助ける? 助けない?
22日目の午後。
いつもの時間になっても、カラスがやってこない。
多少時間が前後することはあっても、1時間も遅れるというのは彼女に限っては考えにくい。
彼女が職務に忠実なのはすでにわかっていることだし、その点をクロネコは好ましく思っているのだ。
そんなことを考えていると、部屋に近づいてくる気配があった。
廊下を歩いてくるそれは、カラスのものではない。
クロネコは僅かに腰を浮かせた。
部屋の扉がノックされる。
「キノコ」
扉の向こうから声がかかる。
これは情報員の符丁だ。
「タケノコ」
「戦争」
カラスではない、別の情報員がやってきたようだ。
「開いている」
「邪魔するぜ」
痩せた中年の男が入ってきた。
髪の毛が若干寂しい。
「あんたがクロネコかい?」
「ああ」
「俺はハゲタカだ。お目にかかれて光栄だなあ」
手で椅子を勧めると、ハゲタカはそれに腰を下ろした。
「悪い話を持ってきた」
「カラスについてか?」
「ああ。捕まりやがった。同じ情報員として、すまねえ」
「そうか」
情報員である以上、その可能性は常に付き纏う。
ましてカラスは彼のために、積極的に王城内の情報を仕入れていた。
捕まったとしても不思議はない。
「ヘマしたのは間者らしいがなあ」
「それはカラスのヘマだ」
「まあ、そうなるわな」
「捕まったのはいつだ?」
「今日の昼過ぎらしいぜ。俺もついさっき、別の間者から聞いたんだがな」
「……」
クロネコは腕を組み、考え込む。
それを見て、ハゲタカは訝しむように声をかけた。
「まさかたあ思うが、助けに行くつもりじゃねえよな? とっくに自害してるはずだぜ」
「いや……」
捕まった情報員は自害すべしという鉄則は、クロネコも当然知っている。
普通に考えれば、カラスはそれを遵守するだろう。
しかし、とクロネコは考える。
「ハゲタカ。ちょっと聞きたいんだが」
「何だい?」
「カラスとは、よく話す間柄だったか?」
「あん? まあ情報交換とか、それなりにはな」
「なら、カラスが俺のことをどう思っていたかはわかるか?」
「ああん? そうさなあ……。憎からず思ってたことは間違いねえなあ」
「……そうか」
カラスがクロネコのことを、何とも思っていなかったのならいい。
彼女はさっさと自害することだろう。
しかし彼女がクロネコに対して、少なからず好意を持っているのならばまずい。
人間とは、好意を寄せている相手に対して、勝手な期待をする生き物だ。
カラスとて例外ではあるまい。
ならば彼女は、クロネコが助けに行くことを、僅かでも期待しないだろうか?
仮に期待するとするならば、それは彼女にとって命が助かる一縷の望みだ。
そして命が助かる望みを持ってしまえば、それはグスタフ大臣の思う壺だ。
グスタフ大臣には、もはや余裕がないはず。
手緩い尋問で足りなければ、手荒い拷問に手を染めることは想像に難くない。
拷問を受けたカラスが口を割らずに済むかどうかは、さすがにわからない。
だがカラスが自害しないという選択をするならば、拷問によってキャルステン暗殺者ギルドの情報が漏れる可能性は、充分にあり得る。
そして一度漏れてしまえば、クロネコの依頼の達成まで困難になってくるだろう。
「……放置するほうが、リスクが高いな」
カラスが情報を吐く前に、救出したほうがいい。
クロネコはそう結論付けた。
「まさか、行くのかい?」
「ああ。詳細は省くが、カラスは自害しない可能性がある。ならばさっさと救出しなければ」
「マズいなあ。情報を吐き出されたら、とんでもねえことになる」
と、そこでハゲタカは首を傾げた。
「あんまり言いたかねえが、助けるんじゃあなくて、口を封じるってえ選択肢はねえのかい?」
「それも考えたが、どうせ王城に忍び込むなら助け出したほうがいいだろう」
「そりゃあな。情報員を一人育成するのだって、金と手間がかかってるからなあ」
「ああ。情報員もタダじゃあない」
ハゲタカは懐から羊皮紙を取り出すと、広げて見せた。
「こいつを持ってきてよかったぜ」
「これは……。城内の見取り図か」
「ああ。地下牢はここだな。侵入はこっちの通用口からになるだろうぜ」
クロネコは見取り図に目を通し、頭の中で最適な侵入経路を模索する。
暗殺のため建物に忍び込むのは、暗殺者の得意分野であり、また腕が問われる部分でもある。
「さすがに城内の衛兵の巡回経路まではわからねえが……」
「構わん。それに幸運なことに、現状、城内の警備は手薄だろう?」
「まあ、みんな町のほうに駆り出されちまってるからなあ」
クロネコは立ち上がり、自分の荷物を漁り始める。
「助かった。あとはこっちでやる」
「こっちこそすまねえ。カラスの奴はヘマをしたが、同じ情報員だ。できれば生きて帰ってくるほうが嬉しいからなあ」
「任せろ」
「おう。成功したら一杯奢らせろ」
ハゲタカは羊皮紙を懐に仕舞うと、部屋から出て行った。
「……ギャロットを使うか。衛兵に出会うたびに廊下に血を撒き散らしては、見つけてくださいと言っているようなものだからな」
クロネコは荷物から、革の紐を取り出す。
ギャロットとは絞首紐のことであり、暗殺者が使う道具の一つだ。
革の紐は頑丈なので、強く引っ張ってもまず千切れない。
また肌に食い込みやすいため、人を絞め殺すにはちょうどいいのだ。
クロネコは薄暗い色の服に着替える。
ポケットに革の紐と覆面を押し込み、宿を出る。
城内の警備が手薄になるのは日没後だ。
今のうちに王城の近くに潜み、日没を待ってから侵入するのがいいだろう。
下準備は万全とはいえないが、クロネコには気負いも焦りもない。
建物への侵入など、過去に幾度となく経験してきたことだ。
経験に裏打ちされた自負こそが、彼を最強たらしめている要因の一つでもある。
あとは、カラスが拷問に屈していないことを祈るばかりだ。




