8話 妹ちゃん奪還作戦開始しました(アムルが) (2)
「ヒロネ、無事か!?」
指定された宿の指定された部屋に着くのと同時に、サクファは叫んだ。
「お静かに。我々はこの宿を貸し切っているわけではないのですよ」
「も、申し訳ありません……」
サクファは反射的に答えながら、声がした方を見た。
そこにいたのは、サクファにとって初めて見る男だ。
全身真っ黒な服を着ていて、背が高く細長い印象の男だ。
一見すると武闘派には見えないその男が何者なのか、全く気にならなかったと言えば嘘になる。
だが、サクファにとってはそれ以上に妹のことが重要だった。
すぐに男からは視線を外し、室内を見渡す。
さほど広くはない部屋の中で、目的の人物はすぐに見つかった。
「ほら、すぐに済ませるんだな」
「っお、にいちゃん……!!」
「ヒロネ!!」
サクファにとって何度か見たことのある茶髪の男は、隣にいた女の口から猿轡を外すと軽く背を押した。
女は手を縛られたままではあるが、細い脚でよろけるようにサクファの方へと向かう。
その妹を、サクファは抱き留めた。
「また痩せたんじゃないか? ちゃんと飯は喰ってるのか?」
「う、うん……。お兄ちゃんこそ大丈夫?」
兄を心配させまいとヒロネは気丈に笑ってみせたが、それは弱弱しいものだった。
ヒロネは元々、年相応の20代らしい中肉中背の平均的な体格だった。
だが、ノイリア王国の手に落ちてからというもの、会う度にやせ細っていく。
自身よりもよほど辛いはずだ、とサクファにはわかっているのだが、それでも妹は誰よりも兄を気遣っていた。
二人は元々、スミア村よりもノイリアの国境に近く、スミア村より大きな村に住んでいた。
だが、二人がまだ幼かった時分に両親は死んだ。
それ以来、兄は妹を守ることを決意し、妹は兄を支えることを決意した。
少しでもいい仕事に就けるよう、兄は働きながらも毎日勉強をした。
妹は兄が勉強に没頭出来るよう、出来ることはなんでもした。
そして、二人が成人する頃。兄は兵士として城へ所属することが決まった。
これで安定した収入が得られ、妹にラクをさせてやることが出来る。
今まで苦労をかけたが、これからは妹がやりたいことをやらせてやれるかもしれない。
兄はそう思うのと同時に、ひとり妹を村に残しておくことを不安に思った。
「心配しないで、お兄ちゃん。お仕事頑張ってね」
妹はそう笑顔で言って、兄を送り出した。
それからは、妹へ仕送りをするのと同時に頻繁に手紙を送った。
病気はしていないか、食事をきちんとしているか尋ねると「お兄ちゃんこそ大丈夫なの?」と同様の返事が来た。
必死に仕事をしていれば村へ帰ることもほとんど出来なかったが、その手紙だけでも十分だった。
そんなある日。
ノイリア王国との戦争が始まった。
こちらの国からしてみれば寝耳に水だ。
友好国だと思っていた隣国に突然攻め入られ、この国は少なくない被害が出た。
元々、国力に差はほとんどないはずだった。
面積や人口という意味でも経済力という意味でも、もちろん軍事力という意味でもだ。
だが、ノイリア王国はエアツェーリング王国の予想よりもずっと強かった。
不意打ちだったから。準備をしていなかったから。迎撃が遅れたから。
それらも原因のひとつだろう。
しかし、それ以上に重要だったのは、相手国が"人柱"を手に入れたからだ。
そのことにこの国の人々が気が付くまで、少なくない数の軍人が命を落とし、いくつかの村も敵の手に落ちた。
その内のひとつが、兄妹の故郷だった。
村が落とされたという一報が入った際、妹や村人がどうなったのか何もわからなかった。
逃げ延びた人も命を失った人もいる、とだけは聞いたのだが、"誰がどうなったのか"は軍ですら完全には把握出来ていなかった。
それからしばらくして、避難した人々の確認が終わった時、その中に妹がいなかったことを知った。
この時点で、妹は恐らく殺されたのだろう、と判断された。
妹を助けるため兵になり必死に頑張ったのに、妹が死んだ時そばにいてやることが出来なかった。
これならば、村を出るのではなく残った方がよかったのではないか。
いや、そもそも本当に妹は死んだのか。
死体は残っていなかったはずだ。これは何かの間違いではないのか。
そんなことを考え続けていたある日、ノイリア王国側から接触があった。
妹は生きている。
生きて、ノイリア王国の手の中にある。
そう言われて、兄は藁にも縋る思いだった。
もしかしたら嘘かもしれない。だが、少しでも可能性があるのならば……と、兄はその敵国の使者の言う通りにした。
「おに、ちゃん……」
数日後、ボロボロと泣き以前より痩せた妹と対面することが出来た。
対面はほんの少しの時間だったが、妹が生きている、ということは何よりも重要だった。
それからは、妹を守ることを最優先させた。
「このことは誰にも知らせるな」とう指示通り、誰にも相談せず一人で敵国の使者と何度も会った。
知りうる限りの情報は敵国に流した。
そうとは気が付かなかった上官は、堅実に働いていた兄を信頼していた。
少しずつ、地方出身の一兵士としては重要な仕事も任せるられるようになった。
その結果、この国が迎えた"人柱"の身の回りの世話をすることになり、その食事に毒を盛ることになった。
異世界から来た何も知らない客人を殺すことに何も思わなかったわけではない。
だが、その何よりも妹が重要だっただけだ。
国にとって重要な人物に毒を盛り、恐らく自分は牢に入れられ、最後には殺されるだろう。
そうわかってはいたが、それだけが妹を守る唯一の手段だった。
だが、事は予想外の方向へ進んだ。
一度は捕縛されたが、妹を救出することを国が優先してくれたのだ。
殺される前に、妹の現状を話せば誰かが助けてくれるかもしれない――そう考え、兄は正直に話した。
とはいえ、そのまま見捨てられるか、適当な嘘を吐いていると判断されるかもしれない、と考えていたのも事実だ。
しかし、お人好しの女王様は、一人の国民を救出することを選んだ。
これならば、もっと早く上官に相談していれば妹を助け出せたかもしれない。
結果的に人質として捕まっている期間が長引いてしまい、自身の判断のせいで妹をより辛い目に遭わせてしまったかもしれない。
いや、そもそも村を出なければ妹を人質に捕られることもなかったかもしれない。
(今度こそ、ヒロネを守るんだ)
そう誓ったサクファは、懐に手を伸ばした。
茶髪の男からも黒い男からも、それが見えなくなるよう二人の身体の陰に隠しながら取り出す。
「絶対に、兄ちゃんがお前を助けてやるからな」
「お兄ちゃん……?」
以前に会った時とは、少しばかり様子の違う兄にヒロネは戸惑ったように声をかけた。
それと同時に、サクファは懐に入れておいた呪符をとりだす。
全身黒い男は、その行動に「おや」と首を傾げただけであったが、茶髪の男は目つきも鋭く怪しい行動をとるサクファへと接近しようとした。
だが、それよりも先に空間に穴があいた。




