難易度の低さには訳がある。
破滅フラグをたたき折らない公爵令嬢と、逆ハーを目指すわけでもない男爵令嬢のなんちゃって異世界転生ものコメディです。
作中の歴史に関する話はふわっとお読みください。主人公たちもちゃんと理解しているわけではなく、中途半端な知識を当てはめて現状理解に努めているだけです。
「なんだこれ、古代中国と江戸時代と近代…いやぎり中世ヨーロッパの混合?」
ある日、滑って転んで頭を打った拍子に前世の記憶とやらを思い出した公爵令嬢は、自身を取り巻く環境を把握し終えた後、そう呟いた。公爵令嬢十四歳のうららかな春の日の事であった。
前世の記憶での彼女はこれと言って特出すべき点のないごくごく普通の一般人であった。多少、人よりもアニメや小説、漫画、ゲームと言ったものに傾倒する時間と金額は多かったが、何か一つにのめり込むわけでもなかった。ゆえに彼女は彼女の持っている知識でもって己の立場が異世界転生と言われるものであることを把握すると、すかさず今自分自身がいる世界の情報を求めた。
別段彼女は無双したかったわけでも内政で辣腕をふるいたかったわけでも勘違いの末に祀り上げられたいわけでもなかった。第三者の立場なら楽しめただろうが、自分がその立場になりたいわけではない。彼女は前世の己がそうだったように、ごくごく普通の一般的な平穏と幸せを望み、そのために情報を求めたのだ。できれば前世の己は独り身だったので、結婚の一つや二つしてみたいなぁ。等と、鏡に映る己の顔を見ながらささやかな望みを持った程度だった。
実際鏡に映る己は金に輝く髪とエメラルドの様な瞳。黙って佇んでいると人形めいた硬質の美貌を持った儚げな少女であり、「女が悪魔にねだるのが、若さと美貌だっていうのわかるわぁ」と、彼女は鏡で自身の姿に悦に入りつつ、これなら嫁の貰い手にも困るまいと、そう思った。
ところが実際のところ、彼女の身分は公爵令嬢。しかも国の有力貴族の一つに数えられるほどの権力を持ち、嫁の貰い手に困らないどころか、国一番の権力者たる王家の第一王子の婚約者に内定していたのだった。
己の想定していた平凡な幸せから全力で遠ざかる立場と、把握できたこの国の社会制度を知るに従い、彼女は真顔になって前述の言葉を呟いたのだった。
そしてそれから三年間。彼女は前世の記憶と、現在の彼女自身の記憶や感情と折り合いをつけ、公爵令嬢として、そして王位継承権第一の王子の婚約者として恥ずかしくない立ち振る舞いを心掛けてきた。
そう彼女は別段王子の婚約者を辞退することもなく、国の制度を変える野望を持つことなく、ごくごく普通に流された。実際問題として公爵令嬢としての日々勉強やら稽古やらで他の事が出来なかったというのもある。貴族は生まれた時から貴族なのではなく、貴族に成るのだ。と、教育の重要性を身をもって知った彼女である。
さて、彼女のいる国では、王家を頂点としながらもゆるやかな封建制度を取っている。彼女の家はその中でも有力な公爵家であり、それ故に彼女が第一王位継承者の王子の婚約者になるのはごくごく当たり前の事だった。
第一王子もまた王家の一員としてふさわしいだけの度量と才覚を持ち合わせており、公爵家の後見もあり、その治世は安泰だと言われている。お互い燃え上がるような恋愛感情を持っているわけではないが、穏やかな交流を重ねていた。
そして公爵令嬢が前世を思い出して三年後。貴族の子息女が通う王立学園に通うことになった公爵令嬢。その彼女の元に、婚約者である第一王子が見慣れない少女を伴って現れた。
「彼女を私の妃にしたい」
「まぁレオンハート殿下、私にそんな…」
