閑話 アリアさんの手料理
これは俺がこの国に来て二週間程度――つまり、毒を盛られてから四日後くらいの話だ。
「遅くなって申し訳ありません! お食事をお持ちしました」
少し慌てた様子で、メイドのアリアさんが食事が乗ったトレーを持って現れた。
アリアさんがここへ来るようになったのは毒を盛られた後だから、まだアリアさんに世話をしてもらってから日は浅い。
サクファのように全然会話しないってほどでもなかったが、それほど馴染みがあるってわけでもなかった。
「あ。ありがとうございます」
愛らしいメイドさんに食事を持ってきてもらってちょっぴりドギマギしつつ、俺はテーブルの傍まで移動した。
本とか少しずつ運んでもらっているとはいえ、この頃はまだそれほど娯楽とかも揃っていない。
ただ暇をつぶすだけなら窓(っぽい映像)をただぼーっと眺めてればいいが、"楽しみ"と呼べるものと言えば食事くらいだった。
(げっ。シチュー……)
その数少ない楽しみの食事をのぞき込んでみれば、そこにはシチューが鎮座ましましている。
シチューのことは「好きでも嫌いでもない、どちらかというと好き」くらいにしか元々思っていなかった。
だが四日前にシチューに毒を盛られ死にかけた身としては、あまり見たい食べ物ではない。
見てるだけで、あの不快な苦みが口に広がっていくような気がする。
「どうかなさいましたか?」
シチューを見て固まった俺に、アリアさんが不思議そうに声をかける。
もしかしたら、アリアさんは俺が毒を盛られた料理が何か知らないのかもしれない。
「い、いや。なんでもないです」
ただの虚勢ではあるが、何でもないようなフリをして精いっぱいそう返した。
俺としても、シチューを「嫌な思い出の食べ物」として終わらせたいわけではない。
「どちらかというと好き」な物を嫌うのはもったいない。
何とか口の中に蘇った苦みを記憶の外に追い出して、母さんに作ってもらったおいしいシチューの記憶を呼び戻す。
(うん、大丈夫大丈夫)
もう二度と母さんに料理を作ってもらうこともないんだよな……とも考えれば寂しくもなるが、毒を盛られた文字通り苦い記憶よりはずっとマシだ。
幸せな食事を思い出して、ほっこりした気分にすらなる。
(でも、毒が入ってないかの確認はしないとな)
目の前に用意された食事を睨みつけながら、昨日貰ったばかりの毒見石をとりだす。
まだ使い慣れてるとは言い難いが、シチューだけは念入りに確認する。
たっぷり時間をかけて確認している俺を、アリアさんは微笑みながら待ってくれた。
「……で、では。いただきます……」
「はい、どうぞお召し上がりください」
ニコニコしているアリアさんには申し訳ないが、俺はおそるおそるシチューにスプーンを伸ばす。
今日のメニューにはシチュー以外もあるけど、今の俺にはシチューしか目に入っていなかった。
苦手なものは最後に残しておくよりさっさと片付けてしまいたいし、後にしたらもう食べる気力すらなくなりそうだからな。
(うん、見た目は普通だ)
具だくさんでミルクを使った、少なくとも見た目はおいしそうなクリームシチューだ。
スプーンに乗ったそれを見ていると、昔なら絶対に食欲をそそられたと思う。
今は食欲ではなく恐怖心から、ごくりと唾を飲み込みたくなった。
(ええい、ままよ!!)
眺めているだけでは、いつまでもシチューは減らない。
せめてまだ温もりが残っているうちに食べようと、スプーンをパクリと口に含んだ。
「ん……んんん?」
毒を盛られた時の味とは違う。
違う、が…………。
(……まっず!!)
味だけなら、毒シチューよりもひどい。
毒シチューは、普通のシチューに薬みたいな変な苦みが混ざっている感じの味だった。
だが、今回は全てがおかしい。
普通のシチューに何かが入っている、というよりシチュー自体がおかしい。
甘いような気もするし、苦いような気もするし……それ以上に、なんだこれ。辛い? 口の中に刺激物を放り込まれたような感じだ。
その全てがガツンと主張し混ざりあい、今までに食べたことのない不思議な不味さを醸し出している。
え、さっき毒見石で確認したけど、全然反応なかっただろ。
まさか、不具合?
また毒もられたのか!?
「み、みみみみず、みみず、水……!!」
いや、水で流し込むより、今すぐ吐いた方がいいのか?
