最後の準備
26日目の午後。
「ほらよ、カラス」
宿を訪ねたハゲタカは、バッグを一つカラスに放った。
「もしかして?」
「おう、侍女服だ。サイズは問題ねえはずだぜ」
「助かるわ。ありがと」
カラスはバッグから侍女服を取り出すと、自分の肩に当て、サイズが合っていることを確認してから満足そうに頷いた。
白と黒を貴重にしたシックな侍女服は、貴族の屋敷で働くメイドが着用するメイド服によく似ている。
「さて、明日の予定だが、簡単な就任式を午前中にやるらしいぜ」
「それが終われば、晴れて新大臣と新副大臣の誕生か」
「ああ。狙うなら午後だろうなあ」
「できれば、それぞれ執務室に篭っているときが狙いやすい」
「なら夕方以降だろうぜ」
そこでカラスが手を挙げる。
「クロネコと私、どっちがどっちを狙うかはもう決めているの?」
「これから決める。カラスに考えはあるか?」
「そうねえ……。私がジルド大臣、クロネコがアンダルソン副大臣を担当するのがいいと思うわ」
「おっと、そいつは俺も賛成だぜ」
カラスとハゲタカを見比べ、クロネコが首を傾げる。
「簡単な話だ。ジルド大臣……まだ副大臣だが、ともかく、ちいっとばかり女好きって話なんだよ」
「そういうこと。私が侍女姿で、お茶でも入れに行くわ」
「毒入りの?」
「ええ」
そういうことなら、とクロネコは頷く。
「なら俺は衛兵姿で、アンダルソンの執務室に邪魔しよう。10秒あれば終わる仕事だ」
「日没後の外出はできないから、夕方に実行するなら、脱出まであまり時間はかけられないわね」
「ああ。終わり次第さっさと城から出る。どちらかがどちらかを待つ必要はない」
「わかったわ」
ハゲタカが、テーブルの上に王城の見取り図を広げる。
「カラスはこいつを明日までに頭に叩き込め。クロネコは大丈夫だろうが、一応、見直しておくといい」
「よくここまで城内を調べたものね」
「俺が何年、リンガーダブルグにいると思ってんだ。カラスより長えんだぜ」
「そうだったわ」
見取り図に見入るカラスに、そういえばとハゲタカが疑問を投げかける。
「さっき毒殺するとか言ってたが、毒なんて持ってるのかよ?」
「致死毒なら、少量だけどあるわ。私のアパートメントから、クロネコが薬品を回収してくれたから」
「何で毒なんて持ってんだよ。おっかねえ女だな」
「これでも暗殺者ギルドに所属する身だもの。何かのときのために持っておいたの」
「俺は持ってねえんだが……」
一通りやり取りをした後、ハゲタカは扉に歩を向ける。
「じゃあ俺は帰るとするか。成功を祈ってるぜ」
「ああ」
「いい報告を待っていて」
ハゲタカが出て行くと、クロネコとカラスは詳細な詰めを話し合った。
「まず侵入だが、当然、通用口を使う」
「そうね」
「城内に入ったら、この地点から二手に分かれて……」
「私はまず、台所に行く必要があるから……」
2人の話し合いは、夜になるまで続いた。
◆ ◆ ◆
夜。
「クロネコ。どう?」
侍女服を身に着けたカラスは、部屋の中央でくるりと回って見せた。
ロングスカートがふわっと舞う。
「いい着こなしだ。問題なく侍女に見える」
「ありがと。でも、もうちょっと感想がほしいんだけれど」
「金髪がよく映えるな。綺麗だ」
「あ、ありがと……」
予想以上の褒め言葉をかけられ、気恥ずかしくなったカラスは肩を縮めた。
とはいえこの金髪も明日には短くし、染料で染める予定だ。
「怪我の具合はどうだ? 元々、深手はなかったが、何しろ傷の数が多い」
「跳んだり跳ねたりしなければ、大丈夫。あなたが適切な手当てをしてくれたおかげよ」
「ならよかった」
侍女と化したカラスを、もう一度上から下まで眺め、クロネコは頷いた。
「明日は万が一にも失敗はできない。今日は早めに休んで、気力と体力を充実させよう」
「ええ」
「大丈夫か?」
「えっ?」
「いや。多少、空元気を出して振舞っているように見える」
クロネコの視線を受けて、カラスは息をつく。
「そうね……。正直に言えば、緊張しているわ」
「そうか」
「あなたと違って、暗殺仕事に慣れているわけじゃないから」
「安心しろ。お茶に毒を入れて持っていくだけだ、子供にもできる」
「それはわかっているんだけれど……」
彼と違い、暗殺仕事においてカラスには過去の蓄積がない。
簡単だとわかってはいても、やはり気は休まらないのだ。
クロネコも昔、未熟な頃はそうだったため、カラスの気持ちはわかる。
わかるので、かける言葉に迷った。
どう言ったところで緊張するものはするのだ。
だからクロネコは、カラスの頭に手のひらを乗せた。
「く、クロネコ……?」
戸惑うカラスに構わず、クロネコは手を動かして彼女の頭を撫でる。
不器用さと配慮が混じるその動きに、カラスは頬を染めながらも安心感を覚えた。
「親に撫でられれば、子は安心するものだ」
「私、あなたの子供じゃないんだけれど」
「そうなんだが」
クロネコなりに緊張を和らげようとしてくれている。
それがわかって、カラスはくすっと笑った。
クロネコは自他ともに認める最強の暗殺者だ。
だが一ヶ月ほど彼と接してきて、彼にも不器用なところがあることに、カラスは気づいていた。
彼がぶっきらぼうで無表情なのは、人と接することに対して不器用なだけなのだ。
そしてそんな不器用な男が、多少なりとも自分のことを気にかけてくれる。
もちろんカラスが失敗しては彼も困るので、気にかけるのはあくまで仕事のためだ。
それがわかっていてもカラスは嬉しかった。
気がつけば、緊張は程よく解けていた。
明日は最善を尽くせそうな気がする。
彼女は気負うことなく、自然とやる気に満ちていた。
次回はいよいよ最後の暗殺が始まります。




