覆面を被ると不審者に見える
8日目の夜。
クロネコは表通りを歩いていた。
巡回する憲兵隊に混じり、制服に身を包んだ衛兵隊をよく見かけるようになっていた。
そしてそれに反比例するように、夜間に外出する住民の姿が減っていた。
カラスからの情報によると、夜間の外出を控えるよう、また外出する際はなるべく2人以上で出かけるよう、王都中に通達が出ているらしい。
そのせいか、クロネコが表通りから裏通りに移動すると、人影はまばらだった。
そしてやはり裏通りでも、憲兵隊と衛兵隊が混じった巡回を見かけた。
予想通りではあったが、好ましくない展開だ。
クロネコの目的はあくまで一般住民であり、憲兵や衛兵とはなるべくやり合いたくない。
いくらクロネコがキャルステン王国最強の暗殺者でも、単身で隣国に喧嘩を売るような無謀は避けたいのだ。
だからクロネコは、まだ比較的、人通りが多いであろう歓楽地区に移動した。
この地区は裏通りであっても、まだそれなりに通行人が多い。
クロネコはもう一本奥の通りまで入り込んだ。
おあつらえ向きに通行人の男が1人で歩いていた。
クロネコは物陰に潜み、男が近づくのを待った。
周囲に他の人影がないか、確認するのも忘れない。
男が近づく。
クロネコは音もなく物陰から飛び出し、黒塗りのナイフを振るった。
男は喉を裂かれ、倒れた。
クロネコはすぐさま、その場を後にした。
直後。
「おいっ、誰か倒れているぞ」
「こっちだ! あっ、殺されている」
「まだ近くにいるかもしれん。探せ!」
憲兵だか衛兵だかの足音と、慌てた声が聞こえてきた。
クロネコは路地裏を通り抜け、素早く退散した。
この夜、クロネコは商業地区でもう1人しか殺せなかった。
◆ ◆ ◆
9日目の午後。
安宿。
「厳しいな」
「昨晩は何人?」
「2人」
「あなたにしては少ないわ」
カラスはいつものように、断りもなく安物の椅子に座っている。
クロネコはベッドに座り、手元の黒い布で裁縫をしている。
「それは?」
「麻の布だ。覆面を作る」
「……そんなに厳しいの?」
覆面を作るということは、もう殺しの現場を目撃される前提ということだ。
「厳しい。地区によっては、通行人より巡回のほうが多いくらいだ」
「いっそ衛兵あたりを殺して回ったら?」
「それをすれば、もう犯罪の域に留まらず、リンガーダ王国自体が敵に回る恐れがある。俺の依頼人もそんなことは望んでいないだろう」
「そう。じゃあ100人は無理?」
「想定を甘く見積もっていたことは、否定できない」
クロネコは当初、これは暗殺ではなくただの殺しだと考えていた。
厳しくなることは予想していたが、それでも暗殺者のやることではないと思っていた。
しかし実際に始めてみれば、そのただの殺しは、10日足らずで厳しい状況に陥っていた。
リンガーダブルグの治安維持が、想定以上に優秀だったことが原因だ。
巡回の目を掻い潜って、目撃されずに住民を殺して回ることは、いよいよ難しくなっている。
「……そのわりに嬉しそうね?」
「そうか?」
「だって今、薄っすら笑っていたもの」
「む、そうか」
カラスに指摘されて、クロネコは自覚した。
そう。
ただの殺しが難しくなったということは、ここからは暗殺者の領分ということだ。
殺しではなく、暗殺。
クロネコは今日になって、ようやくやる気に満ちていた。
「それで情報は?」
「夜間だけだけど、外出禁止令が検討されているみたい」
「ほう」
「まだ数日かかると思うけれど、発令されれば、夜間の殺しは無理になるわ」
「少なくとも、通行人はいなくなるな」
外出禁止令は、住民に大きな影響を与える。
夜間だけとはいえ、外出を禁止されれば、住民の不安と不満は増大するだろう。
また住民が禁止令を破らないよう、町の各所に監視の人員を大量に配置する必要がある。
王都は広いのだ。
「それで、地方から王国軍の一部を、王都に呼び戻しているという話を聞いたわ」
「もうすぐ兵隊だらけの町になるな」
「あなたのせいでしょ」
「俺一人のために、ご苦労なことだ」
「最終的に何百人、動員されるのかしら……。何千人かも。これだけの数を動かすなんて、最強の暗殺者の名は伊達じゃないのね」
「褒められていると思っておく」
クロネコは、裁縫していた手を止める。
黒い布の覆面が完成した。
早速、頭から被ってみる。
目元だけが開いている。
サイズは問題ないようだ。
「ぷっ……」
「笑うな」
「でも、あなた、何ていうか」
「笑うな」
「ぷっ、くくっ……」
「……」
言い訳のしようもないほど不審者だった。