騎士団副団長バーレン・ストロガノフ
王城内には、騎士団の詰め所と訓練場がある。
そこでバーレン・ストロガノフ副団長は、上級騎士たちに日課の訓練をつけていた。
「違う! 踏み込みの勢いを、もっとスムーズに剣に伝えるのだ!」
「はっ!」
平騎士と違い、上級騎士の数はそう多くない。
指導者がバーレン一人でも、充分に目が届く範囲だ。
「見ておれ。こうするのだ」
精悍な顔立ちで騎士たちを一瞥すると、バーレンは腰から剣を抜く。
大柄で逞しい身体つきは、それだけで見る者を圧倒する。
「ぬん――!」
大きく踏み込んで、大上段からの鋭い斬り下ろし。
豪剣と呼ぶに相応しいその剣速は、周囲の空気を震わせた。
見学している騎士たちから、感嘆の声が漏れる。
リンガーダ王国最強の武人。
それがバーレン副団長に冠せられる異名だ。
事実、剣で戦って彼に勝てる者は、この国に存在しない。
「次、乱取り始め!」
「はっ!」
騎士たちはペアになって、訓練用の木剣で戦いを始める。
彼らも上級騎士だけあり、よい腕をしている。
しかしそれでも、バーレンの顔から厳しさは消えない。
彼からすれば、上級騎士といえども甘い部分が見て取れるが、理由はそれだけではない。
本日、部下から報告があった。
首狩りによる被害がついに100人を突破したのだ。
そのうえ未だに足取りの一つも掴めていない。
この体たらくでは、後どれほど被害が続くのか予想もつかない。
もはや王都の治安は、過去に類を見ないほど最悪の状態に陥っている。
戦争であれば、まだいい。
日々鍛えた剣を存分に振るい、正々堂々と戦うだけだ。
しかし相手は、居場所すらわからない暗殺者。
剣を振るう機会すら与えられないのでは、いかにリンガーダ最強の武人といえど、どうにもならない。
一度でいい。
遭遇さえできれば、首狩りなど一刀の下に斬り伏せてやるものを――。
バーレンは痛切に、歯痒い思いを抱いていた。
「よし、午前の訓練やめ!」
「はっ!」
「昼飯はきっちり食ってこいよ」
「はっ!」
息をついて散っていく騎士たちの中から、バーレンは一人、若い騎士を捕まえた。
「ようし、アルフォンス。今日は一緒に飯を食いに行こう」
「はっ、副団長」
「今は昼休みだ。そう堅苦しくせんでいい」
「わかりました」
連れ立って王城を出て、近場の飯屋に入店する。
雑多な雰囲気で、食事の量が多いため、働く男たちに人気のある飯屋だ。
「今日はワシの奢りだ、好きなものを注文しろ」
「しかし」
「はっはっは。お前、来月に結婚するんだって?」
「はっ、なぜそれを……」
照れて恐縮する騎士に、バーレンは豪快に笑う。
「結婚祝いはちゃんとやるが、今日は前祝いみたいなものだ。好きに食え」
「はっ、それではお言葉に甘えて」
若い盛りの騎士だ。
遠慮したところで腹は減る。
結局、大きなステーキを注文した。
分厚い牛肉を口に放り込み、満足そうに頬張る。
「やはり若いもんは、たくさん食べないといかん」
「副団長、ありがとうございます」
「なあに、ワシも負けておらんからな」
バーレンも同じようにステーキを注文し、若い騎士よりも豪快に貪る。
「いいか、アルフォンス。結婚ってのは最初が肝心だからな」
「最初ですか」
「そうだ。主導権はこっちが握ってるってことを、かみさんに思い知らせてやらねばならん」
したり顔で頷くバーレンに、騎士は首を傾げる。
「しかし、副団長は奥方様に尻に敷かれているという噂が……あっ」
失言して口を抑える騎士に、バーレンは苦笑いを返す。
「まあ、あれはあれでいいかみさんなのだ」
「確かに副団長の奥方様は、器量がいいという話をよく聞きます」
「そうとも。多少、気が強いところはあるが、ああ見えて意外と気が利いてな。この前も……」
かみさん自慢を始めるバーレンを見て、若い騎士は可笑しそうに笑った。
将来どうなるかはわからないが、彼のおかげで、少なくとも結婚に対する未来は明るいものだと思えたのだ。
「副団長は幸せ者ですね」
「ん、そうか?」
「ええ」
「ふうむ、そう見えるか」
顎を撫でながら、しかしバーレンはまんざらでもない顔だ。
確かに家庭事情において、自分が不幸だと思ったことはない。
「そうさなあ。ワシは幸せかもしれんな」
「そうですとも。ただ……」
「ただ?」
表情に影を落とす騎士。
その口から出てきたのは、やはりこの言葉だ。
「結婚する彼女が、首狩りの被害に合わないかと心配で」
「うむ……」
「確率が低いことはわかっているのです。でも、リィンハルトの奴もやられましたし」
「……本当に、惜しい奴を亡くした」
彼とリィンハルトは、友人同士だったのだ。
バーレンとしても、逸材と呼べる人物を失って心を痛めていた。
それに、バーレンも同じ心配はしていた。
自分のかみさんが殺されるなど、万が一にも考えたくはないことだ。
「案ずるな」
バーレンは、若い騎士の背中をバシンと叩いた。
騎士が痛そうに顔をしかめる。
「賊の凶行など、そういつまでも続くものではない。それに」
「それに?」
「見つけ次第、ワシがあっさりと斬り伏せてくれるわ」
バーレンは精悍な顔立ちに、歯を見せて笑った。
「そうしなければ、お前もおちおち結婚しておれんからな」
「副団長……」
笑みを見せる騎士に、バーレンは大きく頷いた。
若者の幸せを守ってやるのは、年経た自分たちの役目だ。
まして自分は、誉れ高き最強の武人。
王都に甚大な被害が出ている以上、時すでに遅しという誹りはあろう。
それでもなお、やらねばならない。
バーレンは決意を新たにしながら、肉を口に運んだ。




