3話 人柱はじめました (3)
「んあ……?いま何時だ?」
俺は間の抜けた声を上げた。
寝起きだから、間の抜けてるのは仕方がないし、そもそもこの部屋には他に誰もいない。誰も見ていない。
だから何も問題はない。
この部屋には窓がなくて明るさは自分で調節しないといけないから、今が昼か夜かもわからないってのが実際のところだ。
ちなみに、食事の時間になれば俺が寝てても、普段は持ってきて放置されている。
だが、今は近くに食事は置かれていない。
(てことは、大して時間経ってなかったか)
せいぜい長くとも4時間くらいといったところか。
頭を掻きながら、ベッドから起き上がった。ついでに身体も伸ばす。
まだちょっと寝ぼけている気がする。
「あーそういや、映像つけてあったっけ」
暇つぶしとしてアムルが仕掛けた、アムルが見ているものを映しているものだ。
今も宙に浮いて、何かを映している。
寝ぼけ眼でぼんやりと見ていたため、最初はその映像が今何を映しているのかわかっていなかった。
しかし、内容を理解した途端、頭は急に覚めた。
(え?)
映像の中心……つまり、アムルの目の前には逃げ惑う人々が映し出されている。
人数は正確にはわからないが、十人は超えていた。
その人達が他人を押しのけるように前へと進み、アムルはそれを手伝うように遅れている人の手を取る。
何かに追われているのか、後ろを気にしている人もいた。
音は聞こえないが、何かただならぬ様子なのは間違いない。
遠くには煙も上がっている。それも一か所じゃない。
その場所では、悲鳴や怒号などが響いているのだろうと、簡単に想像できる。
この部屋の呑気な様子とは正反対だ。
「おいおい、大丈夫なのかよ……」
このファンタジー世界で多くの人が逃げるようなことと言えば……村がゴブリンとかのモンスターに襲われている、とかか?
そう考えて見れば、"元はのどかだった村が、何者かに襲われている"ようにも見える。
とはいえ、ファンタジー物語で言えば、闘う相手は主にモンスターとか魔王とかで、あくまで倒されるものだ。
多少の被害は出ても、致命的なことになることはほとんどない。
だからだろうか。
俺は気を抜いていたのかもしれない。
「ん……?」
逃げる人々を背に庇うようにして、アムルが振り返った。
その先には人間がいる。
盗賊などの犯罪者……という雰囲気ではなかった。
アムルやこの国の人間とは違うデザインの鎧を着ていて、ついでに汚れている。
見た目の印象は、兵士だ。
ただし、この国の奴じゃない。
もしかして、この状況は……他国の兵士が、アムルや村の人々を襲っている……?
(いや、他国の兵士とも限らないのか)
どちらなのかはわからないが、軍属っぽいやつが、人々を襲っている。これは間違いなさそうだ。
何だか怖い目をして、こちらを――アムルを睨みつけている。
そのアムルは、そいつに剣を向けていた。
前に見たことがある飾りがゴテゴテしたやつじゃない。
澄んだ銀色の、切れ味が鋭そうな剣だ。
「よし、やっちまえ、アムル!」
俺が叫ぶのとほぼ同時くらいのタイミングで、剣が光を放ちだした。
多分、魔法を使ったんだろう。音は聞こえないから、呪文を唱えたのかはわからないけど。
強化魔法ってやつかな。火属性とかを付与したり、単純に攻撃力を上げたりとかか? バフるのは基本だもんな。
そんなゲーム基準の予想を立てていると、焦ったように敵が突っ込んできた。
アムルも一気に距離を詰める。
勝負は、一瞬で決まった。
「……え?」
敵の首が落ちる。
ごとり、と聞こえないはずの音が聞こえた。
同時に血が辺りに飛び散る。
その時、何故か母さんの穏やかな表情が頭をよぎった。
母さんの手の冷たさも。
「殺した……?」
敵が襲ってきて、アムルがそれを迎え撃った。
これだけ聞けば、普通のことだ。
ゲームの中でなら、俺も人間を倒したことは何度もある。
そもそも「やっちまえ」とか、自分で言ったばかりだ。
