんな子だった?

 どんな高校生活を送っていたの?


 ちょうどその時だった。机の上に置いていたスマホが鳴って、勢いでボタンを押してしまった。

『絵奈? 久しぶり……』と、小さく柚子の声。


「久しぶり!」


 緊張しすぎて、テンションの高い明るい声になってしまった。

 慌てて、会話を繋げる。


「元気してた?」

『……絵奈は?』

「私は、まぁ」

『そっか、あの』

「そうだ、私も柚子に連絡しなくちゃいけなくて」

『……なに?』

「来年私たち、成人式でしょ? その時に」

『あのね、絵奈! 小説、の』

「え? なに?」

『私の小説、やっぱり……ダ、め……いや、えっと』

「小説? 柚子、まだ小説書いてるんだ?」

『……ううん。あ、話遮ってごめん、同窓会?』

「あ、うん。生徒会長だった子が企画してるみたいで……」


 違和感には気付いていた。震えていた柚子の声が急に明るくなって、無理をしている事はわかっていたのに。

 小説がダメ、と、柚子は言った。

 書くのやめたのか、じゃあそれ以上、話をするべきではない。違う話題を……そう思って会話が途切れないように喋りまくって。

 柚子はどうして電話してきたのかな? と気がついたのは、翌日の朝だった。

 小説書くのやめないで、柚子は才能あるよ!

 どうしてその言葉を、言ってあげれなかったんだろう。



⑦二十歳の冬


 年が明けてすぐ、柚子から電話があった。

 今から少し会えないか、と。

 私からの連絡は無視するくせになんなんだとは思ったけど、会いたい気持ちが先行していつもの公園へ向かった。

 遊具にはうっすら雪化粧。

 いつものベンチに、柚子が座っていた。


「久しぶり」


 声をかけると、鼻を真っ赤にした柚子の顔がふやっと綻んだ。

 思わず、息を飲む。予想していなかった。てっきり、暗い話だと……嫌な事だと思っていたのに。


「ごめんね、急に呼び出して」


 柚子が横にずれてスペースを空けてくれたので、隣に腰掛ける。

 息が白くなって、宙に飛んだ。


「柚子と会うの、二年近くぶり」

「卒業式以来だね、ごめんね」

「何に対して謝ってる?」

「私ね、小説家として生きる道、諦めたの」

「……うん」


 あぁ、やっぱり、暗い話か……いや、その話しでしょ、当たり前じゃん。

 私たちの関係はそこから始まった。


「高校の時、絵奈は私の小説を読んでくれた、嬉しい感想をくれたのに、怒ってごめん」

「それは……何も知らないのに、偉そうに口出してごめん」

「ううん、合ってるよ。絵奈の言葉があってたって、今になって気がついた」


 私もそう思う、という言葉は口にしなかった。テレビやゲームは禁止だった、娯楽といえば本を読む事ぐらいで……同年代の中では、読書量は多いと思う。

 そんな私だからわかる。

 柚子の小説は絶対、本にして売るべきだ。

 

「きっと私より、絵奈のほうが小説家に向いてるよ」


 なに?

 私のほうが?

 何言ってるの、柚子。どうしてそうなるの?


「そんなことない! 私は文章なんてレポートとか論文しか書いたことないし、柚子みたいな才能は」

「だったら書いてみてよ」

「え?」

「一行でも、一ページでもいい、()()()書いてみて。私より上手く書ける。絵奈は、小説家として生きていける……なーんちゃって、例えばの話!」

「…………え?」


 立ち上がった柚子が、悪戯な笑みを見せて振り返った。

 振り切ったような、吹っ切れたような、爽やかな笑顔。


「絵奈のほうが小説家に向いてるとか、例えばの話!」

「あ、そっか……」

「書いてみよう、とか思った?」

「いや……うん、書けるかも? とは、思った」


 嘘がつけなかった。

 私の言葉に、柚子が目を細める。


「私が小説をやめるって話は本当。苦しかった、ずっと。頑張って書いても誰にも褒めてもらえなくて、つまらなくて。そうしたら次は、作品を完成させる事が怖くなった。誰か読んでくれるかな、褒めてもらえるかなって。その期待が裏切られると、最後は書けなくなった。誰が読むだろう、誰も読まないよ。誰が必要としてくれるだろう、誰も必要としないよ。誰が期待してるかな、誰も期待してないって……相談できる人もいないし、逃げ道もわからなくて一人、苦しかった」