晴れやかな笑みを浮かべる第一王子ことレオンハート殿下の言葉に、公爵令嬢は「わかりました」と頷いた。学園に入学して半年だ。お互いに今までとは格段に交流関係が広がった中、来るべき時が来たのだと。記憶が戻ってからの三年間の間に覚悟したことが現実になったことにそっとため息をついた。
すでに少女と王子との交流は公爵令嬢の耳にも入っている。世の中にはいろいろと世話焼きの人がいるものだ。そして彼女が貴族としてあまりほめられた振る舞いではない行動もまた、公爵令嬢の耳にも入っているのだ。
そして改めて頬を薔薇色に染めて目を輝かせている黒髪の少女はとても愛らしい顔立ちをしている。深い緑の瞳には王子への思慕に満ちており、それを見つめ返す王子の瞳もまた、愛おし物を見つめるかのようにうるんでいた。
しかしながら公爵令嬢が記憶している有力貴族の子女に彼女の顔立ちに近いものはいない。おそらくは地方出の貴族だろう。
「彼女を愛妾に迎え入れたいと言うことでよろしいですか?」
「あぁ。彼女は男爵令嬢だ。側室は無理だろう?」
「えぇ…男爵家では少し難しいでしょうね」
「え?」
公爵令嬢がそう、王子に問いかける。王子からはあっさりとその考えを肯定する返事が返ってきた。出生もそうだが彼女の態度ではな。と言う様子の王子に、恋に浮かれてはいてもそのあたりの冷徹さはさすがと言うべきだろう。いや、冷徹さが残っている以上、彼のそれは恋ではないのかもしれないが、公爵令嬢には関係ないことだ。
そんな公爵令嬢と王子の話に男爵令嬢が戸惑うように瞳を揺らす。それを見て公爵令嬢は、やはり、と己の懸念が当たったことに少し目を伏せた後、王子へと進言するべく口を開いた。
「殿下、男爵令嬢となるとおそらくは婚姻に関しての認識は庶民と変わらないと思われます。
一度、こちらで説明してもよろしいでしょうか?」
公爵令嬢の言葉に、王子は少し考えた後、「あぁ」と頷いた。それから少しだけ照れくさそうな表情を浮かべる。
ちなみに第一王子は豪奢な金髪に青い瞳の端正な顔立ちの青年で、公爵令嬢も思わず「絵にかいたような王子様」と嘆息したほどだ。記憶が戻らなければ彼の婚約者として、優越感と恋心を抱き、その王子の歓心を得た目の前の少女に対して嫉妬の一つや二つ覚えたかもしれないが、彼女の前世の記憶が「ないわー」と冷めた口調で水を差すのである。ついでに老婆心からのおせっかい心も少々。
「そうだったな。私もつい浮かれてしまっていたようだ。説明は任せる。その上で彼女が受け入れられないというのならば、残念だが私も諦めよう。不幸な女性を作りたいわけではないからね」
王子はそう言うと男爵令嬢の手を取り、「キミが受け入れてくれることを願っているよ」と魅惑的な笑みを浮かべて颯爽と去っていった。
残されたのは二人の女性。王子の婚約者と、そこに割り込んできた泥棒猫。ではあるが、公爵令嬢の態度は落ち着いたものだ。
まず侍女に言って二人分のお茶の用意をさせると男爵令嬢をテーブルへと促した。戸惑いが公爵令嬢に対する敵意に替わりつつある男爵令嬢に、彼女はこの国の側室と愛妾制度について説明をした。
「側室?って、大奥みたいな?」
公爵令嬢の説明に、男爵令嬢がポツリとつぶやく。公爵令嬢はその呟きに説明を止め、目を細めた。その隙に、侍女が二人分の紅茶を注いだカップをテーブルの上に提供する。
ふわりと暖かな湯気の中に紅茶の薫り高い芳香が漂う。公爵令嬢はお気に入りの紅茶で口の中を湿らせると、さて、と言うように話し始めた。
「側室に入る女性は主に有力貴族の女性です。多くが王子や王子妃よりも年上で、専門的な教育を受けた女性で構成されます。
王子の寵愛を賜ることもありますが、国内外の調整役を務めることが多いです」