どうすればいいのか軽くパニックになりつつも、片手で口元を抑えもう一方の手で水の入ったカップへと伸ばす。
「みみず……? あ、水ですね! どうぞ」
突然の俺の変化にアリアさんは気が付いていないのか、ニコニコと水を差し出してくれた。
俺はひったくるようにして受け取った水を、反射的にごくごくと飲み干した。
「……ぷはっ!」
シチュー本体が口の中から消えて少しは口の中の不快感がマシになったが、後味がいつまでも残り続け、口の中がまだおかしいような気がする。
激辛カレーを食べた時に、少し水を飲んだからってあんまり効果がないのと似ている。
しかも、刺激物であるシチューが入ったせいで、今度は胃にも不快感が広がっていく。
いや不快感なんてもんじゃない。
いっそこれを吐き出した方がラクになるだろう、と思えるような、胃がビックリしてひっくり返りそうな状況だ。
意識を失いそう……なんて症状は今のところ出ていないが、いっそ気絶出来た方がこの苦しみから解放されてラクになるかもしれない。
そんなことを思いはじめたところで、部屋の外から声が聞こえた。
「アリア! もしかして、ここにいるのかい!?」
「あら、お義母さん。はーい、いま開けます」
……おかあさん?
誰か知らないけど、この状況から俺を助けてくれるなら、どうにかしてほしい。
「お義母さん、どうしたんですか? 確か今日は忙しいって……」
「どうもこうも、料理を持っていってもらおうと思ったら、お前の姿がなかったから……ああ!? やっぱりお前、自分で作ったね!?」
出入り口付近で二人が会話を始めたかと思ったら、俺の目の前にある料理に気づいて"お義母さん"と呼ばれた人が近づいてきた。
アリアさんのと似たようなメイド服を着ているけど、見た目の印象は"いかにもなおばちゃん"って感じだ。
背の低くて恰幅のよすぎる、"お母さん"というより"お袋さん"なんて呼び方が似合いそうな豪快な人だ。
「大丈夫かい? とりあえず、これをお飲み」
悶絶している俺にそう言うと、おばちゃんは手に持っていたトレーを机に置き、そのトレーに乗っていた牛乳をカップに注ぎだした。
(あれ、料理?)
既に食事はアリアさんに持ってきてもらっているが、そのおばちゃんもいつも食べているのと似たような料理を持ってきてくれていた。
何でもう一食届いたのか疑問に思ったが、とりあえず受け取った牛乳を一気に飲み干す。
この牛乳は毒見石で確認するのを忘れたが四の五の言ってる場合じゃない。
「……ふぅ」
まだ胃の不快感はあるが、とりあえずは落ち着いた。
"ものすごく不味かった"ということ以外には、とりあえず体調不良もなさそうだ。
……多分。
「落ち着いたかい? こっちの料理なら大丈夫だから、とりあえずこれを食べてな」
そう言いながら、おばちゃんは自分が持ってきた方のトレーを俺の前に移動させた。
「はあ……どうも」
何が起こってるのかよくわからなくて俺はそっけない返事しか出来なかったが、内心では「ありがとう……おばあ……お母さん」と呟いていた。
俺の母さんとは全然タイプが違うが、何故か"みんなのおかん"的な安心感がある。
「あたしはあの子と話があるからさ。ここでちょっと待ってておくれ」
そう言って、下手くそなウインクをしたあと、おばちゃんはアリアさんを連れて部屋の隅に移動した。
そのままコソコソと話をして……いるつもりなんだろうけど、おばちゃんは結構声が大きいから何を言っているかは大体聞こえた。
「いいかい、アリア。あんたが気を利かせてあたしの代わりに料理を作ってくれたのはわかってる。けどね、『ちゃんと作るから遅れるってことだけ伝えておいてくれ』って言ったろ?」
「はい。ただ、私が作った方が、早くお届け出来るかと思ったので」
どういう状況かよくわからないけど、どうやら、本来このおばちゃんが俺の食事を作る予定だったけど、代わりにアリアさんが料理を作ってくれたってことみたいだな。
……つまり、あの激マズ料理をこの愛らしいメイドさんが生成したのか。
「あのね。お前はあたしの息子の嫁として、本当に良い子だと思ってる。もう一人の子供と思って、大事にしてる。でもね、料理だけは他所様に出したらだめだよ」
「ですが、マモル様をお待たせするわけにも……」
「いいから。どんな状況でも料理だけは止めなさい。お前の味付けは壊滅的でいつか人を殺しかねないから」
…………おばちゃん、"もう一人の子供と思って"る相手にすごい言い方だな。
でも、まあ、なんだ。
もし、この料理が本当に毒は入ってなくて、単に料理が下手なだけだとしたら"いつか人を殺しかねない"って表現も理解出来る。
「実は毒がはいってましたー」とか言われた方が、ある意味納得だ。
遠い目をしながらも、とりあえず新しい食事の方も毒見石を近づけてみる。
うん、大丈夫そうだ。
安全を確認してから、おそるおそる口へと運ぶ。
(旨い……。いつもの味だ)
この国に来てから毎日食べている、いわゆるお袋の味的な既に慣れ親しんだ味だ。
じ~んと身体に染み渡り、ほろりと涙がこぼれそうにすらなる。
