1話 異世界に拉致されました (5)
あーもうどうでもいいや。
それが、その時の俺の感想だ。
突然、見知らぬ場所に拉致られて、さらに見たこともないデッカイ猪に追われ、更に中二病とホモの疑惑がある奴が、俺の手を握って何か言ったら、猪は急に倒れた。
そういや、さっきここが異世界だとか言い張ってたな。
なんかもう、俺のキャパシティを越した。
異世界だと本気で信じた訳じゃないけど、何かとんでもないことが起きてるのだけは間違いなさそうだ。
本当の俺は今も眠ってて、ただ夢を見てるだけってならいいけどな。
「怪我はないか」
「えーえーおかげさんで」
目の前にいる男――ここに俺を連れてきた張本人であり、猪を倒した(?)やつは、一応は俺のことを心配するように見やった。
……念のため聞いておくか。
「さっきのは、何なんだ?」
「ん? 魔法のことか?」
魔法って言いきられちゃったよ。
正直信じたくはないし、手品だと思いたい。
「ちなみに、さっきのは上位浄化魔法だ」
「あ、はい。そっすか」
「上位浄化魔法て表記してもいいな」
何だ表記って。
でも確かに上位浄化魔法感は何となく増したな。
何故だ。
ん? いやその前に。
「浄化魔法? 敵を殺す魔法じゃなくて?」
「ああ、アイツも死んではいないぞ」
「えっ」
その男はそんな呑気なことを言いながら、猪を指した。
おいおい、生きてるならまた襲ってくるかもしれないだろ。
立ち話なんてしてないで、さっさと逃げるべきじゃないのか?
俺が警戒していると、黒くて硬い毛に埋もれたつぶらすぎる猪の目が開いた。
そして何度か瞬きしたあと、ゆっくりと立ち上がる。
眼の色は赤だった。なんて感心してる場合じゃない。
「おい、逃げた方が……」
「ぶひっ」
「うわっ」
猪は鼻を鳴らしただけだったが、つい俺は情けない声を上げてしまった。
目の前の男の方は、警戒はしているみたいだけど逃げるそぶりは見せない。
「…………」
「ど、どうしたんだ」
「……大丈夫そうだぞ」
戸惑う俺とは対照的に、男も猪も大人しい。
どうしようかと思っていると、猪は「ふごっ」と鼻をまた鳴らして俺に近づいてきた。
内心めちゃくちゃビビってるんだが、安心しろとばかりに、男は俺の肩に手を置いて頷いている。
そして猪はきゅうきゅうと鼻を鳴らしながら、俺の手にじゃれついてきた。
じゃれつく、という表現で大丈夫だと思う。
濡れた鼻を押し付けながらも、襲ってくる気配はない。
……ちょっと可愛く見えてきたかも。
巨大じゃなければ。
「猪って、こんな人に懐く生き物だっけ?」
「全く懐かないわけじゃないぞ。ただまあ、こいつはただの動物というよりモンスターに近い種類だからな」
「は? モンスター」
「ああ。かなり賢いし、教えれば人間の言葉も理解するぞ」
喋る方は無理だがな、とか言って笑ってるが、なんかそれ以前の単語が混ざっていたような。
コイツがモンスターかどうか、じゃなくて「そもそもモンスターが存在するの?」と聞きたくて仕方がない。
でももう今更か。
ここが異世界(仮)って前提で話を進めるしかないのか。
俺は心の中で盛大にため息を吐きながら、とりあえず確認してみた。
「で、そのモンスターが何で浄化魔法で倒せる……じゃなくて、懐かせられるんだ?」
「いや、懐かせたわけじゃないぞ」
ソイツはそう言うと何かを考え始めた。
雰囲気としては、どこから説明しようか迷ってる、といったところだ。
その間も猪は俺にじゃれつつ、大人しく待っている。かわいい。
「一応確認しておくが、お前の世界では『魔法』って概念はないのか?」
「概念……と言われるとアレだけど……まあ、おとぎ話とかゲームの中だけの話だな」
「つまり、実際に魔法を使えたりはしない訳だな」
「まあそうなる」
そりゃそうだろ。
と言いたいけど、ここは異世界(仮)だから仕方ない。と思うしか仕方ない。
「魔法っていうは、主に魔力を練って変化させ、様々な効果を生み出すものだ」
「様々な効果?」
「簡単なものでは、火を出したりとか。他にもあるが……オレが存在を知ってる魔法だけでも、全て説明していったら、まる1日あっても足りないだろうな」
そんなことを言いながらソイツは笑った。
お前がそれでもよければ、ひとつずつ説明してもいいんだが、とも。
「まあ、とりあえず『色々出来る』ってだけ理解してくれればいい」
「うん」
そこまでは普通……というか、俺が知ってる魔法と一緒だな。
ゲームとかマンガの中でのお話だけど。
「で、今回この猪は……何らかの原因で、悪いものに汚染されたわけだな」
「悪いもの?」
「そうだな……よくある例として、戦場で死んだ兵士の負の念、とか」
あー『状態異常:呪い』とか『状態異常:混乱』とかそんな感じか?
なんとなくわかったような、わからないような。
「それを浄化魔法……上位浄化魔法で取り除いたわけだな」
何故言い直した。
なんてツッコミはとりあえず置いておいて……。
元戦場あたりで呪われて混乱した猪モンスターが暴れたけど、呪いを"浄化"したから正気に戻った、とそんなところか。
「じゃあ、何で今は俺に懐いてるんだ?」
何か真面目な話をしているらしいと悟ったのか、猪モンスターは話してる途中で手にじゃれつくのは止めていた。
そんな猪の目を見てみたら、不思議そうに顔を傾げた。
本当にかわいいな。
猪ってこんなかわいい生き物だっけ。
「それは、お前のおかげで正気に戻れたってわかっているからだと思うぞ?」
「は?」
俺は何にもしてないぞ。
強いて言うならコイツと手をつないだことか。
……まさか手をつないだから?
「本来、この魔法はとてもじゃないが、あんな簡単に起動できる魔法じゃないんだ。何しろ『上位』魔法だからな」
「それで? それなら今回は何で簡単に起動したんだ?」
俺が聞くと、ソイツはまた、イタズラを考えた子供のような笑みを浮かべた。
「お前の魔力を借りたからだよ」