現代的な感覚で言えば外交官に近いのが側室だ。この国では女性の社会進出がほとんどない。その中で側室の女性は王妃がカバーしきれない客人のもてなし等を行う。もちろん男性の担当者もいるが、彼女たちのターゲットは外交官本人ではなくその奥方や令嬢である。そのほか王宮のこまごまとした内政も彼女たち側室の仕事で、王室から給料も出る。どの時代でも二、三人存在し、もちろんレオンハート王子にもすでに側室候補の女性が選定されていて、公爵令嬢も顔を合わせている。
対して愛妾は公的な身分はなく、一般的な愛人のことを言う。給料も出ないし、側室の子には王位継承権が与えられるが、愛妾の子には継承権は与えられない。
愛妾の子のほとんどは他の貴族の家に養子に出される。とはいえ、王家の血であることに変わりはなく、愛妾の子を養子に貰うことは貴族にとっては名誉なことである。実際には愛妾を出した実家関係の養子になることが多い。
また愛妾は国王の所有物であるという考えからか、褒章代わりに下賜された事例もある。さすがに近代に入ってからはその例はないようだが、だからと言って安心はできない。王が飽きたらわずかばかりの支度金を渡されて放逐される。それが愛妾なのだ。
「………………」
公爵令嬢の説明に、男爵令嬢はポカーンと、口を大きく開き、公爵令嬢をまじまじと見つめる。やはり、知らなかったらしい。だがこれだけではないのだ。公爵令嬢は追撃の手は緩めない。己だって最初に知った時は「はぁ?」と思ったのだ。
「そのような状態ですので、今の王家と主だった貴族はみんな親戚ですの。
今の王妃様のお爺様の奥様が当家の父方の祖母の伯母で、陛下も母方の祖母の兄弟の奥方の甥の孫に当たりますし、そもそも先代の…あ、もういいですか。そうですか。ちなみに主だった貴族の子息女は皆この家系図を覚えさせられます。
ですから、外の血…と言うのもなんですが、今まで王家や主だった貴族と無関係の貴族から愛妾を迎えるのはどちらかと言えば歓迎されると思いますわ。さすがに男爵令嬢のままですといろいろと口うるさいお偉方から横やりが入ると思いますので、そうですわね。貴女をどこかの伯爵家の養女とするか、貴女のお父様に子爵位を授けるか…手っ取り早いのは前者でしょうか。その場合は伯爵家がみぃっっっっっちり、伯爵令嬢としての教育をしてから王家に奉公に出ることとなります。
この場合は、あなたのお仕事は子を産むことですね。えぇ。できれば七人ほど女児を生んでいただきたいのですが、やって、くれるかな?!」
どこぞのサングラスの司会者のような口調で尋ねた公爵令嬢に、男爵令嬢は真っ青な顔で「無理!」と叫んだ。ちなみに七人と言うのは決してでたらめな数ではない。彼女自身が言っていた通り、上流貴族は王家を含めてみな親戚だ。
すでに現在血が濃くなり過ぎたせいで自家中毒…要するに子供が生まれにくくなってしまっている家がある。家の体面を重んじるあまり同じ程度の家柄で嫁や婿を望むと、結局そこも親戚である。そんな家が…少なくとも七つでは納まりきれないほどあるが、全部同じ愛妾の子を養子にしたらまた意味がない。ゆえの、せめて七であった。ちなみに王家もその一つで、現在の王と王妃の間には王子が一人だけ。側室との間にも王女が三人。
この国では男子に先に王位継承権が渡る関係上、第二継承者は王の弟で、第三継承者は王の叔父である。女子を含めてまともに継承権を持った人間が十人いないのが今の王族の現実だった。
「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理」
男爵令嬢は身を縮めるようにしながら高速で無理と繰り返す。ふぅと、公爵令嬢はため息をつくと視線を遠くに投げた。
前世の記憶を取り戻して以来、なにそれ。と、何度内心で突っ込みを入れたことか。十七世紀ほどのギリ中世ヨーロッパに近い生活様式なのに、貴族の婚姻に関することだけが古代中国か大奥なのである。もしくはキリスト教成立前の古代ローマなのかもしれない。
