救出
そこはいくつもの鉄の格子で区画された、ごく一般的な地下牢だった。
複数の気配が固まっているため、目的の場所はすぐにわかった。
物陰に身を潜めながら、近づいていくクロネコ。
一番手前に、牢屋番と思しき2人の衛兵。
その奥、牢屋の中に、拷問係と思われる鞭を持った小太りの男。
その向こうに、手首を鎖で吊るされたカラスが見える。
気配を殺し、物陰を渡りながら近づいていくクロネコ。
しかしそう都合よく、最後まで物陰が続いているわけではない。
あと10歩ほどの距離で、何もなくなった。
だがクロネコに躊躇はない。
豹のように、しなやかに物陰から飛び出した。
2人の衛兵がクロネコに気づき、ぎょっとした顔をする。
彼は委細構わず一人の衛兵へと突進しながら、もう一人のほうへ、一挙動でナイフを投げ放つ。
ナイフは鋭く宙を滑り、衛兵の喉元へ突き刺さった。
「く、曲者……!」
倒れる同僚を横目に見て、もう一人の衛兵は、驚愕の表情を浮かべながら剣を抜き放つ。
しかしそのときには、肉厚のダガーを両手にしたクロネコが眼前に迫っていた。
衛兵の脇腹へ繰り出されたダガーは、囮。
それに気づかず剣で受け止めた衛兵は、クロネコの敵ではなかった。
もう一本のダガーに喉を裂かれ、あっさりと絶命した。
「野郎、この女の仲間か! いや……。てめえが首狩りだなあ?」
拷問を担当していた小太りの男が、短剣を抜きながら牢内から出てきた。
衛兵が2人やられたというのに、怯んだ様子はない。
そうだろう。
気配に敏感なクロネコは、察知していた。
もう一人、他にいる。
彼はいったん片手のダガーを腰の鞘に収めると、空いた片手で、壁際の暗がりへナイフを投擲した。
そのナイフは金属音を立て、床に落ちた。
その暗がりから、ゆらりと、コウモリのように痩せ細った男が現れた。
「ほォ……。俺様に気づくたァ」
クロネコはダガーを抜き直すと、小太りの男と痩せ細った男を観察した。
どちらも明らかに、騎士や衛兵の類ではない。
恐らくは、グスタフ大臣子飼いの狗だろう。
裏方として、大臣の指示で汚れ仕事を担当しているに違いない。
「デブ。気ィつけろ。こいつァできるぜ」
「ぽっちゃり系と言えや」
会話をしながら、不意に、何の気なしに。
痩せ細った男が、ナイフを投げつけてきた。
虚を突くことに長けた動きだ。
しかしそのときにはクロネコは、もうその場にはいなかった。
2人の男は、彼が移動する過程を視認できなかった。
瞬きの後には、彼は小太りの男の目前にいた。
「てめえ!?」
小太りの男は意表を突かれ、クロネコに誘導されるように、先に手を出してしまった。
男の短剣を片方のダガーで逸らし、彼はもう片方のダガーを2度、繰り出した。
「げぼあっ……!」
小太りの男は、脇腹と鳩尾を深々と突き刺され、膝をついて蹲った。
男の足元に、血溜まりができる。
即死はせずとも致命傷だ。
そこに横合いから、痩せ細った男が迫ってきた。
男が短剣を連続で振るう。
刀身が短いだけあり、速度だけなら騎士リィンハルトの剣よりも速い。
そのうえ男は、その長い腕を巧みに利用し、リーチの差でクロネコを押し込もうとしてくる。
だがその全ては、クロネコに届かない。
上から来る短剣をダガーで逸らし、横からの次撃を受け止め、正面からの突きをいなす。
武器の取り回しにおいて、彼は圧倒的に痩せ細った男の技量を凌駕していた。
クロネコが大きく踏み込む。
その瞬間、男が鋭くプッと息を吐き出した。
その息と共に、微細な針が何本も、クロネコの目に飛ぶ。
だが、そのいかにも盗賊らしい戦法は、クロネコには効果がない。
お上品な騎士や衛兵と違い、彼は暗殺者なのだ。
彼はほんの少しだけ、頭を下げた。
微細な針は目を逸れ、覆面の布に突き刺さって終わった。
「ちィッ、こいつ!」
痩せ細った男は、僅かに焦りの色を浮かべ、短剣を繰り出す。
しかしクロネコはすでに、男の懐に潜り込んでいる。
片方のダガーが、内側から男の手首を切り裂いた。
男が苦痛の表情で、短剣を取り落とす。
それで終わりだ。
一瞬、動きの止まった男の喉を、クロネコのダガーが貫いた。
冷たい石畳に、痩せ細った男が転がる。
クロネコは牢へと近づく。
小太りの男はまだ絶命しておらず、血溜まりの中で苦悶の声を上げていた。
彼は男の背中をダガーで突き、止めを刺した。
「クロ、ネコ……」
牢内では、天井から吊るされたカラスが、憔悴した顔で彼を見ていた。
「解錠」
カラスの両手を拘束していた鎖の錠を、魔法で解く。
彼女はクロネコの胸に崩れ落ちてきた。
「クロ……」
「御託は後で聞く。取り急ぎ一つ、質問がある」
「……何?」
「お前が使っていた間者の名は?」
「ハンナという侍女よ……」
「そのハンナから、うちの情報が漏れる可能性は?」
「……ないわ。彼女に伝えていたのは偽名だし……、私が、どこかの組織に属している程度のことしか、知らないはず……」
「ならいい」
クロネコは、肩で息をしているカラスの身体を確認する。
幾度も鞭に打たれたのだろう、裂傷は多いが、どれも浅く出血も見た目ほど多くはない。
「拷問屋がプロで助かったな。これなら適切な手当てをすれば、さほど傷も残るまい」
その言葉を聞き、カラスは少しだけ唇を笑みの形にした。
「長居はできない。脱出する」
「うっ……」
クロネコがカラスの身体を荷物のように肩に担ぐと、彼女は苦痛の声を漏らした。
「俺の宿に着くまで我慢しろ」
「ええ……。クロネコ」
「何だ?」
「……助けに来てくれると、思ってた」
「そうか」
カラスは担がれたまま、クロネコの身体にしがみ付いた。
人を一人連れての脱出は侵入時よりも骨が折れたが、2人は無事に宿まで帰還した。




