クロネコを説得する
25日目の午後。
クロネコとハゲタカが軍務官の人事について話をしていたとき、カラスは頃合を見計らって割って入った。
「お願いがあるの」
カラスは真剣な表情でクロネコを見据えた。
ハゲタカは何も言わず、空気を読んで壁際へ下がった。
「お願いとは?」
「軍務大臣の暗殺を、私にも手伝わせて」
その言葉に、クロネコは黙ってカラスの目を見つめた。
彼女は目を逸らさない。
髪と同じ金色の瞳には、強い意志が見て取れる。
少なくとも、自棄になった人間のものではない。
「情報員のお前が、なぜ暗殺を手伝う?」
「もちろんヘマを挽回するためよ。評価を下げたままだと、今後のポジションや給金に大きく関わってくるもの」
「なるほど」
この理由をクロネコはすんなりと理解し、共感もできた。
彼とて金のために仕事をしているのだ。
逆に金を重要視しない人間を、彼は信用しない。
「しかしお前は情報員だろう」
「情報員が、暗殺に手を貸してはいけないという規則はないわ」
「そうだが、大臣暗殺にお前を連れて行く利点がない」
「じゃあ利点があればどう?」
「何?」
カラスは一度息を吸い、吐き出す。
この説得が正念場だ。
「本国からの依頼は、軍務大臣の暗殺よね?」
「ああ」
「誰を殺すの?」
「無論、ジルド新大臣だ。降格させられるグスタフ大臣を殺しても、意味がないからな」
「そうよね。でも考えてもみて。ジルド新大臣を殺したところで、今度はアンダルソン副大臣が、繰り上がって大臣になるだけだわ」
「そうだろうが、そこまで知ったことじゃあない。依頼外のことだ」
「いいえ」
カラスは身を乗り出す。
首筋に、薄っすらと汗をかいていた。
「繰り上がりで大臣になる予定のアンダルソンまで殺せれば、どうかしら?」
「……何を言いたい?」
「新大臣と新副大臣を同時に暗殺すれば、軍務官の人事は混乱を極めるわ。少なくとも、新しい大臣と副大臣の選定には、時間がかかるはず」
「それはそうだろうが」
「そうなれば、依頼以上の成果を見込める。あなたへの報酬にも色がつくんじゃないかしら」
「む」
カラスが提示した利点を、クロネコは考える。
理屈に綻びは見当たらない。
確かに彼女の言う通り大臣と副大臣をどちらも暗殺できれば、彼にとっても、そして本国にとってもプラスになる。
まして本国キャルステンの軍隊は、もうすでにこのリンガーダに向けて進軍中なのだ。
リンガーダの混乱を深めて、悪かろうはずもない。
「しかし、カラス。その2人を暗殺するにしても、俺が一人でやれば済む話だ」
クロネコの反論を、カラスはむしろ有り難いと思った。
彼は物事を感情で否定しない。
彼女の提案に、明確な理屈を突きつけてくる。
それは裏を返せば、理屈に筋が通っていれば、彼は納得して受け入れるということだ。
「暗殺だけならあなた一人でもできると思うけれど、危険が増すわ。一人を殺して、次の一人に取り掛かる間に、バレてしまう可能性は避けられない」
「なるほど。俺とお前でやるなら」
「ええ。2人同時に殺せるから、時間的な面で危険性が減る。いわゆる二面作戦ね」
クロネコはこれにも納得した。
しかし、まだ懸念がある。
「とはいえお前は怪我人だし、そうでなくとも暗殺の技術はないだろう」
「それについては考えがあるわ。あと私は侍女の格好をすれば、王城に入り込めると思う」
「いや。お前はすでに、顔が割れているだろう」
「髪を切って、染料で髪の色を変えて、それから化粧も少し変えれば、バレない確信があるわ」
「……お前が間者として使っていた、ハンナとかいう侍女に遭遇したらどうする?」
「ないわね。彼女からは私たちの情報は大して得られないし、それにそもそも間者だった。グスタフ大臣からすれば、生かしておく理由がないわ」
「すでに始末されていると?」
「ええ。というかその質問は、あなたもわかって聞いているでしょ?」
その通りだったので、クロネコは口を噤んだ。
懸念はほぼ払拭されていた。
唯一、髪と化粧を変えればバレないという彼女の確信については、男であるクロネコには少々理解が難しい。
しかし女が化粧で化けることは知っているし、何より彼女は、こんな場面で適当なことを言う人間ではない。
彼女の理屈に、穴はないように思える。
そして利点もある。
ならば。
「いいだろう。カラス、手を貸してくれ」
「任せて」
「だが、わかっているだろうが、しくじれば見捨てていく」
「それでいいわ」
カラスはベッドの上で、自分の膝に突っ伏した。
「どうした?」
「あなたを説得できて安心したのよ……」
「正直、よく考えたと感心した」
「それならよかったわ……」
壁際に控えていたハゲタカが、軽く拍手をした。
「見事な弁舌だったじゃねえか、カラス」
「言っておくけれど、侍女服を手に入れるのはあなたにお願いするつもりよ」
「俺かよ……。ま、いいぜ。カラスの名誉挽回のために、一肌脱ごうじゃねえか」
「助かるわ」
ハゲタカは扉へと足を向ける。
「新大臣と新副大臣の就任は、明後日だ。情報の出し惜しみはしねえから、必要なことがあれば何でも聞けよ」
「ああ」
「ありがと、ハゲタカ」
軽く手を振って出て行くハゲタカ。
それを見送ると、クロネコは自分の頭を掻いた。
「どうしたの?」
「いや」
口には出さないが、クロネコは少々、反省していた。
捕まったカラスを救出して以来、彼がカラスに対する評価を下げたことは事実だ。
ヘマをしたのだから、それは当然だ。
しかし同時に、仕事上の評価とは別に、彼女という人間を下に見ている気持ちがあった。
仕事ぶりと人間性はまったくの別物だが、クロネコは彼女の人間性までも、どこか見下していたように思う。
だがカラスは、そんなクロネコを理屈で打ち破った。
言い方を変えれば、彼女はクロネコのことを見返したのだ。
人を見下す気持ちは、無意識のうちに慢心を生むことがある。
カラスは、意図的にではないにせよ彼の心を戒めてくれた。
「カラス」
「何?」
「期待している」
カラスは驚いて、目を瞬かせた。
クロネコは窓の外を見ており、その横顔は無表情だ。
しかし彼女はその一言で、自分の心に暖かいものが広がるのを感じた。
期待してもらえるからがんばろう。
そんな、ごく当たり前の感情だった。