宗教って重要なんだな。と、公爵令嬢はしみじみと思った。なお、この国での信仰対象は自然を擬人化した精霊だ。
最低限のインセスト・タブーの認識はあるのか、それとも経験則なのか、近親婚は禁止されているのだけが彼女にとって救いである。これで古代エジプトの概念がぶっこまれていたら頭を抱えるだけで済まなかっただろう。
しかしながら生まれ変わって将来大奥を切り盛りする運命を課せられた公爵令嬢は、蘇った己の前世をかなり恨んだ。知らなければそれを当然と受け入れたものを、なまじ蘇ってしまった記憶が「それはおかしいよ!」と訴えるのである。
「まぁそうですわよね、まっとうな貞操観念もっていたら旦那が愛人を持つことを妻が許容していたり、自分が愛人になって子供を産むだけの存在になるとかよっぽどの理由がない限り無理ですよねー」
「なんなの、なんなのよ!?おかしいでしょ!?なんで私が愛人なのよ!」
崩れた公爵令嬢の口調にも気が付かず、男爵令嬢が叫ぶ。そんな彼女の悲痛ともいえる叫びに、公爵令嬢が返せる答えは一つしかない。
「あなたが男爵令嬢だから」
「男爵令嬢だから王族の愛人なの!?私はみんなに愛される存在じゃないの!?」
「愛人として愛されるんじゃないかしら。仮面夫婦で夫婦ともに愛人がいるなんて、有力貴族ならよくあることではないけど、珍しくはない話ですよ?」
先述の通り、血が濃くなり過ぎたせいで夫婦間で子供が生まれにくい状態にある家は多い。それを打開するために、愛人の子を正妻の子だと言って取り上げることは珍しくないのだ。
「私は嫌よ!」
「強要はいたしません」
「どうして、なんで」
ブツブツと呟く彼女の肩に公爵令嬢はパンッと手のひらで音を立てた。その破裂音に、男爵令嬢が顔を上げる。先ほどまでの薔薇色の頬はすっかり白く青ざめてしまっていた。逆ハーレムの願望はあるかもしれないが、自分がハーレムの一員になるのは御免こうむる。その気持ちは公爵令嬢にも少しわかる。
そんな彼女に、公爵令嬢は言う。
「残念だけど、これ、現実なのよね」
ゲームや物語ならば男爵令嬢が王子の妃になるというシンデレラストーリーもありかもしれないが、残念ながら現実ではそんなことは起きない。現実では起きないからこそ、皆がシンデレラの物語に夢を持つのだ。
ネットスラングとしても有名になったセリフをもじって言う公爵令嬢に、彼女が顔を上げた。
「もしかして、あなたも?」
「えぇ、まぁ…。わたくしも三年ほどかかって何とか飲み込みましたの」
ふふっと、自嘲を込めた笑みを浮かべる公爵令嬢に、男爵令嬢は憑き物が落ちたような顔になると、全身の力を抜いた。
それからだいぶぬるくなった紅茶を一気に飲み干すと、深い深いため息をついたのだ。
「そう…まさか悪役令嬢に正論で殴られるとは思ってなかったわ」
「悪役令嬢…ということは、ここは何かの物語の世界に似ているんですのね?」
「知らなかったの?」
男爵令嬢が首をかしげると、公爵令嬢は少しだけばつが悪いような顔でうなずく。
「その、いわゆる乙女ゲーとか少女マンガとか恋愛ものとかはほとんどたしなんでおりませんで…元祖女王になるゲームを最初の五分で攻略相手の口説き文句で鳥肌立ってぶん投げたぐらいには…。あ、察し。みたいな顔しないでくださいませ」
「それでよく私がヒロインの立場にあるってわかったわね」
ふぅと、頬に指を添えて苦笑いを浮かべる公爵令嬢に、男爵令嬢が問うが、それに対する公爵令嬢の反応は苦笑いに近いものだった。
「異世界転生モノはいわゆるお約束ですし、貴女の行動はどちらかと言えばアンチ主人公とか、アンチ転校生モノと言われるざまぁ対象のものでしたわよ?」
「そっちか!!!」