俺が料理に感動していると、話が終わったのか、おばちゃんとしょんぼりしたアリアさんが俺の方へ戻ってきた。
「悪かったね。この子の料理、ひどかったろ?」
「あ、いえ、それは……トテモ個性的デシタネ」
さすがに本人を前にして「激マズでした!」とは言えないが、お世辞でも「おいしかったです!」と言うことは俺の口が拒否したため、曖昧に答えておいた。ちょっとカタコトになったけど。
「ところで、気になってたんですが、あなたはどなたです……?」
「ああ、自己紹介が遅れてたね。あたしは、クララ。いつもあんたの飯を作ってる奴で、このアリアの旦那の母親……姑って奴さ」
俺が尋ねると、クララさんはそう言って「あっはっは」と豪快に笑った。
何がおかしかったのかはよくわからないが、悪い人ではなさそうだ。
そして、もう一つ気になっていたこともおそるおそる聞いてみた。
「ええと、それで、その……参考にしたいんですけど、このシチューって何が入ってたんです?」
聞いてから「参考って何にだよ。毒物精製か?」と自分に言いたくなったが、それはぐっと飲み込んだ。
そんな俺の様子には気づかなかったのか、アリアさんはぱっと顔を輝かせた。
自分の料理について聞かれて嬉しいのかもしれない。
「まずはですね、ジャガイモとニンジンと、あとはタマネギを入れて……」
ここまでは普通だな。
というか、それだけならあんな味にはならなそうな気がするけど。
ちなみに、この大陸には俺が生まれ育った世界と同じような植物もなくはないが完全に同じってわけでもない。
翻訳石は持ってるだけで言葉を翻訳してくれるありがたいシロモノだが、こういった食べ物や植物の場合、似たようなのがあれは似たような物に変換してくれるみたいだ。
今アリアさんが言ってる"ジャガイモ"も正確には"ジャガイモっぽい芋系の野菜"って考えた方が正確だろう。
「あとは、隠し味にハチミツとトウガラシ、ピーマン、シシトウ、オクラを種まで全ていれて……」
……なんて? シチューにトウガラシ?
「それに、アガバラデの実をすりつぶした物と、ルミスの葉と、ネゴリムのジャムを……」
ついによくわからない食材が出て来た。
一応、俺も料理はするからメジャーな食材ならわかる。
でもこの辺りはさっぱり聞いたことないぞ。
多分、きっと、翻訳すら出来ないこの大陸独特のものか超マイナーなハーブあたりだろう。
いや、それ以前にツッコミどころが多すぎる。
「……なんか、メインの野菜より、"隠し味"の方が多くありません……?」
「はい、普通じゃつまらないかな、と思いまして、苦みも辛みも甘味もコクも全て感じられるように工夫しました!」
違う、それは工夫じゃない。
魔改造だ。
「あと、オクラとかトウガラシとか、緑とか赤の物が入ってるみたいですけど、パっと見入ってるようには見えないんですが……」
実際、見た感じは白い普通のクリームシチューだ。
ジャガイモ・ニンジン・タマネギ以外の野菜は見当たらない。
「はい! それはもう『料理は見た目も重要だ!』っていうのは知っているので、普通に見えるように頑張りました!!」
アリアさんは輝くような笑顔で、とんでもないことを言ってのけてくださる。
ペースト状になったドロドロの何か……すら見当たらない、一見すると普通の料理に見えるって、それはある意味すごい技術だと思う。
思うが……何故そんな方向に本気を出すのやら。
「ええと、念のため聞いておきますが、味見しました?」
「もちろん何度も確認しましたよ! もうちょっと辛みがあった方がいいかなあ、とは思ったんですが、マモル様が辛いのが苦手だったらいけないな、と思って控え目にしておきました!」
あれで、控え目なんです……?
これあれあれだな。味音痴なんだろうな。
いろんな物をぶちこんでも見た目だけは普通に見えるようにする、なんて技術力はあっても、根本的に味音痴だからどうしようもならないんだろうな。
アリアさんの話を聞けば聞くほど、俺は頭を抱えたくなった。
クララさんも同意見なのか、「こりゃダメだ……」って顔をしている。
でもやっぱり、アリアさんはニコニコ笑顔だ。
「……とりあえず、俺の好みはアリアさんとは合わなそうなので、出来ればクララさんの料理をこれからも食べたいなーと思うんですが」
気持ちよく語ってるアリアさんを悲しませたりしないか心配だったから、言葉を選びつつ、それでもはっきりと俺は言った。
「そうですね……好みは仕方ないですものね。出来れば、私の料理も食べて欲しかったんですが……」
アリアさんはしょんぼりと名残惜しそうにしている。
「ほら、人柱様自身があたしの方が良いって言ってるんだ。諦めな」
なんか、この言い方も誤解を招きそうで気になる。
だがとりあえず、クララさんの言葉がダメ押しになったのか、アリアさんは納得してくれた。
「わかりました。いざという時以外は作りません」
いざという時は作るんですね。
ちょっと脱力したが、まあとりあえず平穏は勝ち取れただろう。
クララさんと目が合って、お互い「やれやれ……」みたいな顔をしたところで、この話題は終わった。
そして、シチューだけは俺の大嫌いな食べ物になった。