「柚子……」


 目元を拭って笑う柚子に手を伸ばそうとしたが、柚子が背を向けたので手を止めてしまった。

 大きく深呼吸した柚子が再び、私に振り返る。


「だから今日は、絵奈にお別れを言いにきたの」

「お別れ?」

「小説家としての私は今日で終わり。柚野奈々という小説家は今日、死ぬの。だから、お別れ」

「……柚子は、死なないよね?」


 私の質問には答えず、柚子はふふふっと笑う。

 全てを見通したような、軽やかな笑顔で。


「私はずっと、小説家になるために生きてきた。私は小説家の卵だ、将来は大物作家だって、自分に言い聞かせて。だけどそれが無理なら、こんなにつらい人生はない。お別れしたいの、小説家である私と」

「過去の自分と、訣別するってこと?」

「サヨナラをしてくれる? 絵奈」


 柚子が伸ばした手に、恐る恐る自分の手のひらを合わせた。

 怖かった。

 何が?

 その正体が何かはわからないけど怖くて、柚子の手はとても温かかった。


「温かいね、柚子の手」

「絵奈の手も」

「気持ちが伝わるね」

「それは、どうかな?」

「ねぇ、柚子。また会えるよね?」

「その答えは、絵奈の心の中に」

「なにそれ。もー、ほんと、小説家ってやつは」

「もう終わりだよ、絵奈。小説家の私は、今日でおしまい」

「そう、だったね……バイバイ、ゆ……柚子にバイバイするのは変かな? えっと、柚野せんせ」

「柚子でいいよ。バイバイ、絵奈」

「バイバイ、柚子」


 繋いだ手は、柚子のほうから離れた。

 そのままくるんっと、踵を返して歩き出す。


「え? 柚子、帰るの?」

「お別れしにきただけだから」


 振り向かない柚子の背中に、私は大きく手を振った。


「また……また連絡するね! またね、柚子!」

「……バイバイ、絵奈」


 見えていたのかは知らないけれど、同じように手を振り返してくれた柚子。

 それが、私が見た柚子の最後の姿、この世に存在している柚子と交わした最後の言葉だった。


 どこで会った?

 どんな話をした?

 どうやって別れた?


