カラスは挽回したい
安宿の一室で、カラスは一人、ベッドに腰掛けている。
窓の外は暗い。
部屋の中から見上げる夜空は薄く曇っている。
ちょうど今頃、クロネコは標的を求めて暗闇に包まれた町を駆けているのだろう。
今日のような曇り空は、闇に生きる者たちの味方になってくれる。
カラスは細く長く息を吐いた。
クロネコは依頼達成まで、残り10人だと言っていた。
彼のことだ、恐らくは今夜と明日で終わるだろう。
その後は、最後の依頼である軍務大臣の暗殺。
そして、それが終われば、クロネコもカラスも本国へ戻るだけだ。
本国へ帰還した後、カラスは今回のヘマについて処分を受けることになる。
予想ではあるが情報員を外されて、裏方の事務員に回される可能性が高い。
それも転属ではなく処分である以上、十中八九、窓際に追いやられることになるだろう。
事務員とて、暗殺者ギルドにとってなくてはならない役割だ。
事務処理なくして組織は回らない。
しかし危険がない内勤である分、給金は安い。
何より窓際のポジションでは、給金に色がついたり、臨時収入が入ったりすることもまずない。
「……挽回したいわ」
カラスはぽつりと内心を吐露する。
金が好きで、金のために暗殺者ギルドで働いてきた彼女にとって、給金の引き下げは耐え難いことだ。
それに加え、失敗を失敗のまま捨て置きたくないという彼女自身の性分もあった。
無論、何らかの形で挽回が成ったとしても、事務方への転属は避けられないかもしれない。
しかし下がった評価を少しでも取り戻せれば、将来的にまた現場への復帰に望みを繋げる。
今ここで挽回できるかどうかは、カラスの今後において大きな分岐点だ。
「それに、クロネコ……」
そう。
金と同じくらい、彼からの評価を取り戻したい。
彼女は忠実に任務を遂行できなかった。
クロネコは、彼女に対する評価を大きく下げたはずだ。
このままでは終わりたくない。
クロネコにとってカラスという情報員は、有益で使い物になる人間だったと思われたい。
理屈ではなく感情でこんなことを考えるカラスは、やはり彼に惚れているのだろう。
彼女はもう、自分の気持ちを素直に認めていた。
もちろん打算もある。
もし彼からの評価を挽回できれば、彼はギルドに戻った後、恐らくカラスのことを有用だったと報告してくれる。
それはやはり、カラスの今後にとってプラスとなる。
「でも、どうしたら」
100人殺しの依頼はもう終わる。
これ以上、カラスの出番はない。
役に立てるとするならば、軍務大臣の暗殺だ。
しかしこれについては、情報員としての役割はハゲタカが遂行することが決まっている。
まして王城内の間者を潰されたカラスは、情報収集能力でハゲタカに劣る。
では何でなら役に立てるか。
情報収集でなければ、残るは実際の暗殺しかない。
カラスは暗殺者ではないが、それでも暗殺以外に残っている仕事はない。
だがカラスは、体力はある程度回復したとはいえ、怪我人だ。
何より身勝手な独断専行は、クロネコもハゲタカも許すまい。
下手をすれば今よりも評価を下げかねないし、最悪は切り捨てられる。
職人気質のクロネコは、自分の仕事が邪魔されることを決して許容しないだろう。
挽回が無理なら、黙って見ているのがベストだ。
わかってはいるが、それでもカラスは考える。
何か方法はないか。
彼らの邪魔にならず、かつ役に立ち、評価を挽回できる上手い方法。
カラスの思索は長い時間続いた。
◆ ◆ ◆
軍務官における人事通達。
グスタフ軍務大臣を、下級軍務官に降格。
ジルド副大臣を、軍務大臣に昇格。
アンダルソン上級軍務官を、副大臣に昇格。
グスタフ大臣は執務室で、恰幅のいい身体を脱力させていた。
引継ぎの書類仕事は終わっていないが、やる気は完全に消失していた。
自身を含む3名の人事は、可及的速やかに、3日後に執行される予定だ。
一言で表すなら、運が悪かったと言っていい。
グスタフ大臣にはどうにもならない事案でもあった。
しかし彼は軍務組織のトップであり、責任者。
責任者は、最終的には責任を取るのが仕事なのだ。
国の中枢である王都の治安を、維持できなかった。
住民の暴動まで許した。
対外戦力の切り札である魔法使いを失った。
あまつさえ、唯一の手がかりである捕虜まで奪還された。
下級軍務官に落とされるとはいえ、首を切られないだけマシなのだろう。
とはいえ、もう今後は昇進の目はない。
老年まで窓際で、細々と事務仕事をして終わる。
そんな人生がありありと予想できて、グスタフ大臣は生気を失った顔をしていた。
しかし考え方によっては、新しく軍務大臣に就任するジルドのほうが不幸かもしれない。
何しろ首狩りの刃は、今現在もこの王都で猛威を振るっているのだ。
ジルドは何を置いても、速やかにこれを解決せねばならない。
できなければ、グスタフ大臣の代わりに、いい糾弾の的にされるだけだ。
いずれにせよ就任は3日後。
ジルドの苦労を思えば、引継ぎの書類くらいはきちんと作成しておいてやろうと、グスタフ大臣はインクに羽根ペンを浸した。
今夜は元より明日の夜も、まともに寝る時間は取れそうになかった。