彼女はそう叫んで頭を抱えた。乙女ゲームの世界であると気が付いた彼女は意気揚々と攻略対象を〝攻略〟しようとしたのだが、ライバルとなる悪役令嬢こと公爵令嬢の反応が違い過ぎて戸惑っていたらしい。だが彼女の言葉で自分の置かれた立場を理解したようだ。今度こそ、すっきりきっぱり、さっぱりした表情で顔を上げた。
「それで、殿下の愛妾には」
「なりません!」
「そうですか……」
スパンッと、こぎみよく答えた男爵令嬢に、公爵令嬢は心底残念そうにため息をついた。そんな彼女に男爵令嬢はこの際ですから。と、前置きしてから尋ねる。
「この際ぶっちゃけますが、私が知っているゲームの攻略対象は、レオンハート殿下のほか、ノア、アレク、エディ、それとマークス先輩にビュルンガル先生なの」
「あら、うちの弟も対象なんですの。でもうち公爵家で私が王妃になると、公爵家は弟が継ぐことになるから男爵令嬢だと……そちら、何か目立った特産品とかありません?王侯貴族でも欲しがるような。前世の記憶をもとに何か…そう。
でしたら在学中に何か目立った功績を上げるとかしていただければワンチャン…でないと」
公爵家の愛人コースだよ。と、最後までは言わないものの匂わせた公爵令嬢に、男爵令嬢は頭を抱える。
おそらく己が乙女ゲームの主人公であるとわかった時点でそのためだけに邁進したのだろう。主人公としてイケメンたちにちやほやされることを夢見て。だが実際にはそう甘いものではない。いや、立ち振る舞いによっては可能かもしれないが、現実世界にはその後の生活と言うものがあるのだ。
おそらくだが彼女の前世の記憶は若い、もしくは幼い時点で止まっているのかもしれないと、公爵令嬢はあたりをつける。それなりにいい年した時点での記憶まで持ち合わせている公爵令嬢は、夢も希望もなくこの世界に馴染んでしまったのでエネルギッシュな少女の行動力はうらやましくもある。
が、現実の壁はいかんともしがたく立ちふさがる。
「ここでも身分の差が!」
「現実ですので」
公爵令嬢は容赦がない。だが仕方がない。それがこの国の現実である。そして乙女ゲームの主人公はへこたれなかった。
「それじゃ、アレク、エディ、先輩、先生の中でお勧めは!?」
「推しとかないんですか?」
「箱推しだったんで、この際誰でもいいかなって」
はかなげな風貌の公爵令嬢と、可憐な顔立ちの男爵令嬢から推しと言う単語が出てくる奇妙さはさておき、自身の欲求に忠実な男爵令嬢に、公爵令嬢は薄くほほ笑んだ。自身に害がないのなら、素直な人間は好ましい。
ゆえに公爵令嬢は上げられた四名のプロフィールを脳内に展開した。
「正直者だこと。その正直さに免じて、おすすめはエディ様でしょうか。伯爵家ですが彼自身は三男ですし、現在婚約者はおりません。たしかご長男はすでに王宮に務めており、結婚されておりますからいまさら家督争いもないでしょう。
エディ様自身も家督に興味はないようですから、男爵家を立ててもらってご実家の援助を受けつつ趣味の研究に没頭されることとなるかと」
エディと言う少年は植物の研究を好んでしていると言う噂があった。この国では学者は少なくとも貴族がするものではないという認識だ。よってエディ少年は貴族の中の変わり者と言うことになる。
そのあたりの攻略の手掛かりがあるのかしら。と、公爵令嬢はなるほどとうなずく。男爵令嬢はうむむと、眉を寄せながら唸る。侍女が空になったカップに新しい中身を注ぐ。物言いたげに男爵令嬢を見るが、公爵令嬢は微笑んで彼女をさがらせた。
「無難で妥当すぎるけどそこが一番かぁ。一応聞きますが、他がお勧めできない理由はありますか?」
「アレク様は侯爵でしたわね。アレク様にはまだ嫁いでいらっしゃらないお姉さまがいるうえ、お父様が婿養子です」
「あっ」