 たくさんの大人が私に詰め寄ったのは翌日の事。

 七瀬柚子の訃報とともに彼らは、私の元へやってきた。握手を交わした三時間後には、その温もりは消えていただろうと。

 成人式には行けないと、親に話していたらしい。

 ()()ないじゃなくて、()()ない、だって。

 日常生活にまでそんな、面白い言い換えしないでよ。


「全くもう、小説家ってやつは……」


 茶化してみてももう、返事をくれる人はこの世にいなかった。



⑧二十歳の春


 その日、夢を見た。

 いつもの公園で、私と柚子は小説を読んでいる。

 だけど今回は普段と違う、長編の大作だ。やはりラストのどんでん返しがすごい、序盤の伏線も素晴らしい。


 やっぱり才能あるよ、柚子。


 そう言いたいのになぜか、声が出なかった。

 面白い、最高だと思うのに言葉に出来なくて、柚子の表情はどんどん曇っていった。


「いいよ、絵奈。小説家としての私はもう、死んだから」


 その言葉を聞いてはっと、目が覚めた。

 薄暗い部屋の中、枕元に落ちている桜の花びらを指で摘む。

 あぁ、そうか……柚子が死んでもう、三ヶ月も経った。

 重い身体を無理に起こし、パソコンを置いたデスクの前に座る。


「長編小説……」


 卒業してから、私が柚子のサイトを見なくなってから二年。文庫本一冊くらい、書く時間はあったはずだ。

 パソコンを起動し、柚子の小説サイトを開いた。

 小説一覧をクリックしようとした時ふと、右上にある【ログイン】ボタンが目についた。

 いやいや、人のサイトを勝手に……パスワードだって……私達の出会いって、私が柚子のスマホのロックを解除して、勝手に中身見た事だった。


「1が、六つ」


 ごめんね、柚子。

 私は人のプライバシーを勝手にのぞき見ちゃう悪い子なの。わかってると思うけど……わかってて、私と友達になってくれたよね……ありがとう。

 ピコンとエラー音が鳴った。

 そりゃそうか、メールアドレスだって高校の時使ってたのだし、いくら柚子でもそんな単純な。


「高校の時使ってた、ペンネーム?」


 手が止まらなかった。

 パスワードにyuzuyuzu、1を六つ打ち込む。


「えっ、入れた!」


 大声で叫んでしまった。だってまさか、ログインできるなんて思わなくて……バカじゃん、柚子。

 パスワードはわかりにくいようにしろってあれほど言ったのに。


「ほんと、人の話聞かないんだから」


 ため息を吐いて、サイトの管理画面に目を向ける。

 その時、一通のメールが来ている事に気がついた。


【書籍化の打診】


 開いてみると、タイトルそのままの内容だった。

 柚野奈々が投稿している作品を本にしませんか、と。


「……うそ」


 言葉に詰まった。

 息が止まった。

 だって柚子は、小説がダメだからって諦めて、誰にも認められないから小説家をやめるって。

 人生すらも捨てて……


「私、この小説知らない」


 メールに記載されていた作品は、私の読んだことのないものだった。

 小説一覧に戻ると、柚子の小説は二つしかなかった。

 短編を詰め合わせた連載小説と、三十万字超えの長編小説。どちらも、未完結のまま四ヶ月以上放置されている。

 評価や感想などは一つもなく、ブックマークだけ片手で数える事のできる数。


「……ははっ、すごい」


 第一章を読み終えたとき、自然と声が漏れた。

 柚子の小説だ、柚野奈々が書いた物語だ。

 序盤つまらない描写から始まるけどそれがラストのどんでん返し、衝撃展開に繋がる。最後まで読まないとわからない、柚子にしか書けない才能溢れる小説。

 だけどそれは第三章、中途半端なところで終わる。中ボス戦の前に雑草を拾いに行って……みたいな意味のない、打ち切りにしても酷い終わり方。

 いや、終わらせる気はなかったのだろう。

 その証拠にまだ、【完結済】にはなっていない。


「ダメだよ、柚子。終わらせちゃダメだった……柚子は、小説家になるべきだった。柚野奈々の才能を、世間に公表すべきだった」


 答えは決まっていた。

 涙を堪えた私はすぐに、メール画面に戻ってキーボードを叩いた。



⑨表彰式


 拙い私の回顧談を、会場の人たちは静かに聞いてくれた。

 時折頷きながら、同意するかのように。


「なるほど。それで、ご友人の代理として連絡したのですね」


 お疲れ様でした、というような口調で、司会者が私に言う。

 頷き、自分の手にあるマイクを口元に近づけた。


「はい。それで、無事出版していただけて、口コミで広がって」

「ミリオンセラーになったのですね」

「仰るとおりです。だからこれは、この物語の作者は私ではありません。作家としての生命を絶った友人の代理として私は今、この場所に立っています」


 涙が堪えきれなくて、下を向いた。

 マイクを下げて、声が入らないようにして。


「だから、私がこの場所に立つ資格なんてない」


 涙を落とす代わりに呟いたけど気持ちは晴れなくて、唇を噛んだ。

 溢れる涙がこぼれそうになった時、


「今さらそれ言う?」


 柚子の、声が聞こえた。


「……っ」


 顔を上げると客席の向こう、出入り口のドアの前に柚子が立っていた。

 高校の制服、あの頃と変わらない柚子の姿が。

 他の人には見えていないようで、誰も柚子の事を気にしていない。というより私と柚子以外の時が止まっているようで、司会者はマイクを掲げたまま静止していた。

