セレーネ VS クロネコ
夜。
巡回の強化された街中を、セレーネは部下と2人で見回っていた。
時折、他の部下たちとすれ違う。
「お疲れ様です。異常はありませんか?」
「はっ。今のところは」
「そうですか。引き続きお願いします。ただし無理はしないように」
「はっ」
2人組の部下は一礼すると、巡回に戻っていく。
セレーネは部下に厳しいが、それ以上に自分に厳しい。
それだけでなく、部下をきちんと労わる配慮を忘れないため、慕っている部下は多かった。
セレーネ率いる第2憲兵隊は、他の隊と比べても練度が高いと評判だった。
「隊長は部下である俺たちのことを、よく気にかけてくださいますね」
「普通だと思いますが……。そうだとしても、皆がいてこその憲兵隊ですから当然でしょう」
「いえ。他の憲兵隊の隊長より、セレーネ隊長のほうがいいと言う連中は、たくさんいますので」
「そんなことは」
セレーネと部下は、雑談しながらも警戒を怠ることなく巡回を続ける。
と、部下が前方を指差す。
「隊長」
「あれは、酔っ払い……ですか?」
「恐らく」
細い路地裏の端に、俯いて座り込んでいる男がいる。
すぐ側には酒瓶が転がっており、男自身も手に酒瓶を握っている。
ここは歓楽地区だ。
これまでも、何人かの酔っ払いとすれ違っている。
しかし動けないほど泥酔している者がいるとは、危機感がないにもほどがある。
セレーネと部下は、酔っ払いの男に近づいた。
酒の臭いが漂ってくる。
どう見てもただの酔っ払いだが、巡回中の身であるため、警戒は解かない。
部下が声をかける。
「おい、起きろ。こんなところに座っていると危ないぞ」
酔っ払いの男からは、何も反応が返ってこない。
部下が訝しんで、酔っ払いの男の顔を覗き込む。
酔っ払いの男は目を閉じて、すーすーと寝息を立てていた。
「隊長。こいつ寝ています」
部下の言葉に、セレーネはため息をついた。
「……仕方ありません。放っておくとこの人が危険です。起こして、家まで送ってあげましょう」
「はっ」
部下が、酔っ払いの男の肩を揺する。
「おい、起きるんだ。寝るなら家にしろ」
そのとき目にしたことを、セレーネは瞬時に理解できなかった。
部下が不意に黙り込み、糸の切れた人形のように、地べたに座り込んだのだ。
次にセレーネが瞬きしたとき、酔っ払いの男はいつの間にか立ち上がっていた。
もう一度セレーネが瞬きをしたとき、酔っ払いの男は、セレーネの目の前まで近づいていた。
セレーネの頭が、理性より早く警鐘を鳴らした。
目の前の男が、手を動かした。
セレーネは考えるよりも早く抜剣した。
甲高い金属音が響き、男が振るった黒塗りのナイフは、セレーネの喉元に届く寸前で剣に受け止められていた。
セレーネは反射的に、返す剣で男を斬り付けたが、男は音もなく後退してその剣を避けた。
距離を詰めた男の動き。
ナイフを振るった男の動き。
剣を避ける動き。
それらを見て、セレーネの背筋に冷たいものが流れた。
あまりにも無駄がなく、洗練された動き。
彼女は確信した。
こいつが首狩りだ。
セレーネは視界の端に、部下を見た。
地べたに座り込み、動かない部下の喉からは、血が流れていた。
セレーネは唇を噛んだ。
首狩りに視線を戻したときには、首狩りの手からナイフが消えていた。
代わりに肉厚のダガーが1本ずつ、両手に握られていた。
明らかに剣と打ち合うことを想定して作られた、戦闘用のダガーだ。
――勝てない。
セレーネは首狩りの力量を推し量り、そう判断した。
しかしこれは、騎士の一騎打ちではない。
憲兵隊の最大の強みは、数だ。
彼女は巡回中の部下を呼ぼうと、息を吸い込み――。
ただ息を吸い、大声を出す。
そんなあるかないかの隙が、首狩り相手には命取りとなった。
首狩りは瞬時に、距離を詰めてきた。
まるで瞬間移動を見ているかのように、セレーネは、距離を詰めるその過程を認識できなかった。
卓越した歩法による移動だったが、彼女の知る由もない。
左からダガーの一撃。
セレーネは剣を縦にして、それを受け止めた。
そして失敗を悟った。
今の一撃は、凡庸な速度だった。
だから彼女も、余裕を持って受け止めてしまったのだ。
右からのダガーが革鎧を貫通し、セレーネの脇腹に深々と突き刺さった。
眩暈がするほどの熱い激痛。
だが彼女は、激痛を押し殺し、せめて反撃しようと剣を振り上げる。
首狩りは、セレーネの脇腹に突き刺さったダガーをグリッと捻った。
激痛などと生易しいものではない。
生の傷口を抉られる、初めて経験する痛みに、彼女は声にならない悲鳴を上げて硬直した。
そしてその僅かな硬直は、首狩りにとって充分な時間だった。
セレーネの喉に、ダガーの一閃が走った。
喉から赤いものを撒き散らし、セレーネは倒れた。
意識を失う最後の瞬間、彼女の目に映ったのは、何の感情も読み取れない首狩りの黒い瞳だった。
巡回中の部下によって、セレーネ・マクガフィの遺体が発見されたのは、それからしばらく後だった。