だが、俺にとって"相手を倒す"というのは"相手を殺す"という意味ではなかった、と今になって気が付いた。
ゲームやお話の中とは違う。
今、人間がひとり殺された。
人はいつか死ぬ。
……それはわかっているけど、そう簡単に受け入れられるものでもない。
母さんが死んだ時の、あの気持ちは一生忘れられないと思う。
今でも、ふとした瞬間に俺の手に残った母さんの冷たさがよみがえる。
俺はきっと"人の死"ってものが、すごく嫌いなんだ。
あんな風に、呆気なく人の命が潰えるところなんか見たくもない。
それでも、老衰や病気だったら、仕方がないと割り切れたかもしれない。
だが、誰かが誰かを殺す、というのはそう簡単には受け入れられなかった。
物語の中なら特に疑問に思うような場面ではない。
相手を殺さなければ、あの村人たちが殺されていたかもしれない。
それでも、これが現実の、他人の目を通して見ている光景だとは思えなかった。
いや"他人"という表現は違和感がある。
この光景を見ているのは、俺の知り合いだ。
そして、殺したのも俺の知り合いだ。
俺の知り合いが、人を殺した。
「悪人だろうと殺すのは悪いことだ!」……なんて、今まで全く思っていなかった。
「場合によっては仕方ないよね」の方が、俺の認識に近い。
グロテスクな画像だって、大して苦手じゃななかったと思う。
心構えが最初から出来ていれば、これほど衝撃を受けなかったかもしれない。
だがやはり……こうして目の前で人が殺される光景を見るのは、決して気分が良くない。
いやむしろ、ここで喜ぶようなやつはどうかと思う。
せめて、これが他の誰かの視界ならよかったのに。
あいつが魔法失敗した、とか。
俺がそんなことを考え混乱している内に、その視線の持ち主は殺した男のことなど見ていなかった。
逃げる村人のもとへ戻り、護衛するように周りを警戒する。
きっと、この視界の持ち主は、殺したやつの血で今も汚れている。
他にも襲ってくるやつがいれば、また殺してさらに血に汚れることになる。
「…………」
俺は、傍に置いてあった石を手に取った。
すぐに映像は消える。
今更になって、心臓がばくばくしてきた。
これは現実に起こったことなんだろうか。
夢だとしたら、どこから夢なんだ。
さっき目が覚めたところからか、今日の朝からか、この部屋で人柱を始めてからか、異世界に拉致られたところからか。
試しに手の甲をつねってみる。
痛い気はする。でも夢かどうか判断までは出来ない。
いや、全て現実だと心のどこかで訴える俺がいる。
俺はただひたすらに混乱していると、後ろで突然コツコツと音がした。
「……食事、お持ちしましたけど」
振り返ったら、いつもの世話係の人がいた。
いつも無言で食事を置いていくくせに、今回は声をかけてくる。
俺が驚いて勢いよく振り返ったことに驚いたのか、俺の顔を不思議そうに見ていた。
ちくしょう、そんなに顔見るなよ。
ビビって悪かったな。
「うん、ありがとう」
「……では」
またすぐに引っ込んでいった。
早いな。
ちなみに、そいつが部屋を出ていく時、足音以外の音はしなかった。
あの引き戸、静か過ぎるんだよなー……音がしない。
まあ、いいか。
無愛想な世話係のことも音がしない引き戸のこともどうでもいい。
……人殺し行為についても、忘れよう。
ひとまず食事に向き直る。
今回のメニューは、バケットにスクランブルエッグとコンソメスープに焼いた肉だ。
ちなみに、何の肉かは正直わからない。
多分、牛でも豚でも鶏でもない。
昨日までの俺なら、結構喜んだメニューだ。
でも何となく食事する気にならない。
一応、水瓶から水を汲んでから料理に向かった。
スープはあるとは言え、飲み物はないからな。
「……いただきます」
変なことをぐるぐると考えないためにも、他のことをした方がいい。
食事くらいは楽しむべきだ。
だが、口に運んだ料理は、朝よりも味気なく冷たく感じた。