 柚子が、小さく微笑む。


「私の作品で私の代わりに表彰式に出て、私の代わりにおめでとうって言ってもらえて。書いたのは私なのに」

「わか……わかってる」

「けど、アレンジしたのは絵奈だよね?」

「アレンジ?」

「大変だったでしょ、本の形に直すの。誤字脱字多かったよね、ごめんね」

「日本語も、単語の意味も間違ってるところ多くて、大変だった」

「あとラスト、親子の再会シーン、あれを追加して書いたのも絵奈だよね?」

「あれは担当の人が、感動的な場面があったほうがいいって」

「その意見を踏まえて考えた、新しい場面を生み出したのは絵奈だよ」

「私はただ、柚子の物語に色をつけただけで」

「それも才能。普通の人にはできない、絵奈が持ってる特別な才能。いいよ、言っちゃえ言っちゃえ! 私、小説家になりますって」

「なに……」

「ここで宣言していいよ。私がこの物語の続きを書きます、この作品を超える素晴らしい小説を書きます。だから皆さん、応援してくださいって」

「そ、んなこと言えない! だってこの物語を書いたのは柚子だよ、柚子の才能があったから」

「夏の夜、公園のベンチで、私の小説読んでくれたの嬉しかった」


 ふわっと、その時の情景が浮かんだ。

 頭の中にじゃなくて目の前に、天井に星空が浮かび上がったのだ。

 満天の空を見上げながら、柚子が話を続ける。


「だけど序盤の拙さを指摘されて、腹立ったなぁ。喧嘩別れしたのは、秋だったね」


 次に世界は赤く染まった。

 紅葉が色づいた、秋の公園。


紅葉こうようの下で、ブクマ一つで一緒に喜んでくれた。ネット向けの文章だから、書籍化したら大変だって教えてくれた絵奈の言葉を私は、わかっていなかった」

「……大変だったよ、たくさん直した」

「すごいよ、絵奈は。才能ってこういう事だって、今ならわかる。絵奈は、小説家として生きていける」

「そんな事ない。私なんて、柚子に比べたら」

「ねぇ、絵奈、私はもう死んでるんだよ?」

「知ってる……」


 わかってる、そんな事。

 あの時、冬のあの日、私が引き止めていれば……才能あるよ、やめちゃダメって伝えていれば。


「だからこれは、今の私は絵奈の才能」

「……才能?」

「私はもう死んでる。だから今の私は絵奈の妄想、絵奈が作り出した世界」

「なに、言って……だって、こんなにリアルに」

「すごいよね、絵奈は。こんなにリアルなキャラクターを、リアルな動きで作り出してる。司会者さんとか来賓の先生方とか、他の人に直接お見せ出来ないのが残念!」

「……ふ、ふふっ」

「面白いでしょ? すごいでしょ? こんなリアルな世界を、妄想を絵奈は物語として作り出してるの。小説家になっていいよ、絵奈」


 柚子が両手を広げた。

 それは満天の星空を受け止めるように、落ち葉となる紅葉を掴むかのように、世界に向かって羽を広げるように。


「宣言しちゃいなよ、今ここで。小説を書くので読んでくださいって。いい機会だよ、みんな見てる。ここで宣伝するのが一番効果的」


 柚子の笑顔に、同じ表情を返す事が出来なかった。

 だって私は違うから。

 このステージは本来、柚子のものだから。


「柚野奈々のペンネームには、私と絵奈の二人が入ってるの」


 柚子が言った、高校の時に言っていた。

 私と月野さん、二人のペンネーム……柚野奈々は、二人だよって。


「受け継いで、絵奈。小説家として生きる事をやめた私の代わりに、小説家として生きて」

「……これは私の妄想?」

「都合いいよね、ほんと! 私にこんな事言わせるなんて!」

「ふふっ」

「でも、柚子ならそう言ってくれるって思ってるんでしょ? いつも私を見てくれて、小説家としての私を一番知ってるのは絵奈だった。だからキャラクターとしての私が生まれた、リアルな言葉を絵奈に伝えられる。いいよ、絵奈、あなたには才能がある。今、追い風が吹いてる。だから生きて、夢を追いかけて」


 ぱっと、世界が明るくなった。

 元に戻ったのだ。

 柚子の姿は消えていた。

 司会者が私を見て、首を傾げる。


「はい、えっと……で、では柚野先生、ありがとうございま」

「死なないで」


 小さく呟いたのに、マイクが私の声を拾ってしまった。

 好都合だ、ここまで来たら覚悟を決めるしかない。

 涙はもう、落ちない。

 顔を上げて、ステージの上から私を、柚野奈々に注目している人々を見返した。


「私の友人は、一人で小説を書いて、誰にも認めてもらえず、一人で死んでいきました」


 声が震えている事に気がついて、下唇を噛む。

 大丈夫、頑張れ。って、柚子の声が聞こえた。

 もちろん妄想だけど。

 そんなリアルなキャラクターを作り出せる私はきっと、小説家としての才能がある。


「だけど彼女には才能があった。たくさんの人が無視した彼女の作品がこうして脚光を浴びて、有名な先生方から賞賛を得て賞まで頂けた。彼女は言いました、私が悪いと。面白いものを書けない私が悪い、面白かったとしてもそれを認めさせる事ができなかった自分が悪いと。だけど現状をみて、今ならはっきり言えます。彼女は悪くない」


 言葉が溢れる。

 伝えたい事が一つにまとまらない。

 喉を震わせる事をやめて、考えた。

 私は何を言っているのだろう、何が言いたいのだろう。

 誰に伝えたい?

 この物語を通して、誰を救いたい?