まさしく察し。と言うように彼女は声を上げた。脳裏によぎるのは嫁姑問題。ついでに小姑も健在となれば、男爵令嬢の身の上でそんな侯爵家に飛び込んでいくには恋愛麻薬に脳を犯されていない限り、普通躊躇する。
公爵令嬢は新たに淹れられた紅茶のカップを持ち上げた。
アレクって気弱だし、ちょっとシスコン入ってるしなぁ…と、小さい声でぼやく彼女はそこまでアレクに執着していないようだ。公爵令嬢はカップをソーサーに戻したのち口を開く。
「マークス様は伯爵家の二男でエディ様と同じ条件に思えますが、こちらは騎士の御家柄でして…マークス様も騎士になられると伝え聞いております」
公爵令嬢の言葉に、男爵令嬢が頷く。そのあたりはゲームと現実でも情報に違いはないらしい。
「騎士として地方に出ている間、騎士の妻子は共同住宅で相互援助をしながら暮らすのが普通だと聞いております。それが問題ないというのでしたらマークス様でも問題ないかと思います」
「あぁ、うん」
こちらはいわば社宅だ。夫となる騎士の階級やら実家の家柄などにより女性陣のヒエラルキーが決定する部分があり、マークスの妻となると少なくとも上層ではないだろう。とは言え、こちらは庶民から嫁いだ女性も多く、そちらはそちらでうまくやっているという話だ。
あらゆる女性を押しのけて覇権を握りたいという野望でもない限りはエディに続いておすすめできる相手ではある。
「最後にビュルンガル先生ですが…あの、十も年下の少女に手を出す男性って世間一般的にどう思われます?」
「…………ソウデスヨネ」
彼女はしばらく考えたのち、カタコトな口調で答えた。ビュルンガルは歴史学の教師であり、現在二十七歳。若くして王立学園の教師に抜擢されるほどの才能の持ち主だ。
彼自身は子爵の地位にあり、男爵令嬢である彼女の相手としては身分的には問題は少なく、貴族間の婚姻で年の差が十程度ならば普通ともいえるだろう。公爵令嬢も彼女が自身と同じ世界からの転生者でなければエディに続いてお勧めともいえる。
ただ、彼女たちの一般常識的に十歳の歳の差はいろいろとギリギリすぎる。そして男爵令嬢は愛があれば歳の差なんて。と、いえるほど夢見がちでもなかったようだ。いやこの数十分の間にいろいろと現実を見たのかもしれない。
「もちろん、ビュルンガル先生に今までお相手がいなかった事に何かわけがあるのかもしれませんが、毎年同じ頃の歳の少女は入学してきますし、こういってはなんですが……その、信じきれるのでしたらわたくしも何も言いません」
普通に考えたら教え子に手を出す教師は同世代の女性に相手にされないか、特殊性癖の持ち主である。上手く結婚できたとしても、旦那が自分と同じように他の女子生徒にちょっかいをかけていないかどうか、不安にならないだろうかと、公爵令嬢は思う。
公爵令嬢の言葉に不思議そうな顔をしていた男爵令嬢だが、唐突に、おそらくは彼女の知るゲームに何かヒントがあったのだろう。ぶんぶんと首を振る。
「いえ、いいです。ゲームの攻略対象ならともかく、リアルならナイです」
「そうですか」
彼女は首だけではなく手首のスナップを効かせながら手を左右に振りつつそう答えた。ゲームの攻略者相手と言うだけあって、何か事情があるのだろう。
しかし彼女にとって現実世界でそれを乗り越えるだけの理由にはならないし、そして「自分だけは違う」と思い込めるほどにはビュルンガルに思い入れもないようだ。いや、ゲームの主人公に転生したという「自分は特別な存在だ」と言う思い込みを粉砕して余りあるほどの威力が愛妾制度にあったのかもしれない。実際に自身がそうだったので、公爵令嬢はそのあたりには触れずに小首を傾げてほほ笑んだ。
「リアルだというのでしたら、なにも攻略対象に限定しなくてもよろしいのでは?
