15話 戦いが変化しました(1)
ノイリア王であるキリは、塊を脇に抱えたまま敵陣の砦を見上げた。
ようやく訪れた機会に、笑い声が漏れそうになる。
だが、姿を消す外套を被っているとはいえ、音までは完全に押さえられる訳でもない。
砦近くにいる敵兵に感づかれないよう音を殺しながら、キリはゆっくりと歩みを進める。
何故、王である自分がこうしてネズミのようにコソコソしなければならないのかという不満は無い訳ではない。
だが、それも自身の手で決着を付けるためだと思えば、不満よりも歓喜が勝った。
キリは将であるカルを見送った後、ストエキオッドに言われた通りこの“荷物”を手にしたまま敵陣へと移動した。
外套は姿を消すための物だが、少しだけ気配を薄める効果もある。
一対一で戦っている時ならばともかく、こうして敵も味方も入り乱れている状況では手練れの戦士でもすぐには気がつけないはずだ。
砦にいる者達への対策も用意してあるし、邪魔者が介入しないようストエキオッドが妨害する手筈にもなっている。
すでに勝利を確信したキリは、声を出さずに笑みを深めた。
***
砦の外では何が起こっているか露知らず。
この国の言葉の勉強も兼ねて、俺は翻訳石を使わずオルンさんの話を聞いていた。
「自分と妻は元々城下町から近い村の出身で、幼い頃から一緒に過ごしていました。昔の自分にとっては『よく遊んでくれる、ひとつ年上の近所のおねえさん』でしたね」
その内容は、アリアさんとオルンさんの馴れそめ話である。
正確に内容を把握出来てる自信はないけど、オルンさんがゆっくり話してくれてるから 大体の内容は理解出来た。
「小さい頃から妻は今と同じく快活な子供で……いや、"今と同じ"というより"今以上に"明るくやんちゃでしたね」
ふむふむ、と俺が頷けばオルンさんは話を進める。
「自分は真逆の性質で、妻の後ろを歩いてはよく泣いていました」
自分と妻が10にも満たない歳の頃、みぃみぃと仔猫の小さな声が上から聞こえて来ました。
どうやら、木から降りられなくなったようです。
それを見た妻はすぐに木に登りだしました。
当時の妻にとって木登りなんて当たり前のことだったからです。
妻はすいすいと木を登って行きましたが、自分は怖くて何も出来ず、半分泣きになりながら上を見上げていました。
それと同時に、きっとこの人ならば大丈夫だろうと、どこかで楽観的に思っていました。
妻は「ほら、怖くないよ」と、笑みを浮かべながら手を伸ばしましたが、驚いた猫は枝から飛び出します。
今になって思えばよくある話なんですが、木から落ちたはずの仔猫は無傷でした。
ここで話が終われば猫が無事で良かったね……で済んだのですが、ふと見れば驚いた拍子に妻は服を枝に引っかけてしまったようでした。
軽く引っ張った程度では取れないほどに絡まり、妻のいる位置からでは外すのは難しそうでした。
妻は残念そうに「……破くしかないかなあ」とぽつりと呟きました。
強く引っ張れば外れそうですが、それでは服が破けてしまうでしょう。
そう考えた瞬間「ぼくが外すから待って!」と自分は叫んでいました。
突然の言葉に自分でも驚きましたが、訂正するつもりもありませんでした。
だって、大好きなおねえさんがその服がお気に入りだと言って、嬉しそうに笑っていたのを知ってたから。
妻は「大丈夫!? 無理しなくていいよ!」と心配してくれましたが、自分は構わず木を登りました。
下を見たら落ちてしまうと思って、ただ上だけを見て。
あんなに高く見えた木だったのに、すぐに妻のいる場所のすぐ近くまでたどり着きました。
本当は枝から手を離すのはとても怖かったのですが、自分は「すぐに外すね」とだけ声を掛けて妻の服へ手を伸ばしました。
妻は「本当に本当に無理しなくていいからね」と心配そうにしていて、それが自分にとってはとても心強かった事をよく覚えています。
少し時間は掛かりましたが、服は破かずに枝から外せました。
「ありがとう!」
自分がほっと胸をなで下ろしていると、妻は涙を目に溜めたまま笑みを零しました。
それまで、お気に入りの服を来ている時の表情が一番好きでしたが、この時の笑顔が自分の中で一番大切な物に変わりました。
「……と、ここまでは良かったんですが、気が抜けて木から下りる時に失敗して、尻餅をついてしまいましたよ」
ハハハ、と自嘲するようにオルンさんは笑う。