 決まってる。


 私はあの時の柚子と、柚野奈々という小説家を救いたい。


「もし今、彼女と同じように苦しんでいる人がいたら、才能がない何もできない役に立たないと悩んでいる人がいるのなら、私は言いたい、あなたは悪くない。つらいなら、もがいても這い上がれなくて苦しいなら、世間が悪いと思えばいい。あなたを認めない世間が悪い、あなたは絶対に悪くない! だから死なないで……あなたの才能を殺さないで、夢を諦めないで」


 ずっと言いたかった。

 やめないでって。

 諦めないでって。


 才能なんて見えないものに悩まされないで。

 十人が駄作と言っても、違う価値観を持った千人が傑作と褒め称えるかもしれない。

 やめないで、諦めないで、死なないで。


 報われない努力もあるけどきっと、それは無駄にならない。

 いつか先の人生で、生き抜いた先の未来できっと、何かの役に立つ。

 頑張れば頑張った分だけ、例えばそれが望んだ道ではなかったとしてもきっと、


 幸せな結末は待っている。


 だから生きて……と、


 あの時の柚子に、今の私自身に。


 言葉に気持ちを乗せて、彼女達に伝えたい。



「風を、追いかけてください」



 客席にざわっと、衝撃の風が吹いた。

 もちろん本当の風ではないし、誰も声なんか発していないけれど。

 私に注目が集まるこの瞬間、柚野奈々として私は、高らかに宣言する。


「だから私は、小説家になります!」


 司会者が「へ?」と間抜けな声を出した。

 失笑を堪えて、マイクを握りしめる。


「友人の代わりに私が小説家になってこの物語の続編と、新しい作品を作ります。それはきっと大作になる。今作を超えた秀作になります! だから皆さん、今後も、柚野奈々という小説家をよろしくお願いします!」


 深く頭を下げると、どこからか拍手が起こった。

 最初に手を叩いてくれたのは柚子かもしれない。そんな妄想を抱いて、顔を上げる。

 たくさんの視線、賞賛の拍手。

 ふと横を向くと、柚子が私に手のひらを差し出していた。

 まるで王子様と王女様だ。

 マイクを司会者の胸に押しつけ、柚子の手を取った。

 握った手の感触がリアルで、温かくて、私は柚子と一緒にステージを飛び降りた。



⑩公園


 表彰式の映像が公開されている、と親に聞いて見てみたけれど、酷いものだった。

 突然の熱弁、マイクを司会者に押しつけて逃走する大賞受賞者。

【異色の新人小説家・柚野奈々】という見出しは、誉めているのか馬鹿にしているのかよくわからない。


「ねぇ柚子、どう思う?」


 私の問いに、柚子はふふふっと笑うだけだった。

 公園のベンチで、スマートフォンから流れる動画を柚子に見せる。


「それにこれ、私、太くない? テレビは太って見えるって言うよね? 本物はもっと細いよね?」


 やはり柚子は楽しそうに、ケラケラ笑った。


「ダイエットしようかなぁ、ちょっと」

「大丈夫よ、絵奈はそのままで可愛い」

「誉めてる?」

「どっちだと思う?」

「何その意味深な返事。これだから、小説家ってやつは」

「そういえば私、絵奈に聞きたい事があったの」

「なに?」

「風を追いかけてくださいってどういう意味?」


 私の妄想から生まれた柚子に悪戯な笑みを見せると、彼女は頬を膨らませた。


「なに、その意味深な笑い方」

「柚子、私の職業は?」

「小説家?」

「正解。私、小説家だからね」

「え? なに?」

「小説家ってやつはね、普通の言葉を普通に言わないの。柚子の台詞にちょっと、アレンジ加えた」

「私の台詞? なんてやつ?」

「柚子には秘密!」


 立ち上がって、逃げるように走り出した。

 柚子が慌てて、私の後を追う。


「ちょっと、待ってよ絵奈! 教えてよ!」


 必死になって私を追いかける柚子が可愛くて、足を速めた。


「追いついたら教えてあげる!」


 走り回って公園の出入り口で振り返ると、背後に柚子の姿はなかった。


「……インプット完了。さて、帰って書こうかな」


 柚子はもういない。

 わかってる。

 全部私の妄想だけど、それでも、柚子は私の中で生きている。

 私が作り出した物語の、私の人生という作品の中に、小説のキャラクターとして柚子は出てくる。

 きっと一生、私が小説家として生きている限り。


 死なないよ、柚子。

 私は死なない。

 最後まで書いて、書けなくなったら他の人の作品を見て、評論家みたいな事やったり。


 何とかなるよ、何かあるよ、何とかする。


 私はずっとそうして夢を、風を追いかける。





      – 終 –



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― 新着の感想 ―
幕ごとのドラマと目的が明確で、理解を深めつつ読み進める事ができました。 絵奈と柚子の関係が春・出会い、夏・関係の深まり、秋・すれ違い、冬・別れと季節と内容がリンクしている構成が効果的で、より深く物語が…
ヤバい。これを演劇でやったら相当に映えそう…
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