ただ、相手をきちんと選ばないと男爵家程度直ぐ消されますけど」
「消されるの!?」
「そう言う国ですので」
庶民から見れば男爵も貴族かもしれないが、公爵令嬢の様な上位貴族にしてみれば男爵など一部を除けば庶民と変わらない。
大勢に影響のない存在など知らないうちに消されていることなどざらである。それこそ、目の前の彼女のように「わきまえない」生徒のほか、性質の悪い上位貴族の戯れで消される家も多い。毎年入学しても卒業できない生徒のなんと多いことか。もちろん、公爵令嬢が在学中は後者については許すつもりはない。もちろん、無実の男爵家の為ではなく政敵の前でうかつに尻尾出したお馬鹿さんを合法的に失脚させるためである。
そんな考えが公爵令嬢のほほえみから読み取れたのか、震え上がる少女。公爵令嬢は同郷のよしみで最後に一つだけ忠告をした。
「それと、生徒の中には年上の令嬢のいる家に婿入りする令息もいます。そう言ったものの中には、婿入りする不満を晴らそうとするかのように在学中に火遊びをする者もいまして」
「火遊び」
「あなたのような地方から出てきて何も知らないような男爵令嬢などいいカモです。婿入り先にばれたところで、男爵令嬢から誘ったと言い張っておしまいでしょうね。相手先も火遊びの件を把握していても誰かが責任を持てばいいだけですので、結果遊び相手の男爵家がぷちっと」
「ぷちっと」
持ち上げた右手の三本の指で何かをつぶすような仕草をしながら公爵令嬢は嫣然と微笑む。
男子生徒の婿入り後の肩身は狭くなるだろうが、婿入り先も要するに体面が保たれればいいのだ。とるに足らない男爵家に責任を取らせて潰すことぐらい、何の良心の呵責もなくやってのけるだろう。
子供が出来ていようとも関係ないのは先ほど公爵令嬢が述べたとおりである。
「それと、エディ様が相手でも同じことです。男爵令嬢であるあなたにお勧めと言うことは、他の男爵令嬢にとっても条件は同じですわよ?」
「あう……」
ゲームではなくリアルなのだから、自分以外はすべてモブなんてことはないのだ。誰もが自身の家を背負って肉食獣のごとく目を光らせているのである。
うちひしがれる彼女に、公爵令嬢は優雅に微笑む。
「まぁ頑張ってくださいませ。
最悪、まぁ…どうしてもだめでしたら?殿下の愛妾と言う道が残されておりますわよ?」
「それは絶対に嫌!」
血を吐くような彼女の言葉に、それは本当に残念。と、公爵令嬢はため息をついた。同じ世界を知るなら、今度は自分の愚痴でも聞いてもらおうと思っていたのだが、そうは上手くいかないらしい。とは言え、対王子への態度で彼女の評判はあまりよろしくない。もし彼女が本格的に貴族の正妻を目指すならば、マイナスからのスタートであると自覚するところから始める必要がある。
それに関しては公爵令嬢は手助けできない。彼女自身の行いの結果であるし、そんな彼女を助けても侯爵家に利がないのだ。愛妾になるというのならば、気合を入れてふさわしい礼儀を叩き込むつもりではあるのだけれども。
果たして男爵令嬢がちゃんと攻略対象を攻略できたのか、それとも別の男性を捕まえたのか、はたまた第一王子の愛妾となったのか。それはまた別の機会に語ることとしよう。
「ところでなぜ最初に殿下でしたの?逆ハールートのトリガーでしたの?」
「殿下が一番フラグ管理しやすかったの」
「なるほど、殿下が一番ちょろかったんですわね」
「えぇ、まさかこんな落とし穴があるなんて思わなかったけどね」