「この頃から弱いままじゃいけないと思い、頑張って鍛えました。木登りくらい出来なくちゃ、また好きな人を危険に晒しますからね」
それはつまり、『惚れた女のために強くなりました』ってやつか。
格好いいな。
「その後……しばらくして、妻の両親が事故で亡くなりました」
「え」
平和な話かと思ったら急に不穏になったぞ。
「前よりも強くはなりましたが、あの時泣きじゃくる妻を支える事が出来たのか、今でも疑問です。肉体的な部分はもちろん精神的にも強くならなければいけないと強く思い直し、鍛えて鍛えて……今は兵としてここにいます」
「そうだったんですか……」
つまり、今ここで俺の護衛してくれてるのも、アリアさんが好きだったからってことか。
「オルンさんとアリアさんが幼なじみにならなかったら、今ここで俺を護衛してる人も変わってたかもしれない、ってことですよね」
何か面白いな、と思って何となく言っただけだったが、少し意外な答えが返ってきた。
「それだけではなく、妻は両親を早くに亡くし自分と自分の母以外には家族がいない、という事も重要ですよ」
「え、そうなんです?」
オルンさんのお母さん……っていつも料理作ってくれてるクララさんだよな。
しれっとオルンさんの父親もいないような事も言ってるし、この三人は他に家族がいないってことか。
「以前、あなたに毒を盛ったサクファは、妹を人質にとられました」
「……そうですね」
「ならば後任は、人質にとられるような家族がいない者、あるいは身内全員が目が届く範囲にいる者――つまり、城に勤めている者にしよう、という事になりました」
ああ、なるほど。つまり。
「家族三人が全員城勤めだから、アリアさんが俺の世話係、クララさんが俺の料理係、オルンさんが護衛になったんですか」
「そういうことになります」
そうだったのか、と関心していると、ふとひとつ気になった。
「もしかして、オルンさんは防衛部隊なのに魔法部隊のアムルとずっと一緒に居たのも何か関係あります?」
「その通りです! どうしても城での警備の仕事などだと人目を盗む事が出来ますからね。少しでも大隊長の近くにいる時間が多くなれば、敵に接触される機会は少なくなるだろう、という判断で自分がお供する事が多くなっています」
まさか、オルンさんとアリアさんの馴れそめ話からこんな結論になるとは思わなかったな。
なるほどなあ、とまた関心していると、また気になる事が増えた。
「……もしかして、俺がいる間は子供を作るなとか言われてます?」
子供なんか生まれたら人質にされそうだし、そういう事言われてそうな気もする。
もしもそうだとしたら申し訳ないな。
この戦いが終わったら大丈夫だろうか。
そのくらいの感覚で聞いたんだけど、オルンさんは険しい顔つきになった。
「自分の妻の前で『子供は生まないのか』とか、そういった話はしたことがありますか?」
「え。いや、ないですけど」
聞かなかったのはたまたまで、大した理由はなかったんだけど、この反応はもしかして……。
「……今まで、子供が出来なかったんです」
やっぱり聞いちゃいけない事だったみたいだ。
「妻は表に出す事は滅多にありませんが、子供が出来ない事を気に病んでいるようで……。この戦いが終わっても、絶対に妻には子供の話はしないでくださいね」
アリアさんが気にしてる、って言い方だけど、オルンさんも辛そうだ。
「無神経に聞いたりしてすみません。帰っても絶対に言いません」
俺もいつもお世話になってるアリアさんを悲しませたくはないし。
納得してくれたのか、オルンさんは少しだけほっとしたみたいだった。
「それならば良かったです。話は変わりますが、問題なく会話も出来ていますね。我が国に来てからまださほど時間も経っていないのに、素晴らしいです」
「いやまあ、ゆっくりしゃべってもらったからですけど」
学生時代は英語とか苦手じゃなかったし、この国の言葉の発音とか文法も思ったよりは難しくなかった。
さすがに早口だと聞き取れないけど、会話もある程度は出来そうだ。
普段やる事もほとんどなくて勉強して甲斐があったな。
良かった良かった、と俺が頷いてると、今まで黙って話を聞いていた護衛の一人のお姉さんがふと顔を上げた。
魔法部隊の人で、名前は確かシオネさん。
「……みなさん、お話をしてる時間はないかもしれません」
シオネさんが険しい顔で入り口を見ると、他の人達にも緊張が走った。




